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イゴール・シュプルンヤク (ウクライナ)
【 1988 ~      】



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ヴィクトル・サエンコ (ウクライナ)
【 1988 ~      



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アレクサンドル・ハンザ (ウクライナ)
【 1988 ~      】



ヴィクトル・サエンコ (1988年3月1日生) とアレクサンドル・ハンザ (1988年2月生) は、幼い頃からの友人であった。

サエンコの父親は弁護士で裕福な家庭であった。

ハンザの父親は検察官で、サエンコ同様裕福な家庭であった。

そんな裕福な家庭で育ったサエンコとハンザは、父親の血を受け継ぎ成績優秀であった。

その後、イゴール・シュプルンヤク (1988年4月20日生) が地域に引っ越して来る。

シュプルンヤクの父親も著名な弁護士であり、裕福な家庭で何不自由なく育った。

サエンコとハンザは小学3年の時にシュプルンヤクと友人となるが、それ以降、サエンコとハンザの成績は下がり始める。

この頃のシュプルンヤクは教師によると恥ずかしがり屋で引きこもりがちであったが、粗暴な振る舞いが多く、よく喧嘩をする問題児であった為、学校では有名であったという。

小学5年になるまでにシュプルンヤクは通過する列車に向かって岩を投げて警察に注意されている。

中学2年の時、サエンコとハンザは身長があまり伸びていない事からいじめられるのではないかと心配し、シュプルンヤクに相談した。

シュプルンヤクはサエンコとハンザに高い場所でぶら下がるよう指示し、2人はアパートの14階のバルコニーから手摺に何時間もぶら下がった。

このぶら下がりで身長が伸びたのかは不明だが、高所への恐怖を払拭する事が出来、自信を持つようになった。

シュプルンヤク17歳の時、少年を殴って自転車を奪い、その自転車をサエンコに売った。

シュプルンヤクとサエンコは逮捕されるが、
年齢を考慮され刑務所に行く事はなかった。

高校卒業後、ハンザはパティシエや建設労働者等、様々な仕事に就いた (後に逮捕された時は無職であった) 。

サエンコはパートタイムとして冶金研究所へ赴き、後に警備員として働いた。

シュプルンヤクは高校を卒業しても働かず、両親から誕生日プレゼントとして与えられた車を塗装し、タクシーとして使用して生計を立てた (当然無許可)


2007年、シュプルンヤクはサエンコとハンザと協力し強盗を始める。

シュプルンヤクの無許可のタクシーに乗客を乗せ、強盗に及んだ。

また、シュプルンヤクとサエンコは野良犬を捕まえると拷問し、殺すと木から吊り下げ解体した。

そして、犬の死骸の隣に立ち写真を撮った。

更に2枚の板で十字架を作り、それに子猫を釘で打ち付けると接着剤を口の中に流し込み、2丁の銃で撃って射殺した様子をビデオで撮影した。

シュプルンヤクは動物の血でマンジやシンボルを描き、ヒトラーの敬礼のポーズをした写真を撮らせた。


同年6月25日、エカテリーナ・イルチェンコ (33歳♀) は友人の住むアパートでお茶を飲み、家路に着いた。

シュプルンヤクとサエンコはハンマーを持って散歩に出掛けると、たまたまイルチェンコを見掛ける。

イルチェンコが2人とすれ違うと、シュプルンヤクが振り返りイルチェンコの側頭部をハンマーで殴って撲殺した。

イルチェンコの遺体は午前5時に母親によって発見された。

イルチェンコ殺害から1時間も経たないうちに、シュプルンヤクとサエンコは最初の犯行現場から程近い場所で、ベンチで眠っていたロマン・タタレヴィッチ (♂) の頭部を鈍器で何度も殴り殺害した。

頭は完全に砕け、それは発見時、誰だか認識出来ない程であった。


同年7月1日、エフゲニヤ・グリシェコ () とニコライ・セルチュク () がノボモスコフスクで殺害される。


同年7月6日夜、退役したばかりの元陸軍兵士エゴール・ニチュヴォラダ () が、ナイトクラブから家に向かって歩いている所を襲われ殺害される。

翌朝、ニチュヴォラダの母親によって遺体が発見された。

同じ日の夜、シュプルンヤクとサエンコが道を歩いていたエレーナ・シュラム (28歳♀) とすれ違うと、シュプルンヤクはシャツの下に隠していたハンマーを取り出しシュラムを殴った。

衝撃で地面に倒れると更に数回殴って殺害した。

シュラムは服の入ったバッグを持っていたが、シュプルンヤクはその服でハンマーに付着した血を拭き、バッグを捨てた。

更に同じ日の夜、母親と障害を持つ夫と暮らすヴァレンティナ・ハンザ () を殺害した。


翌日の7日、ピドホロードネのアンドレイ・シデュク (14歳♂) とヴァディム・リャホフ (14歳♂) の少年2人が釣りに出掛けた所を襲われる。

シデュクは殺害されるが、リャホフは森の中に逃げ助かった。


同年7月12日、セルゲイ・ヤツェンコ (48歳♂) がバイクに乗って出掛けた後、行方不明となる。

ヤツェンコは最近癌を患い体が動かない事があったので、運転中に事故に遭ったのではと思われた。

しかし、行方不明となってから4日後の16日、ヤツェンコのボロボロの遺体が発見された。

遺体は事故なんかではなく、凄惨な暴行を受けていた事がわかった。


同年7月14日、ナタリア・ママルチュク (45歳♀) がスクーターに乗り、樹木が生い茂ったエリアを通過した時、シュプルンヤクとサエンコがママルチュクを転倒させる。

そして、2人はハンマーや鉄パイプで滅多打ちにして殺害した。

殺害後、シュプルンヤクとサエンコはママルチュクのスクーターに乗って逃走するが、地元の目撃者が犯行に気付き2人を追い掛ける。

しかし、目撃者は途中で見失ってしまった。


その後、同年7月14日から16日の間に毎日2人の犠牲者が見つかり、結局、6月25日から7月16日の3週間の間に21人が犠牲となった。

犠牲者は子供や高齢者、浮浪者であり男女関係なく無作為に選ばれた。

ただ、反撃を受けずらい弱者を標的とし、ほとんどの犠牲者がハンマーや鉄の棒等の鈍器で殴られ殺害された。

また、しばしば顔面を激しく殴られており、誰か認識出来ない者も多数いた。

多くの犠牲者が拷問を受け、殴られ切断され生きている間に目をくり抜かれた者もいた。

妊婦も1人殺害されたが、胎児が子宮から切り取られていた。

ただ、殺害された女性は全員強姦された形跡はなかった。

全員ではないが一部の犠牲者は携帯電話やその他貴重品を奪われ、それらは中古店に持ち込まれていた。

だが、大抵の犠牲者が所持品は奪われておらずそのままにされており、ほとんどの犯行がドニエプロペトロフスク州周辺で行われた。


②に続く



* 追伸 *

この3人の記事は以前掲載しました。
ただ、個人的に納得いく内容ではなく、いつか作り直したいと思っていました。
掲載しておいて言うのもなんですが、過去 (特に2014年~2015年) の記事は最初の頃という事もあり基本的にあまり納得のいく内容でないです。
今後も過去の記事を作り直していこうと思います。
1度掲載した記事なので新鮮味は全くないですが読んで頂ければ嬉しいです。