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セドリー・アリー (アメリカ)
【 1955 ~ 2006 】



セドリー・アリー (1955年8月16日生) は、アメリカ海軍の兵士であり、アメリカ・テネシー州シェルビー郡ミリントンにある海軍基地に駐屯していた。


1985年7月11日夜遅く、アリーは車を走らせると、基地でジョギングしている軍人のスザンヌ・マリー・コリンズ (19歳♀) に誤ってぶつかってしまう。

焦ったアリーはコリンズを拉致する。

アリーはコリンズを近くのエドモンド・オルギル・パークへ連れて行くと強姦し、何度も殴った。

激しく殴られた為、頭蓋骨は骨折した。

そして、膣に木の枝を繰り返し押し込み、あまりの激しさに腹部を貫通し肺に到達した。

アリーはコリンズの死体を捨てその場から逃走した。

コリンズが拉致された場所近くでジョギングしていた2人の海兵隊員がコリンズの悲鳴を聞く。

2人が声が聞こえた方へ向かうと、車が走り去るのを見た。

海兵隊員は保安基地へ向かい、警察官と共に車を探した。

しかし、見つける事が出来ず、やむを得ず兵舎へ戻った。

だが、海兵隊員はすぐに警察官に呼び戻され、警察官によって路地で止められた車を特定した。

車にはアリーと妻が乗っており、女性の悲鳴が聞こえた現場を走り去った事を問い詰めた。

しかし、アリーは知らないと述べる。

だが、2人の海兵隊員が現場で聞いた独特のマフラー音とアリーの車のマフラー音が同じ事に気付く。

ただ、この時点では誰かが行方不明になったという報告はなかった為、アリーは基地内にある住居に戻った。


翌日の12日、ルームメイトがコリンズが行方不明だと報告すると、すぐに保安官代理がコリンズの遺体を発見する。

そして、その日の内に軍警察によりアリーが逮捕された。

アリーは自発的にコリンズ殺害を認めたが、殺害の状況について嘘を説明した。

犯行前にアリーはビール6パックとワイン1ボトルを飲んでおり、酔っ払っていたと述べた。

また、間違ってぶつかってしまい、助けようとしたが、持っていたドライバーが誤ってコリンズに落ちた為、死んでしまったと主張した。

だが、剖検を行うとコリンズが執拗に頭部を殴られ頭蓋骨が骨折している事が判明し、ドライバーによる傷は1つもなかった。


弁護士はアリーが人格障害を抱えていると陪審に主張するが、1987年3月18日、殺人で有罪判決となり、同年5月17日、死刑が言い渡された。

また、誘拐と強姦で懲役40年が追加された。


1990年5月2日、アリーは電気椅子による死刑が執行される予定であったが、裁判所により無期限猶予となった。


2006年6月28日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年50歳。

アリーのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、ピザ、アイスクリーム、アイス、ミルクであった。

アリーの死刑執行は、テネシー州としては1960年以来2人目であった。


最後に処刑前のアリーの発言で終わりたいと思います。

「子供たちへ。エイプリル、デイビッド聞こえますか?私はあなた達を愛しています。強く生きて下さい」



《殺人数》
1人

《犯行期間》
1985年7月12日



∽ 総評 ∽

酔って車を運転し、ジョギングしているコリンズを誤ってぶつけてしまったと述べたアリーだが間違いなく故意にぶつけたと思われる。

犯行の様子を見ればそれは一目瞭然であり、おそらく日頃からコリンズの事を知っており気になっていたのだろう。

ただ、駐屯地で軍人が軍人に対して犯行に及ぶというのはそうある事ではなく、コリンズもまさかそんな事になるとは夢にも思っていなかったであろう。

アリーは一旦無期限の死刑執行猶予となったが、その理由が全くわからない。

結局は執行されたので良かったが、16年も経った後だった。

軍人だったからか、テネシー州が死刑に非常に消極的だからかわからないが、本人や遺族の気持ちを安易に踏みにじらないで欲しいものである。