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ジョー・アレディ (アメリカ)
【 1915 ~ 1939 】



ジョー・アレディは、1915年4月29日、アメリカ・コロラド州プエブロで生まれた。

父親をヘンリー、母親をメアリーといい、両親は仕事を求めてシリアから引っ越してきたばかりであった。

家族は英語は話さず母国語で会話した。

ヘンリーはプエブロにある大手製鉄所に就職し、労働者として働き始めた。

アレディは言葉を話す事が遅れ、数語以上の文章で話す事が出来なかった。

小学校に1年通ったが、校長は両親に授業で学ぶ事が出来ないと自宅にいるよう求めた。

数年後、ヘンリーは失業してしまう。

アレディは10歳の時にコロラド州グランドジャクションにある精神障害者の為の州立家庭養成学校に入学した。

そこでアレディは仲間に殴られ虐待された。

アレディは学校を出ると、貨物列車に乗って街を去った。

アレディは1936年8月にワイオミング州シャイアンに到着した。


同年8月14日、コロラド州プエブロで、自宅で寝ていたドロシー (15歳♀) とバーバラ (12歳♀) のドレイン家に侵入者が押し入り、2人は強姦された。

その後、手斧で攻撃され、バーバラは奇跡的に助かったがドロシーは死亡した。


同年8月26日、アレディはワイオミング州シャイアンで放浪している所を逮捕された。

ただこの時の罪はドロシー殺害ではなく、放浪している事に対する逮捕であった。

郡保安官ジョージ・キャロルは、ドロシー殺害事件の捜査が広範囲で行われている事を知る。

キャロルはアレディにコロラド州グランドジャクションを出た後、故郷のプエブロに戻った事を聞き、ドレイン家の事件について質問した。

キャロルはアレディが犯行について自白したと話し、その事をプエブロ警察に告げるが、すでに事件の最有力容疑者としてメキシコの労働者フランク・アギラールを逮捕していた。

アギラールはドレイン家の父親の為に働いていたが、事件の直前に解雇されていた。

アギラールの家から斧の頭の部分が回収されるが、キャロルはアレディが
「フランクという男と一緒にいた」
と何度か言ったと主張した。

アギラールは犯罪を自白し、アレディに会った事はもちろん全く知らないと警察に伝えた。

アギラールはドロシー殺害と強姦で有罪判決となり、死刑を言い渡された。


1937年、アギラールの死刑が執行された。

アレディはプエブロに移送されるが、再び犯行を自白する。

しかし、自白はコロコロと変わり、事実や誤りを繰り返し発言した。

最初、アレディはこん棒を殺人で使用したと主張していたが、当局が斧または手斧が使用されたと発表されると、斧を使用したと発言を変えた。

アレディは裁判にかけられると、弁護士はアレディの精神異常を訴えた。

アレディは正気だと裁定されていたが、3人の精神科医はアレディのIQが46しかなく、6歳レベルの知能だと述べた。

精神科医らは
「彼は正誤を区別する事が出来ず、犯罪目的でいかなる行動も実行する事が出来ないだろう」
と述べた。

また、生存したバーバラは、アギラールが犯人で間違いなく、アレディはその場にいなかったと証言した。

結局、アレディはすでに犯人が逮捕・処刑されているにも拘わらず、誤った自白により有罪判決を受けてしまった (その後の研究で精神的能力が限られている場合、尋問中に強制され易く、虚偽の自白をする頻度が高い事が示された) 。

弁護士の必死な弁護により、アレディの死刑延期は何とか勝ち取る事が出来たが、有罪判決を覆す事は出来なかった。

弁護士はアレディが死刑執行の意味さえ理解していないと述べ、
「彼がガス室で処刑された場合、コロラド州の歴史において不名誉な事になる」
とコロラド州最高裁判所に主張した。

弁護士はアレディに代わって上訴と請願を行った為、死刑の執行猶予を受けた。

上訴が行われている過程で、アレディは刑務所長ロイ・ベストから与えられた玩具の列車で遊んだ。

ベストはアレディの事を「最も幸せ (そう) な死刑囚」と呼んだ。

アレディは警備員だけでなく囚人仲間からも好かれた。

ベストはアレディの支持者の1人となり、アレディを救う為の努力に参加した。


1939年1月6日、アレディは死刑執行の為にガス室へ移動した。

執行前、ベストはアレディについて
「彼はこれから死ぬことさえ知らなかった。彼は私が与えた玩具の列車で楽しそうに座って遊んでいた」
と語った。

アレディは最後の食事にアイスクリームを頼み、処刑について説明されると、当惑している様子だった。

そして、

「いや、いや、ジョーは死なないよ」

とベストに言った。

ガス室に連れて行かれるとアレディは微笑み、ベストが手を握って安心させると、緊張していたが少し落ち着いた。

享年23歳。

当時から多くの人がアレディが無実だと信じていた。


2011年、アレディは当時のコロラド州知事により赦免とされた。

コロラド州において死刑執行後に罪人の罪を赦免したのは初めての例であった。



∽ 総評 ∽

アレディは「最も幸せ (そう) な死刑囚」と呼ばれたが、一体何が幸せなのか私には理解出来ない。

私なら冗談でもそんな風に思えないし言えない。

アレディは自白で逮捕され、冤罪とわかっていながら処刑された。

これが犯人が逮捕されておらず、アレディが自白したのならまだ話しもわかる。

犯人はすでに逮捕され死刑となり処刑されたにも拘わらず、何故かアレディの裁判は続けられた。

共犯者という扱いなのだろうが、精神障害だのIQが低いだの正直それ以前の問題である。

冤罪、弁護士の弁護、精神科医の主張、全てが揃っていて何故頑なに執行するのか (1度逮捕した為間違ってましたと釈放するのは警察の威厳に関わるとでもおもったのだろうが) 。

そもそも、被害者の少女が犯人は1人だと言い、犯人であるアギラールもアレディの事を知らないと言っているのに何故、ここまで裁判を強行したのか。

「最も幸せ (そう) な死刑囚」所か「最も不幸な死刑囚」の間違いではないだろうか。

正直、アレディをプエブロの警察に報告した保安官キャロルの罪は相当重い。

保安官なりの正義心なのかもしれないが、犯人がすでに捕まっているのである。

この保安官のその後の人生については知らないが、何もなく平和に人生を真っ当したのなら個人的にはとても納得いかない。