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オッティリー・クリメク (アメリカ)
【 1876 ~ 1936 】



オッティリー・ティリー・クリメク (出生名オッティリー・グブレク) は、1876年、ポーランドで生まれた。

両親はクリメクがまだ乳児の時にアメリカへ渡った。


1895年、クリメクはジョン・ミツキェヴィチと結婚した。


1914年、ミツキェヴィチが短い病気の期間を経て死亡する。

死亡診断書には死因は心疾患と記載された。

ミツキェヴィチ死亡後、クリメクはすぐに近所に住むジョセフ・ライコスキーという男性と再婚した

だが、ライコスキーもしばらくして死亡した。

その後、クリメクはフランク・クプチクと結婚する。

だが、クプチクは隣人に「長く生きられない」と日頃から告げていた。


隣人は冗談だと思っていたが、クプチクは1921年に死亡する。

クプチクの死後、クリメクはジョセフ・クリメクと結婚する。

だが、結婚して間もなくジョセフは病気となる。

医師がジョセフ診察するが、すぐにヒ素中毒を疑った。

そして、検査をすると、ジョセフの体内からヒ素が検出された。

クリメクはすぐに逮捕される。

クリメクを調査すると、歴代の夫が不審死している事がわかり、すぐに発掘され検査が行われた。

すると、致死量のヒ素が検出された。

従姉妹のネリーはクリメクが夫クプチクにうんざりしていると話していた事を警察に告げた。

ネリーはクリメクに離婚を提案するが、クリメクは、

「他の方法で彼を取り除くつもりだ」

と述べたと話した。

その後、2人の女性 (親戚や隣人) が亡くなっている事が判明する。

2人はクリメクと喧嘩し、直後にクリメクからキャンディをもらい舐めた後、深刻な病気となった。

また、クリメクが日頃から悩まされていた近所の犬もヒ素中毒で死亡した。

クリメクとネリーの従兄弟や親戚の数人が、クリメクの家で食事を摂った後、重病になっている事が判明した。

警察はクリメクによる犯行ではないかとされた被害者20人をピックアップした (その内14人が死亡していた) 。

クリメクは3人の夫の死について夢で見たと予言のように告げていた事がわかった。

ただそれは殺害する日を言っているだけであった。

また、最初の夫ミツキェヴィチは、日頃から暴力に悩まされており、それが理由で殺害したのではとされた。


1923年3月、クリメクはクプチク殺害で有罪判決となり、終身刑が言い渡された。

この判決は当時、クック郡の女性に下された判決としては最も重い刑であった。


1936年11月20日、クリメクは刑務所で死亡した。


最後に逮捕した警察官に告げた発言で終わりたいと思います。

「私が次に夕食を作りたいのはあなたです」



《殺人数》
5人 (14人の可能性あり)

《犯行期間》
1914年~1921年



∽ 総評 ∽

彼女の動機がいまいちわからない。

こういった夫を殺害するいわゆる「ブラック・ウィドウ」は動機のほとんどが保険金目当てによるものだ。

だが、クリメクは保険金を受け取った形跡はない。

殺害後にすぐに結婚している事から、不倫や他の男性を好きになった事で夫が邪魔になったから殺害したのかもしれないが、どうも腑に落ちない。

もしそうなら次の夫ともそれなりに続くはずであるが、数年で殺害に至っている。

最初の夫には暴力を振るわれていたとされるが、仮にそうだとしてもおそらくそれが殺害の動機ではないように思う。

隣人や親戚を喧嘩してムカついたからといって殺害するくらいの人間なので、そもそも冷酷で冷淡なただの快楽殺人鬼に過ぎない。