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イグアラ学生集団失踪事件 (メキシコ)
【 2014 】



2011年12月12日、メキシコ・ゲレロ州の州都チルパンシンゴで、抗議デモ中にアヨツィナパ教員養成学校の学生とメキシコ連邦警察及び地元警察が衝突し、学生2人が死亡した。

アヨツィナパ教員養成学校は、歴史的に連邦政府及び地方自治体の抑圧的対象となっていた。


2014年9月26日午後9時30分頃、アヨツィナパ教員養成学校の学生46人が乗る3台のバスが、銃撃を受ける。

銃撃は2度行われ、3人が死亡、25人が負傷した。

残る43人の生徒は拉致され行方不明となった。


行方不明となった学生の家族や友人らが必死に43人を探すが見つからず、同年10月29日、学生たちの家族がペニャ・ニエト大統領に接見し、話し合いを行ったが43人の行方に関する新たな手掛かりはなかった。


同年11月27日、ムリリョ・カラム検事総長が、学生たちが地元警察に襲撃され、拘束されると警察が犯罪組織「ゲレーロス・ウニードス」に引き渡した話した。

そして、学生たちをトラックで運び、ゴミ集積所へ運ぶと1人1人焼き殺し、灰を袋に詰めて川に投棄したと発表した。

カラムは
「骨は灰となり川に流れた為、DNA鑑定は困難である」
と述べた。

ただ、家族は犯罪組織によって始末されたというカラムの発表には懐疑的で、専門家や関係者も「そんなはずはない」と述べていた。

学生らが夜にわざわざバスに乗っていたのは、イグアラ市長の妻マリア・デ・ロス・アンヘレス・ピネダが主催する慈善団体の集会とパーティーが行われる事になっており、その集会の妨害に向かっていたのだった。

その事を知った夫のイグアラ市長ホセ・ルイス・アバルカが、警察に学生たちを襲撃するよう命じたのだった。

市や警察が犯罪組織と密接な協力的関係にある事が公となり、それに対して非難が殺到した。

民衆の抗議がメキシコ全土で起こり (多くは首都メキシコシティとゲレロ州で行われた) 、それは平和なものから過激なものまで様々であった。

そして、市長のホセと妻のマリア、警察官36人、ゲレーロス・ウニードスのメンバー等計74人が逮捕された。

この事件はメキシコ国内だけでなく、様々な組織や機関から非難され、米州機構は
「メキシコ国民のみならず全てのアメリカ諸国を嘆かせるものだ」
と声明を述べた。


同年12月7日、オーストリアの大学に委託されたDNA検査により遺灰の中から行方不明となっている学生の1人、アレクサンドル・モラ・ベナンシオだという事が確認された。

だが、川から出た物として灰の入った袋を渡されただけで、実際に川から出たのか、どのような経緯で来た物なのかはわからなかった。


2015年9月6日、第三者委員会による調査の結果が発表され、それはメキシコ検察の発表を全面的に否定するものであった。

学生の遺体はゴミ集積所で焼かれておらず、そもそも雨天日の当日に43人もの死体を完全に焼却する事など不可能だと断定した。

また、現場には当時別のバスの存在があり、マフィアがヘロインを運んでいたバスに学生たちが偶然乗ってしまい、マフィアと結託した警察によってイグアラから出る事を阻止された可能性があると述べられた。

ただ、燃やされてないとしたら、学生たちが誰1人として遺体が発見されてない事実が説明出来なかった。



《行方不明者数》
43人

《事件日時》
2014年9月26日



∽ 総評 ∽

この事件は一般市民にとって本当に恐ろしい事件である。

市長がマフィアと裏で手を組んでおり、抗議に赴こうとしている学生たち全員を葬るというとんでもない話である。

しかも1、2人ではなく43人 (銃撃で3人死んでる) である。

市長は遺体が発見されなければ問題ないとでも思ったのだろうか。

妻の集会を妨害しようとした程度の学生を排除するというのはいくらなんでも酷過ぎる。

言論の自由どころかまるで独裁者のごとき所業である。

個人的に市長こそサイコパスといえる。