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ウラジミール・ベローフ (ロシア)
【 1972 ~      】



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セルゲイ・シャバノフ (ロシア)
【 1977 ~      】



ウラジミール・ボリソヴィッチ・ベローフは、1972年1月7日、ロシアの首都モスクワで生まれた。

ベローフの最初の犯罪は窃盗であり、有罪判決を受け刑務所に収監された。


1991年に釈放されるとすぐに強盗を犯し、その際始めて殺人を行った。


1993年2月4日、懲役15年が言い渡されたベローフはウリヤノフスク刑務所に収監された。

ここで後に共犯者となるセルゲイ・アレクサンドロヴィッチ・シャバノフと出会う。


1998年、シャバノフは仮釈放され、2001年、ベローフは仮釈放された。

ベローフが釈放されると早速シャバノフは合流し行動を共にする。


ベローフとシャバノフは商人アレクサンダー・シェレシモフ () の殺害依頼を受け、2001年10月15日、500ドル (約6万円) でシェレシモフを射殺した。


同年12月26日、モスクワのフェスティバルノイ通りで、ベローフは仕事帰りの女性を撃って射殺した。

殺害後、女性のバッグ、財布、イヤリング、現金、ケーキを盗み家に持ち帰った。

持ち帰った物の価値は全部で約3000ルーブル (約1万3000円) であった。


2002年1月25日、ベローフとシャバノフはオーストリア国籍の女性を人気のない庭で殺害する。

殺害後、女性のバッグを盗んだ。


同年2月10日夜、ベローフとシャバノフは女性を襲い、100ルーブル (約500円) と携帯電話を盗むが女性は奇跡的に助かった。

警察は被害者からの情報で似顔絵を作成し、そのチラシがモスクワ中に貼り付けられテレビでも放送された。


しかし、犯罪は止められず、同年2月20日、女性を殺害すると、2日後の22日、クリンスカヤ通り近くの家で別の女性を殺害した。


同年2月27日、チェレパノフ通りでベローフは野球のバットで女性に殴りかかるが、女性が激しく抵抗した為、ベローフはその場から逃走した。

しかし、わずか数時間後、ベローフとシャバノフは別の女性を襲い殺害した。

2人は捕まる事を一切恐れておらず、目撃される事も気にせず犯行現場にも普通に車で行っていた。

警察は最初に生き残った被害者からの情報でベローフの名が浮上し、逮捕される間際に2階から飛び降りて逃走した。

しかし、翌日にシャバノフと一緒にいた所を逮捕された。

2人はすぐにこれまでの犯行の全てを告白する。

犠牲者は少なくとも8人で、標的は中所得層であった。

尋問の際にベローフはもし釈放されれば再び殺人を行うだろうと述べた。

また、殺人についてベローフとシャバノフは、最初は怖かったが次第に慣れていったと話した。

ベローフは、

「最初の殺人の後、眠る事が出来なかった。ただそれもすぐに慣れた」

と話した。


ベローフとシャバノフは正常だと判断され、2003年12月10日、2人に終身刑が言い渡された。

ロシアの最高裁判所は判決を支持し、ベローフはスヴェルドロフスク州の植民地「ブラックベルクト」に送られた。

2人による正確な犠牲者数は不明であったが、警察によると最大で80人に及ぶ可能性があると発表された。


最後に釈放された場合再び殺人を行うと述べた後に言ったベローフの発言で終わりたいと思います。

「私は他に何も出来ない」



《殺人数》
8人

《犯行期間》
1991年~2002年2月27日



∽ 総評 ∽

『The Khovrinsky Maniac (ホブリンスキーの狂人) 』と呼ばれ、強盗殺人を繰り返したベローフとシャバノフ。

ただ、この2人に限っては発言でもわかる通り殺人が目的であり、強盗はついでに行ったと思われる。

ロシアは基本的に単独による犯行が多く、複数で及ぶというのは少ないが、この2人は異常者同士刑務所で意気投合してしまった。

シャバノフがどのような罪で服役していたのかはわからないが、少なくともベローフは殺人を犯しているのである。

こんな鬼畜を懲役15年という軽い刑にするからこんな事になるのだ。

刑務所というのは凶悪犯をただ凶悪にするだけの養成所にしか思えないのは私だけだろうか。