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マウリッツィオ・ミンゲラ (イタリア)
【 1958 ~      】



マウリッツィオ・ミンゲラは、1958年7月16日、イタリア・ジェノヴァで生まれた。

6歳の時、両親が離婚し、母親はミンゲラを含む5人の子供を1人で育てる事になった。

その後、母親は再婚するが、継父はアルコール依存症であり飲んではミンゲラ子供たちを殴った。

後にミンゲラは継父について、

「彼はアルコール依存症で私たち兄妹を酷く殴った。私は彼が大嫌いだった。私はしばしば彼を殺し、首をロープで縛り背中から引っ張る夢を見た」

と話している。

ミンゲラは12歳の時に留年し、学校では同級生に暴力を振るう問題児であった。

学校を去るとヴァルポルチェヴェーラとその周辺でスクーターやバイクを盗んだ。

その後、ミンゲラは瓦職人として働き始めた。

ミンゲラは女性を好み、多くの女性と一緒にディスコを訪れ「ヴァルポルチェヴェーラの (ジョン) トラボルタ」というニックネームで呼ばれた。

また、ミンゲラはボクシングにも情熱を注いたが、試合で殴られた後、辞めてしまった。

ある日、兄が自動車事故で死亡してしまう。

すると、ミンゲラは死人に対して病的なまでに関心を示すようになる。


1977年、ミンゲラは15歳のローザ・マンフレディと結婚するが、マンフレディは向精神薬に依存していた。

しかし、ミンゲラは頻繁に売春婦を買い、マンフレディも鬱病と流産に苦しんだ結果、薬物の過剰摂取による死亡してしまう。

マンフレディの死はミンゲラの精神を深く傷付けた。


1978年、ミンゲラはジェノヴァ大学の精神科を訪れ、IQが70である事が判明した。


同年4月18日、ジェノヴァでアンナ・パガーノ () という売春婦を殺害する。

そして、遺体をサントルチェーゼに運び隠した。

遺体は羊飼いによって発見され、頭は砕かれ肛門にボールペンが埋め込まれていた。

また、ミンゲラは遺体に文字を刻んだが、「Bricato Rose」を「Brigate Rosse」とスペルをあえて間違え捜査撹乱を狙った。


同年7月8日、ジェノヴァでジョゼッピーナ・ジェラルディ () を殺害し、廃車の中に遺体を隠した。


同年7月18日、ミンゲラはマリア・カテナ・アルバ (14歳♀) を殺害する。

翌日、裸の遺体がヴァルブレヴェンナで見つかり、木に縛り付けられていた。


同年8月22日、ミンゲラはディスコでマリア・ストランベリ (21歳♀) と一晩過ごした。

その後、ストランベリは行方不明となり、3日後の25日、遺体で発見された。


同年11月28日、ストランベリの友人ワンダ・スセラ (19歳♀) が行方不明となる。

その後、ジェノヴァとミラノ間を走る鉄道の断崖で強姦され首を絞められたスセラの遺体が発見される。


同年12月5日から6日までにミンゲラは逮捕された。

逮捕されたミンゲラはストランベリとスセラ殺害を認めたが、他の殺人については否定した。

しかし、パガーノの肛門に埋められたボールペンがミンゲラのものだと判明し、ミンゲラの眼鏡がアルバの犯行現場で見つかった。


1981年4月3日、ミンゲラは5人殺害で終身刑が言い渡された。

しかし、刑務所でミンゲラは無実を訴え続けた為、イタリアの司祭アンドレア・ガロも裁判のやり直しを要求した。


1995年、トリノのバレット刑務所に移送されると、半自由の権利を得てルイージ・チオッティが主宰する復興コミュニティに入り、そこで大工として働いた。


1997年3月、ミンゲラはサン・サンバリオのトリノ地区でロレダナ・マッカリオ (53歳♀) を殺害する。

マッカリオは売春婦で自宅で殺害された。


同年5月、モロッコ人のファティマ (20歳♀) がカゼレッテで強姦され首を絞められ殺害された。

ファティマも売春婦であった。


1998年2月14日、アルバニア人のフロレタ・イスラミ (29歳♀) がスカーフで首を絞めて殺害される。

イスラミも売春婦であった。


1999年1月30日、トリノでターラント出身のコシマ・グイド (73歳♀) がアパートで殺害される。

グイドも売春婦でスカーフで首を絞められ殺害されていた。

犯行現場で2枚のキッチンタオルが見つかり、後にミンゲラのものと判明した。


2001年2月16日から17日までにフロレンティナ・モトック (27歳♀) が殺害される。

モトックは顔や頭を激しく殴られていた。

しかし、モトック殺害によりDNAの痕跡や犯行手口、発生した時間帯等の類似点からミンゲラを犯人だと断定した。


同年3月7日、ミンゲラは逮捕された。


ミンゲラはビエッラ刑務所に移送されるが、2003年1月2日、胸と腕の痛みを訴え入院すると風呂場から脱獄した。

しかし、その日の午後10時頃に駅近くで逮捕された。


同年4月4日、ミンゲラはモトックらの殺害で終身刑と懲役30年が言い渡された。



《殺人数》
10人

《犯行期間》
1978年4月18日~2001年2月16日



∽ 総評 ∽

相変わらず司法の犯罪者ファーストにより多くの犠牲者を出してしまった。

そもそも5人殺害で終身刑となった犯罪者に、半自由の権利というのは何なのだろうか。

また、ミンゲラの無実の訴えに共鳴し裁判のやり直しを唱えたガロ、半自由のミンゲラを受け入れたチオッティ。

ガロは貧しい人々を助ける活動を行い、チオッティはマフィアなどの犯罪組織や違法と闘う司祭として両者共有名であった。

ただ、私からすればこの2人はただの偽善者に過ぎない。

この愚かな2人の司祭によってどれだけ被害を受けた人がいただろうか。

世間的に人格者と認められているのかもしれないが、真の人格者は凶悪犯を無駄に許す人間の事ではない。