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マテウス・メイラ (ブラジル)
【 1975 ~      】



マテウス・ダ・コスタ・メイラは、1975年4月4日、ブラジル・サルヴァドールで生まれた。

父親は医者で家庭は裕福であった。

メイラは両親から十分過ぎるお金を定期的に受け取り、悠々自適な生活を送っていた。

メイラは特に『Duke Nukem 3D』というゲームを好んでプレイした。

このゲームは一人称シューティング・ビデオゲームで、街や軍事基地、砂漠や月面などあらゆる場所でエイリアンを撃ち倒す当時は暴力的で過激なゲームといわれていた。

また、違法にコピーされたソフトウェアの膨大なコレクションを所有していた。

メイラは恥ずかしがり屋で内向的であり、物事に無関心であった。

その為、学校での成績は悪かった。

精神的に問題であったメイラは、統合失調症パーソナリティ障害と診断される。

医学部に進学したメイラは、1999年になると性格が変わり、麻薬密売人と接触するようになる。

ただ、周囲からは穏やかで落ち着いた人物に見られていた。

メイラはMAC-11サブマシンガン (M10の小型モデル、マシンピストルに分類される) を購入する。

この銃は5000ブラジルレアル (約15万円) で違法に購入したものだった。


同年11月3日午前9時過ぎ、モルンビショッピングの映画館で「ファイトクラブ」が上映された。

約50分経った午前10時10分頃、メイラは映画館5号室に入った。

「ファイトクラブ」を15分程見てからトイレに行き、サブマシンガンでトイレの鏡を撃った (試し撃ちだと思われる) 。

シアタールームへ戻り、映画が上映されているスクリーンの前に立つと、天井に向かって発砲した。

観客はメイラの発砲が映画館の演出だと思い、特に驚きも怖がりもしなかった。

しかし、続いて壁を撃つと観客は異変に気付き、怯えた観客が席の後ろに隠れた。

その後、観客に向かって無差別に発砲し、銃を装填しようとした時に観客の1人がメイラに飛び掛かり、押さえ付けた。

その後、駆け付けた警察官によって逮捕されるが、約3分間の発砲で1人が即死、2人が病院に搬送され、その後病院で死亡した。

負傷者は4人であり、メイラは医学部卒業からわずか16日後の犯行だった。

また、メイラの動機ついては本人が一切語らない為不明であった。

メイラは7年前から犯行を計画しており、「ファイトクラブ」が上映している場所を選んだ理由は、主人公が統合失調症であり、自分と同じ境遇であったからだった。

実は警察は銃撃前からメイラが麻薬所持やCD改竄という2つの罪で捜査を行っていた。

その為、事件後、メイラの部屋を調べるといくつもの海賊版のCD、クラックコカイン、多くの弾薬を見つけた。

裁判でメイラには120年の禁錮刑が言い渡された。

メイラの弁護士は精神状態を考慮すると、せめて判決の半分でないと容認出来ないと主張した。

その為か後にメイラの判決は48年9ヶ月に減刑された。

メイラはトレメンバーの刑務所に収監され、その後、サルバドールにある刑務所に移送された。


2009年5月8日、メイラはセルメイトのスペイン人、フランシスコ・ヴィダル・ロペス (68歳) をハサミで襲い殺害しようとした。

ロペスは一命を取り留めたが、殺害しようとした理由はテレビの音量が大きかったからであった。


ロペスへの襲撃で再び裁判にかけられるが、精神異常を理由に2011年に起訴は棄却された。

メイラはサルバドールのHCT (治療と管理の病院) に移送が決定され、現在もそこで治療を受けている。



《殺人数》
3人 (他負傷者4人)

《犯行期間》
1999年11月3日



∽ 総評 ∽

『Shopping mall Shooter (ショッピングモールの狙撃手』または『Cinema Shooter (映画館の狙撃手) 』と呼ばれた映画館での銃撃事件。

銃乱射事件といえばアメリカの専売特許だが、映画館での銃乱射といえば、2012年にアメリカ・コロラド州オーロラでジェームズ・イーガン・ホームズが12人殺害した事件が有名である。

メイラは統合失調症を患っており、映画館を銃撃場所に選んだのもそれが理由であった。

メイラの父親は医者で、かなり裕福な家庭であった。

父親は医者なのに息子の病気に気付かなかったのだろうか。

また、メイラはシューティングゲームに没頭していたが、それが要因であったとも言われている。

以前から言っているがゲームが悪いのではない。

正直、裕福な家庭で甘やかされて育った事が1番の原因だと思われる。