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マヌエル・ノリエガ (パナマ)
【 1934 ~ 2017 】



マヌエル・ノリエガは、1934年2月11日、パナマの首都パナマ市で生まれた。

家は貧困で5歳の時に親と別れた。

その後、児童施設に預けられ、治安の悪い市場で育った。

貧困地域で育ったノリエガは、小柄でニキビ顔を理由にいじめられた。

だが、ノリエガは将来立派な人間になる事を志し、勉学に勤しんだ。

元々賢かったノリエガは、常にクラスでトップの成績を修める優等生であった。

ノリエガは市内で1番の高校に入学する。


1950年代、アメリカのパナマ運河支配によりパナマ国内では学生による反米感情が高まっていた (アメリカがパナマ運河を支配していたのは1903年にパナマ運河の建設権を得ていた為。ちなみにパナマに完全に返還されるのは1999年) 。

この反米を目の当たりにしたノリエガは、自身も反米感情を抱くようになり、それが向上心への糧となった。

ノリエガは高校の卒業アルバムに、

『精神科医とパナマ大統領になる事が夢』

と綴っている。

だが、当時のパナマはわずか1割にも満たない白人層が権力を握っており、アフリカ系とヨーロッパ系を先祖に持つノリエガには出世は厳しかった。

そんなノリエガは医学校に入る事が出来なかった。

成績では問題なかったものの、用意されていた席が限られており、それを上流階級の白人達が牛耳った為だった。

士官学校に通う友人と出会うと、ノリエガは軍人になる事を志した。


1958年、士官学校の奨学生となるチャンスを得ると、持ち前の知能と適切な状況判断、観察眼で学校では優等生であった。


1962年、士官学校を卒業すると、パナマ国家警備隊に入隊する。

数ヶ月後、少尉となったノリエガはパナマの中心にあるコロンへ着任した。

ここで上官のオマール・トリホスと出会い、そのカリスマ性にノリエガは影響を受ける。

諜報活動についてアメリカ陸軍米州学校で学んでいたノリエガをトリホスは警備隊の諜報部に配置する。

訓練には脅迫や拷問も含まれており、ノリエガはそれらを駆使し、諜報活動の才能はずば抜けていると評価される。

トリホスはノリエガの才能を認め、その右腕となった。


1968年、トリホスはノリエガの活躍もあり警備隊の最高権力者となった。

だが、新たに大統領となったアリアスが、軍部の台頭を懸念し、国家警備隊の粛清を始めた。

アリアスはトリホスにエルサルバドルへの駐在を告げる。


しかし、同年10月11日、トリホスは軍隊を率いてクーデターを起こし、ノリエガもアリアスの政治基盤であったチリキ県でラジオ局と電話局を閉鎖する。

アリアスを助ける者はおらず、トリホスが支配権を獲得する。


パナマのトップとなったトリホスは、1972年に新憲法を制定して全権を掌握した。

トリホスはノリエガを諜報機関「G2」の最高責任者に任命する (同時に中佐となっている) 。

ノリエガはトリホス政権の監視役となり、情報を収集してあらゆる手を駆使して政敵を潰した (トリホス政権に敵対していたエクトル・ガリェゴを葬ったとされている) 。

また、同時にアメリカに南米の活動家や左派勢力の情報を秘密裏に送っていた。

こうしてCIAから金を受け取り、アメリカが求めた事を何でもこなした。

1970年代はアメリカにとってノリエガは中南米についての重要な情報源であった。

キューバの革命を恐れるアメリカはノリエガからキューバの情報を得ていたが、実はノリエガはキューバのスパイでもあった。


だが、1976年10月26日、アメリカ国防情報局がノリエガを「潜在的な独裁者」と危惧し、トリホスも次第にノリエガを警戒するようになる。


1977年9月、トリホスはアメリカ大統領カーターとパナマ運河返還を約束する条約を締結する (返還までの猶予期間は22年間) 。

だが、パナマ運河返還には国の民主化が条件にあり、それを認めたトリホスに対し、ノリエガは納得していなかった。


1981年7月31日、トリホスを乗せた飛行機が墜落し、トリホスが死亡してしまう (証拠はないがノリエガが事故を指示したとされる) 。

トリホスの死により、政権ナンバー2であったノリエガが後継者として注目される事となる。


1983年8月、ノリエガはパナマ軍最高司令官に就任し、事実上パナマのトップに君臨した。

だが、トリホスがアメリカと約束した民主化による選挙を行わなければならず、選挙では勝てないと考えたノリエガは、自身の傀儡にすべきN・バルレッタを大統領候補に据えた。

不正によりバルレッタが大統領となると、表面上は民主国家であったパナマは実際はノリエガが支配する独裁国家となった。

ノリエガはコロンビアのメデジン・カルテルと結び付き、パナマから欧米にコカインを密輸した (後にアメリカに武器も売った) 。

また、反米国家のリビアやキューバにアメリカの情報を売り、国の財源を掠め取った。

こうしてノリエガは数年で1000万から1500万ドル (約20億~30億円) を手に入れた。


1980年代初頭には3億5000万ドル (約500億円) 以上を貯め込んでいたノリエガは、高級車や大豪邸に散財し、世界中の土地を買った。


しかし、1985年9月17日、永らくノリエガの不正を糾弾していた活動家スパダフォラが何者かに殺害される。

遺体は郵便袋に入れられ、コスタリカ川に捨てられていたのだが、首がなかった (検死の結果生きながら首を切られた事がわかった) 。

ノリエガがやった証拠はなかったが、犯人は誰の目にも明らかだった。

パナマ国民はスパダフォラ殺害に憤慨し、ノリエガを激しく責め立てる。


1987年5月、ディアス・エレーラが4年前にノリエガと交わした権力の座を譲るという約束を迫るが、ノリエガは拒否する。

ノリエガはエレーラを罷免し、外交職に就けた。

エレーラはマスコミを利用して痛烈にノリエガを非難し、1984年の大統領選での不正を告白した。

これによりパナマ国民は各地でノリエガに対する抗議デモを起こした。

怒りのデモはパナマ市内で10万人にも及び、これに対しノリエガは暴力で制圧に及んだ。

これらの様子が全世界に報道されると、アメリカが行動に出る。


同年7月26日、アメリカはノリエガ退任の要求を行い、ノリエガ失脚を画策する。

麻薬密売や資金洗浄の罪で起訴も行った (ただこの時までCIAの協力者名簿にはノリエガの名前があった) 。

だが、ノリエガは退任するつもりは全くなかった。


1989年5月7日、起死回生とばかりに大統領選に出馬するが、対立候補に歯が立たず、敗北が決定すると軍を上げて選挙を強引に無効にした。

パナマ市内は反ノリエガで埋め尽くされ、ノリエガは私兵によって鎮圧に出る。

アメリカの新大統領ブッシュもこれらパナマの国勢を憂慮し、再び退任を要求する。

だが、ノリエガは再度要求を無視した。

ノリエガはアメリカがパナマの主権と領土を侵害していると非難した。


同年12月16日、軍の検閲所付近でパナマ兵がアメリカ人の車に発砲する事件が起こる。

ブッシュ大統領は、
「パナマに滞在するアメリカ人の命を守る。我々は命を危険に晒すあの独裁者を許さない」
と演説し、パナマ侵攻を決める。


同年12月20日、ノリエガを捕らえる為、総勢2万7000ものアメリカ軍がパナマ市内に侵攻した (アメリカ軍の侵攻としてはベトナム戦争以来の規模であった) 。

パナマ市内はアメリカ軍に掌握され、ノリエガは自国軍に何1つ指示を出さずにひたすら逃げ続けた。

この侵攻で1000人以上のパナマ人が死亡した。

その後、ノリエガはパナマ市内のバチカン大使館に駆け込み助けを求める。


1990年1月3日、ノリエガは条件付きでアメリカ軍に投降した。

軍服を着てカメラの前で堂々とした姿で振る舞おうとしたノリエガだったが、軍服を脱がされ半袖のTシャツ姿で写真を撮られた。

 
1992年4月9日、ノリエガに麻薬の密売、不正資金の洗浄等の罪で有罪判決が下され、禁錮40年が言い渡された。


アメリカ・フロリダ州マイアミの刑務所で服役していたノリエガは、模範囚であった事から2007年9月9日、仮釈放された。


だが、フランスでも訴えられていたノリエガは2010年4月26日にアメリカ政府によってフランスへ引き渡され、同年7月7日、パリの裁判所で禁錮7年が言い渡された。


2011年12月11日、ノリエガはパナマへ送還され、22年振りに母国の地を踏んだ。


2017年3月7日、脳腫瘍の手術の後、死去した。

享年83歳。

余談だが、ノリエガは2012年発売の人気ゲーム『コールド・オブ・デューティー ブラック・オプス2』において「無断で名前を使用され、しかも誘拐犯や殺人者として描かれた」として訴訟を起こしている (敗訴した) 。


最後にアメリカに対して行った演説で終わりたいと思います。

「アメリカに告ぐ。お前たちなど脅威ではない。私は死を恐れていない」



∽ 総評 ∽

このノリエガはこれまで紹介した独裁者と多少立場が異なる。

独裁者は当然国のトップであるが、ノリエガは表面上は軍のトップであって国のトップではなかった (ただし実質トップといって差し支えないが) 。

ただ、自身に忠実な人物をトップに据え、裏で暗躍するというやり方は陰湿で陰険、なまじ賢い故にこういうやり方になったのだろう。

歴代の独裁者と比べ、何もかも小物感が否めないが、中でもノリエガは特にお金に執着した。

ノリエガは諜報を駆使し、アメリカに中南米の情報を売りながら中南米国家にはアメリカの情報を売った。

情報操作により富と権力を得、影で多くの国を操り支配しているような気分になっていたであろう。

だが、結局それらはアメリカの知れる所となり、圧倒的軍事力の前に成すすべなくあっさりその政権は瓦解した。

ノリエガは外交能力が皆無で、どの国がどのような状態でどのような力を保持しているのか見る目が全くなかった。

パナマ運河の件等でアメリカを嫌っていた為、アメリカと敵対するのはいいとして、そのくせ影では情報を流していた。

中途半端な徳の履行は偽善を生み、相手の不審を買うだけのこと。

アメリカを嫌い敵に回すのなら、せめてアメリカと敵対していたキューバと堅固な関係を築き協力すべきであり、ノリエガは自身の事しか考えない自分勝手のただの独りよがりといえる。

また、ノリエガはアメリカに対して大胆に偉そうに演説したくせに捕まらないよう逃げ回り、最後は条件付きで拘束されるという始末。

「脅威ではない」「死を恐れない」と息巻いたのが何だったのかと思える情けない人物である。