ユージーン・バトラー (アメリカ)
【 1849 ~ 1913 】
ユージーン・バトラーは、1849年、アメリカ・ニューヨーク州ナイアガラ郡で生まれた。
父親をエフライム、母親をレベッカ (旧姓ピアソン) といい、バトラーは3人兄弟であった。
バトラーの家はイギリス系で、イギリス・エセックス州ブレインツリーにルーツをもっていた。
バトラーは事業に成功し、1882年にニューヨーク州バッファローからノースダコタ州へ引っ越し、480エーカーの農場を購入した。
ただ、バトラーは結婚せず隣人との接触を避け、世捨て人のような生活を送った。
近くの町ラリモアに行く時はビジネス目的のみで出掛けた。
しかし、ノースダコタ州へ移ってからは、バトラーは幻覚に苦しみ始める。
目に見えない人々が自分を追い掛けていると思い始める等、精神疾患の兆候を示し始めた。
1906年頃にバトラーの精神はより悪化し、夜遅く走り回ると奇声を上げながら叫び、郡の住民たちを怖がらせた。
バトラーは苦情により拘束されると、ノースダコタ州立病院に入院する事となった。
バトラーは入院中、カメラが魂を吸うと思い込み、写真を撮る人間に恐怖を抱いた。
病院のスタッフによると、バトラーは身長は低かったが非常に勇敢で、病院のダンスに参加するのを好んだ。
また、女性医師の1人に恋をしていた。
1913年10月22日、バトラーは保護観察中に死亡した。
バトラーの死後、親戚は弁護士の助けを借り、バトラーの不動産が分割された。
1915年、バトラーの不動産を改修していた労働者の1人が、家の地下室の下を掘っていると人間の骸骨を発見する。
その骸骨は全部で6人分である事がわかり、全員が頭蓋骨を押し潰され少なくとも2人が骨折していた。
当初は遺骨の内2人は家族だと思われたが、バトラーの親戚全員の無事が確認された為、その可能性は否定された。
その後、警察が調査を進めると、6人全てが若い男性、もしくは少年である事がわかり、1人は15歳から18歳であった。
ただ、個人を特定する事は出来ず、6人はバトラーによって農夫として雇われた浮浪者であると推測された。
殺害理由はバトラーの家からお金を盗もうとしたからだとされた。
また、衣服の痕跡が全くなかった事から犠牲者は裸で埋められ、衣服は別に燃やされた事を示唆していた。
バトラーは遺体を処分する為に家の土台から石を取り除き、遺体を隠す為に黒い土と赤い粘土の下層土を使った。
恐ろしい発見が世間に知れると、多くの人が現場を見る為に農場を訪れた。
犠牲者の骨は集められ保安官事務所に運ばれたが、そのほとんどが盗まれてしまう。
誰が盗んだのか不明だが、一部のマニアに売る為にハンターによって盗まれたと推測された。
バトラーによる確実な犠牲者は6人だが、現在でも正確な数は不明で、間違いなくそれ以上だとされている。
また、殺害された少年たちは誰1人として身元が特定されてないが、ノースダコタ大学の人類学教授は、盗まれた人骨の一部があれば現代の最新のDNA技術により特定する事が出来ると述べている。
《殺人数》
6人 (もっと多い可能性大)
《犯行期間》
1900年?~1906年?
∽ 総評 ∽
『The Great Plains Butcher (グレート・プレーンズの肉屋) 』、『The Midnight Rider (真夜中のライダー) 』、『Eccentric (異常な・風変わりな) 』等と呼ばれ、6人の少年を殺害したとされるバトラー。
バトラーによる犠牲者は6人とされるが、現在はもっと多いのは間違いないというのが研究者の見解である。
時代が時代なので何とも言えないが、多いのは間違いないと思う。
というのもそもそもバトラーの犯行が発覚したのが本人が死亡して2年後であり、そう考えると大袈裟な話ではない。
バトラーは精神異常とされ、施設にいた時にはすでに殺人を行った後であった。
それ自体珍しいが、犠牲者の遺骨を盗まれているというのもなかなかない事である。
しかも、犠牲者が誰1人わからないというのも珍しい。
コメント
コメント一覧 (14)
相当古い時代の話ではありますが、決して少なくないのですね。
米は凶悪犯罪者量産大国といわれていますが今回の例を見ると昔は今以上だった可能性があるのが容易に想定できます。
少年ばかり6人殺しているということはとどのつまり同性愛者で性犯罪者の異常者だった可能性は大いに。
殺された少年たちの詳細が少なかったのはきっと丁稚奉公で売られた貧乏な少年の可能性も想定できます。
しかしそれを承知で拷問殺人をしといて死刑回避されたのは腹立たしいので地獄に高跳びしてくれただけでもよしとします。
昔は法も緩いですし、警察もまともに機能していなかったので今よりも多かったでしょうね。
シリアルキラー自体の存在が近年になってやっと研究が進んできたので、当時は「何者」という感じだったでしょう。
死んでくれたので良かったですねー
死刑判決が出て処刑されなかったのは残念です。
良かったです。
当時は判決→執行がスムーズに行われていたのできっちり処刑して欲しかったですね。
殺されたとする人達以外にも、雇われていた人は大勢居た筈なのに、当人が入院しても誰一人として密告者が出ていない事にです。
確かに精神疾患ですが、対人恐怖症の兆候が強いです。
嫌悪で無く、恐怖なので人と触れ合う事すら恐怖を覚える筈なので、仕事で人と接触した事が症状悪化に繋がったと考えられます。
そもそも、地下室を掘り下げるのには大掛かりな作業となり、重機が無い時代には一人では不可能では無いでしょうか?
何故、改修作業者が地下室を掘り下げようとしたかも、動機が不明です。
骸骨も盗まれ、行方不明になっているのも非常に怪しいと感じます。
殺人が行われた場所であれば、住みたいとは到底思わないでしょう。
家屋改修業者が、広い農場の土地と家屋を安く買い叩く為、仕組んだ「偽装殺人事件」ではないかと、私は思います。
対人恐怖症は嫌悪で無く、人と接触する事自体に恐怖するので直接的な殺人に至るのは考え難いと考えます。
確かに色々不思議な事が多いですね。
ただ今から100年以上前の話なので仕方ないです。
なるほど、偽装殺人の可能性もありますね。
とりあえず早目に死んでくれてよかった。
おそらくそうだと思いますね。
謎多き事件ですが犠牲者が浮かばれませんね。
野田市虐待死事件の裁判で、栗原勇一郎の控訴棄却です。
高裁が裁判員裁判の判決を支持し、懲役16年を言い渡しました。
事件を振り返ると、栗原心愛さんが虐待により息を引き取ったのは、
2019年1月24日の事でした。
心愛さんの両親は直ぐに逮捕され、3月6日に起訴されました。
それから1年後の2020年3月19日、裁判員裁判で、
勇一郎に懲役16年が言い渡されました。
起訴からもう2年が過ぎたのかと思ってしまいます。
勇一郎はかつてより狂暴な性格をもっており、
心愛さんの母親と結婚する前に、他の女性と結婚し、子供を儲けていますが、
女性は勇一郎のDVにより離婚しています。
心愛さんは2008年9月22日、母親の故郷である沖縄で生まれました。
丁度、僕も修学旅行でその年の5月に沖縄に行っています。
それから1か月後、東北地方でM7.2の直下型地震が起こり、
経験した事のない事のない激しい揺れに驚いた記憶があります。
思えば10年しか生きられなかったなんて、絶対に許す事が出来ません。
個人的にはとても納得いきませんが、正直日本なら頑張った方ですね。
髪型変ですね。
時代も時代なので顔もこうだったか実際は怪しいですね。
わからなかったでしょうね。
明治時代に回帰って明治時代の何が良かったんですかね。
おそらく質問しても答えられないと思います。
過失致死罪で懲役16年という日本の司法はアホすぎてあ然としました。
明らかに拷問を伴う殺し方を過失致死での対応はないだろ?
過失致死って意味わかってるんでしょうかね。
車の事故じゃあるまいし。
完全な殺人でしょうに。