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バーナード・ピーターズ (アメリカ)
【 1941 ~      】



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スコット・ピーターズ (アメリカ)
【 1968 ~      】



バーナード・ピーターズは、アメリカ・ニューヨーク州シラキュースとその周辺で育った。

バーナードは1950年代後半から1960年代初頭にアメリカ海軍で衛生兵を務めた。

その後、クイーンズで青少年コミュニティセンターを運営した。

この頃、サンドラという名の女性と結婚し、3人の子供が生まれるが、3人目がスコット (1968年5月8日生) であった。

スコットが生まれた1968年には一家はファーロックアウェイに住んでいた。

スコットが生まれた頃にはバーナードは牛乳屋として働いていた。


1972年、スコットが4歳の時、母サンドラが稀な血液疾患により30歳という若さで死亡してしまう。

バーナードは子供達を連れシラキュースに戻り、親戚や友人の助けを借りてスコットら3人の子供を育てた。

その後、バーナードは再婚し、新たに子供が生まれた。

スコットは高校を中退し、年齢を偽ってレストランで働こうとするがバレてしまう。

結局、スコットは建築業で働き、10代後半までバーナードと一緒に暮らした。


1987年、スコットは18歳の時にアドリアンヌという女性と結婚し、バーナードのもとを離れアパートに移り住んだ。

ある日、隣人が大音量でパーティーを行っていた為、注意しに行くが拒絶される。

これに腹を立てたスコットは12ゲージのショットガンとナイフで武装し、隣人を脅した。

スコットは逮捕されるがすぐに釈放される。


1989年、スコットはアドリアンヌを軽蔑し暴行した為、警察に通報された。

スコットはアドリアンヌを人質にとって立て籠った。

7時間経過した後、SWATチームが派遣される騒ぎとなり、催涙ガスにより地下室に追いやられ、間もなくスコットは逮捕された。

アドリアンヌはインタビューで、
「彼は私を人質に取っている間、ずっと『殺すつもりだ』と言い続けていた」
と語っている。

裁判でスコットはアドリアンヌと6ヶ月間離れ、精神医学的検査を受けるよう指示された。


バーナードは1990年代初頭まで妻とニューヨーク州リバプールに住んでおり、ボーリング場で働いていた。

この頃、スコットはバーナードの元に戻り、一緒に生活を始めた。


1995年夏、バーナードとスコットは強盗を行い、2900ドル (約30万円) を盗んだ。


同年8月26日、リサイクルショップのマネージャー、メアリー・ハロラン (61歳♀) が金の入ったバッグを運んでいた所、バーナードとスコット親子に襲われる。

バーナードがリサイクルショップの駐車場でハロランを撃ち、バッグを奪って逃走した。

ハロランは右太腿を負傷するも一命を取り留めた。

バッグには726ドル (約7万円) が入っていた。

バーナードとスコットは強盗で起訴された。

警察が家宅捜索を行うと、銃やライフル、ナイフやヌンチャク、多くの弾薬が見つかった。

バーナードとスコットは犯罪に対して反省の弁を表明した。

捜査官がハロランを襲う事をどちらが考えたかバーナードに問うと、

「覚えていない」

と答えた。

また、同じ質問をスコットに行うと、

「私たちは一緒にその場にいた」

とだけ答えた。

陪審による7時間の審議の末、2度の殺人未遂、強盗等の罪でバーナードとスコットは有罪となった。


1996年5月7日、裁判官パトリック・カニンガムは、
「私は何故あなたがこのようにまったく邪悪で無意味な事をするのか教えてくれるものを探していますがみつかりません。あなたが突然狂ったのはコカインが原因だと思う。あなたはコカインに夢中になりコントロールを失った」
と薬物が原因だと指摘した。

撃たれたハロランは法廷に立ち、
「私は旅行の代わりに日々治療に費やされている。毎日病院に行きます。多くの手術を受けなければなりません。私は仮釈放の可能性がない囚人のようなものです
と裁判官に述べ、2人に最大の刑を望んだ。


翌日の28日、スコットには28年から50年の不定期刑が言い渡された。

バーナードには当初スコットより重い刑が言い渡されたが、後に州の判決により25年から50年の減法刑が施行された。

判決が言い渡されると、カニンガムは法廷の片隅で親戚と集まる事を許可し、バーナードとスコットは家族と抱き合い涙を流した。

2人はエルミラにある刑務所に収監されたが、2000年にスコットが警備員を脅迫して独房に入れられた時以外は基本的に2人で同じ監房で過ごした。

2人は一緒に夕食を食べ、寝るまで仲良くテレビを観て過ごした。


2011年5月1日まで5455日間、ほぼ全ての時間を共に過ごし、部屋は家族の写真で埋め尽くされていた。

2人が仮釈放の資格を得るのは2020年である。


最後にバーナードが法廷で述べた発言で終わりたいと思います。

「 (事件は) 私のせいです。私は間違っている事をよく知っていました。子供たちと一緒に仕事をして正しい事をしようとしましたがただ上手くいかなかった。だから私は間違えた事を始めた。銃を取って外に出てお金を得たが、それは間違った事だった」



《殺人数》
0人 (負傷者2人)

《犯行期間》
1995年~同年8月26日



∽ 総評 ∽

『Crazy Bernie (狂ったバーニー) 』と呼ばれたバーナードだが、ピーターズ親子の犯行自体は殺害された犠牲者もおらず、これまで紹介してきた凶悪犯に比べそれほど凄惨なものではない。

ただ、親子といえど何故これ程の結束力で犯行に及んだのか不思議である。

また、なぜバーナードが子供の中でスコットだけを犯罪の共犯者に選んだのかわからない。

バーナードには他に子供や孫など家族が多くおり、仲睦まじい様子が確認出来る。

まさか父親や兄弟が無罪だと思っていないだろうが、まるで犯罪者ではないかのように接した画像が目についた。

異常親子の家族もまた異常という事か。