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ロドリゲス・パレハ (ブラジル)
【 1974 ~ 1996 】



ロドリゲス・レオナルド・パレハは、1974年3月26日、ブラジル・ゴイアニアで生まれた。


パレハは1995年9月、バイーア州フェイラ・デ・サンタナのホテルを強奪すると、当時の上院議員アントニオ・カルロス・マガリャンイスの姪フェルナンダ・ヴィアナ (16歳) を拉致し、3日間拘束する。

パレハは狙撃兵に狙撃されないよう窓をシートで覆った。

警察がパレハと交渉を始めると、大胆な声明を発表した。

その後、ヴィアナを解放し、自らは逃走する。

逃走している間、パレハはテレビ局やラジオ局を訪れインタビューに答えた。

そして、常に警察を嘲ったり挑発したりする発言を行った。

また、特定の自治体へ赴き、その都度、捕まらずに逃げる事が出来た。


1996年4月、パレハはアパレシーダ・デ・ゴイアニアのゴイアス刑務所で7日間に渡って反乱を指導した。

この結果、パレハと囚人43人がゴイアス裁判所の職員等を人質にとり、逃走した。

パレハは3つの州に渡り政府への反抗や抵抗を見せ、貧しい人を標的にしなかった事から山賊、強盗として国民から強い関心と支持を得た。


同年12月、約1年3ヶ月後についにパレハは逮捕される。


パレハは暴行と誘拐で起訴されるが、同年12月6日、脱獄の計画について囚人に話すが、裏切られて殺害された。

享年22歳。


最後に記者団に対して述べたパレハの発言で終わりたいと思います。

「危険がなければ私は存在しない。私は偉大な犯罪者ではないが、確かに警察よりも賢いだろう」



《犯罪》
暴行、誘拐

《犯行期間》
1995年9月~1996年12月



∽ 総評 ∽

ホテルを強奪し、上院議員の姪を拉致、その後も囚人の脱獄を手伝ったりと、約1年3ヶ月3州に渡って犯罪を繰り返した。

ただ、パレハは基本的に誰も殺害せず、しかも、相手にしたのは主に政府や国であった為、パレハを応援したり支持する国民が多くいた。

アメリカでもあるが、よく国や政府相手に暴れる犯罪者は英雄視される事がある。

だが、やってる事はただの犯罪である。

上院議員の姪も恐怖で生きた心地はしなかったであろうし、これがトラウマになってもおかしくない。

上院議員を誘拐するのならまだしも何の関係もない姪を誘拐している時点でとても擁護出来ない。

最後は脱獄計画を囚人に話して裏切られて殺される。

つまらない犯罪者に相応しい最後である。