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リカルド・ロペス (アメリカ)
【 1975 ~ 1996 】



リカルド・ロペスは、1975年1月14日、ウルグアイで中流階級の家庭に生まれた。

ロペスはアメリカに移住し、ジョージア州に定住した。

ウルグアイからアメリカへ移住したロペスだったが、家族との関係は良好であった。

ロペスは数人の男性の友人がいたが、内向的な性格で女性に対してぎこちない対応であった為、ガールフレンドは出来なかった。

ロペスはアーティストになる事を熱望し、高校を中退し美術学校への入学を試みた。

しかし、美術学校へ入る事が出来ず、劣等感からアーティストになる事を断念した。

その後、ロペスは兄がやっている害虫駆除事業に断続的に働き始めた。

17歳になる頃には社会から孤立し、現実から逃避するように幻想に耽るようになる。


1993年、ロペスはアイスランド出身の歌手ビョークに夢中になる。

ロペスはビョークの人生について情報を集め始め、経歴を辿り多数のファンレターを書いた。

時間の経過と共にビョークに異常に固執し傾倒ようになる。

ロペスはビョークに受け入れられようと、日記に憧れと自身がどれだけ影響を受けたかを書き綴った。

また、ロペスはタイムマシンを発明し、1970年代にタイムトラベルして子供の頃のビョークと友達になるという夢を抱いた。

ただ、ビョークへの空想は性的なものではなく、

「私は彼女を愛しているからセックスする事が出来なかった」

と日記に書いている。

ロペスの日記は実に803ページにも及び、ビョークに関する自身の考え方、太った事による感情、女性化乳房 (男性の胸が女性の乳房のように隆起する症状) に悩み苦しんでいる事、ガールフレンドが出来ない事、害虫駆除という劣悪な仕事でわずかなお金しか得てない事への不満、そんな自分を「敗者」と呼んだ。

また、自殺や殺人について、ビョークの他にも有名人について書いていた。


1996年、フロリダ州ブロワード郡ハリウッドのアパートで1人で暮らしていたロペスは、雑誌「エンターテイメント・ウィークリー」を読んだ。

記事にはビョークがミュージシャンのゴールディーと交際している事が書かれていた。

ロペスは裏切られたと感じ、しかも、相手が黒人男性である事に失望と怒りが込み上げる。

ロペスは日記に

「私は8ヶ月を無駄にした。彼女にはクソ忌々しい恋人がいる」

書き殴った。

そして、ロペスはビョークに罰を与える事を空想し始める。

ロペスは日記を書くのを止め、代わりにアパートでビデオ日記の撮影を始める。

ロペスは約2時間の映像を11本撮り、ビョークへの復讐とその準備について語っていた。

ロペスはビョークとゴールディーとの関係に激怒し、ビョークを殺すことに決める。

ロペスは、

「私は彼女を殺さなければならない。荷物 (爆弾) を送り彼女を地獄へ落とすつもりだ」

と語り、爆弾を作る事にした。

当初、ロペスはHIVに汚染された血液が入った注射針で満たされた爆弾を作るつもりであった。

理由はビョークがHIVに感染する事で人生において死ぬまで影響を与える為だった。

だが、実際構想の段階でそのような装置は現実的でない事に気付き、くり抜いた本に硫酸を注ぐ硫酸爆弾を作り始めた。

爆弾はビョークが本を開いた時に爆発する仕組みで、死ぬか外観に一生の傷を負わせるように設計された。

そして、ロペスはビョークが爆弾で死に、自身も自殺して2人が天国で一緒に成れる事を望んだ。


同年9月12日朝、ロペスは最後のビデオ録画を始め、爆弾を郵送する準備をしている所から撮影を始めた。

ロペスはカメラに向かって

「非常に緊張している」

と語り、逮捕されるのではなく自殺するだろうと述べた。

郵便局から戻ると再び撮影を始め、ビョークの音楽を流し、裸になると頭を剃り始めた。

そして、顔を赤と緑に塗ると

「私はおかしくなっていない。私は自分で何をしているのか理解している。死ぬ準備は出来ている」

と述べ、流れているビョークの歌が終わると、

「これはあなたの為です」

と叫び、38口径の銃を口に入れ撃って自殺した。

撃った直後、ロペスは倒れ画面から外れ、壁に貼られた「THE Best OF ME」と書かれた紙だけが残った。


同年9月16日、ロペスの部屋から悪臭と血が流れていると通報を受け、ハリウッド警察が部屋を訪れた。

警察官はロペスの遺体を発見し、ビデオが押収された。

そして、ビデオを確認すると爆弾がイギリスのビョークに家に送られた事がわかり、ハリウッド警察はイギリスに連絡し、爆弾がロンドンのビョークの自宅に送られている最中だと警告する。

警察が調べると南ロンドンの郵便局にある事がわかり、爆弾を確保すると安全に爆発させた (ただそもそも家に届いたとしてもビョークが最初に確認する事はなく、ビョークが受け取る危険性はほとんどなかった) 。

ロペスが激怒したビョークとゴールディーの関係だが、ロペスが自殺する数日前にすでに終わっていた。

ビョークは事件後、
「非常に悩まされた」
と声明を述べ更に
「それは恐ろしい、とても恐ろしい事です。誰かが顔を撃たれるというのは悲しいことです。私は音楽を作っていますが、私を文字通りに受け取って私の個人的な生活に関与すべきではありません」
と述べた。

ビョークはロペスの家族にカードと花を送った。

ロペスの死から1年後、ビョークはインタビューで事件について
「誰かが亡くなった事に非常に動揺しました。1週間眠れなかったです。怖がらないと言えば嘘になる。私を傷つける可能性がある事、そして何よりも私の息子が傷つく可能性がある事が怖いです
と答えている。

ロペスの家族はロペスが暴力的な考えを抱いている事を知らなかったと主張した。


2000年、「The Video Diary of Ricardo Lopez」という70分のドキュメンタリー映画が公開されている。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
1996年9月12日



∽ 総評 ∽

Björk Stalker』と呼ばれ、歌手ビョークに異様に執着し、最後は殺害しようと目論んだロペス。

こういった有名人に対して歪んだ愛情を示す人間は日本もそうだが世界に沢山いる。

女優ジョディー・フォスターをストーキングしたジョン・ヒンクリーは有名で、フォスターは女優を辞めようと思った程であった。

どうしても有名人はメディアに露出する為、不特定多数の人間に好意を抱かれる事は避けられない。

だが、普通の人間は憧れや尊敬で終わり、それ以上の感情を抱く事はない。

また、こういうストーカー事件を起こす人間の性格は共通しており、内気で内向的、女性にまともに話し掛ける事が出来ず、これまで彼女が出来た事のないような人物がほとんどである。

ロペスが撮影した動画はネットで確認出来るのだが、英語なので何を言っているのか私にはわからなかった。

だが、言葉が通じなくても非常に気持ち悪いのは誰がみても明白である。

最後、銃を口に咥えて発砲し自殺するが、かなりの衝撃的な映像である。

ただ、こういうストーカーは最後普通に生きている事がほとんどであり、自殺したという点においてだけは誉められる所である。