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ジェシー・ドットソン (アメリカ)
【 1974 ~      】



1994年1月8日、アメリカ・テネシー州メンフィスで、ジェシー・ドットソンは麻薬取引でハレ・コックス () を殺害する。


同年11月21日、有罪判決となったドットソンに懲役18年が言い渡された。


2007年8月27日、ドットソンは仮釈放となり出所した。


2008年3月1日、ドットソンは弟のセシル (30歳) の家に行った。

家にはセシル、父親のジェシー・シニア、5人の甥や姪、セシルの婚約者マリッサ・ウィリアムズ (27歳) 、異母兄弟ウィリアム・ワデルがおり、家族はバスケットボールの試合を見た。

試合が終わると父親は家を去り、ワデルも夜遅くに家を去った。

翌日の2日早朝、酒に酔ったドットソンはセシルと口論となる。

腹を立てたドットソンは銃を取り出しセシルを射殺する。

セシル殺害後、2つの銃とボード (木の板) 、いくつかのナイフを持ち出した。

そして、ウィリアムズを射殺し、家にいた友人のホリス・シールズ (33歳♂) 、シンドリ・ロバーソン (22歳♂) を射殺する。

その後、5人の甥を襲い、セシルの子供セマリオ (4歳♂) とセシル・ジュニア (2歳♂) を刺殺した。

セシルの子供達の母親であるエリカ・スミスが、日曜日に子供達と会う約束であった。

しかし、いくら待ってもセシルが現れず、おかしいと感じたスミスは警察に通報する。

警官達が家へ赴き中に入るとその凄惨な様子に唖然とする。

最初に入ったランダル・デイビスは、
「入るなり死体の臭いがした。人の足が床に横たわっているのが見えた」
と初めの様子を後に述べている。

そして、セシル、ウィリアムズ、シールズ、ロバーソンと大人の遺体を見つけ、全ての遺体に銃創があった。

浴槽で甥のCJ (9歳♂) が頭にナイフが刺さった状態で見つかるが生きていた。

寝室でセマリオとセシル・ジュニアの遺体が見つかり、別の部屋で甥のセドリックと姪のセニアは死んでいるように見えたが生きていた。


事件から5日後の7日、ドットソンは逮捕される。

裁判が始まると、現場に駆けつけた消防士が出廷し、
「どこもかしこも血だらけで、混乱していた。ナイフが頭に刺さった光景を見た時、これまで人生で見てきた中で最悪のものだった」
と中の様子について証言した。


2010年10月11日、ドットソンは6件の殺人と3件の殺人未遂で有罪判決となり、翌日の12日、6つの死刑が言い渡された。

判決を言い渡されたドットソンだったが、ほとんど表情を変える事はなかった。


同年11月8日、殺人未遂40年の3つ分、合計120年の懲役刑が追加された。

この事件はメンフィスにおける最悪の大量虐殺事件の1つとされている。



《殺人数》
7人 (他3人負傷)

《犯行期間》
1994年1月8日、2008年3月2日



∽ 総評 ∽

弟との口論の末、そこにいた者ほとんどが殺害されるという凄惨な事件となったが、どのような会話でそうなったのかは詳細がなくわからない。

ただ、酒に酔っていた事と、元々殺人を犯すような鬼畜なので、こうなってしまうのも不思議な事ではない。

口論となった弟や目撃者となってしまう大人だけを殺害するならまだしも、まだとしはもいかぬ甥や姪5人を襲うというのはただの鬼畜に過ぎない。

そもそも最初の殺人で死刑や終身刑となっていれば起こる事はなかった。

おそらく相手が麻薬絡みであった事から刑が軽くなったのではないかと思われる。

この最初の殺人で死刑になっていれば全て丸く収まった話であり、残念という他ない。