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デトレフ・グエンゼル (ドイツ)
【 1954 ~      】



ドイツの警察官を30年以上勤めたデトレフ・グエンゼルは、若い頃から殺人と遺体を解体する事を夢見ていた。

ハノーバーでトラック輸送事業を営んでいたヴォイチェフ・ステンプニービッチは、日頃から誰かに殺され食べられたいという空想を抱いていた。


ステンプニービッチは2010年頃からインターネットの拷問や束縛に特化した異常なウェブサイト「Longpig Heszla」に、「Butcher755」という名前で登録していた。

そこで「残酷に殺害して食べてくれる人」を募集していた。


2012年11月、ステンプニービッチは「Caligula」と名乗る男性とやり取りを行うようになる。

ステンプニービッチはどうやって殺してくれるか「Caligula」に尋ねると、体をウインチアップするように設計された自宅の仕掛けについて説明した。

ステンプニービッチが、
「部屋と設備についてもう少し詳しく説明して下さい。耐荷重はどうですか?私の体重でも大丈夫ですか?」
と問い掛けると、

「大丈夫です」

という答えが返ってきた。


2013年11月4日、ステンプニービッチ (この時59歳♂) は「Caligula」と会うが、それがグエンゼルであった。

2人はドレスデンのバス停からグエンゼルの家へ向かい、地下室へ入った。

そこでステンプニービッチの首に紐をつけてウインチアップで吊り上げ、首を絞めて殺害する。

その後、喉を切り裂き体を細かく切り刻むと血液をペイントポットに集めた。

最後に遺体を庭に埋めたのだが、全ての作業を5時間かけて行った。

しかし、ステンプニービッチの婚約者が、連絡が取れない事を不審に思い、警察に連絡した。

警察がステンプニービッチがパソコンでやり取りしたメッセージや電話番号から場所を特定し、グエンゼルは逮捕された。

グエンゼルは犯行の一部をビデオで撮影しており、それは50分に及んだ。

それにはポップミュージックが流れる中、下着だけを身に付けたグエンゼルがフックでぶら下がった裸のステンプニービッチをバラバラに解体する様子が映し出されていた。

また、骸骨の横で靴下と靴だけを身に付けた裸のグエンゼルが斧を持ってポーズをとる写真も公開された。

警察は庭でステンプニービッチの遺体を掘り起こすが全てが見つからず、残りは花壇から見つかった。

ただ、陰茎と睾丸の1つだけは見つからなかった為、検察はグエンゼルが食べたのではと判断した (本人は何も語っていない為実際食べたかは不明) 。

事件が公になると、2001年に起こったアルミン・マイヴェスの事件と犯行が非常に酷似していた事から「再来だ」として話題となりドイツ全土が震撼した。

裁判ではステンプニービッチには自殺願望があり、それをただ手助けしただけだとグエンゼルは主張した。


2015年4月1日、グエンゼルには懲役8年6ヶ月が言い渡された。

殺人ではなくあくまで自殺幇助という事での判決であった。

しかし、この判決にドイツ国民から抗議が起こる。

また、連邦司法裁判所も判決が寛大過ぎるとして裁判のやり直しを命じた。


2018年2月21日、グエンゼルには終身刑が言い渡された。


最後に裁判で述べたグエンゼルの発言で終わりたいと思います。

「本当に申し訳ないと思っています。私にも部分的な責任があります。ただ、私は殺人犯ではありません」



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2013年11月4日



∽ 総評 ∽

警察官でありながら殺人と食人の妄想を抱き続け、ついには犯行に及んだ。

グエンゼルはあくまで死にたがっていた相手の自殺を手助けしただけだと主張し、殺人ではないと述べた。

その為、当初は8年6ヶ月という信じ難い判決が下された。

日本でも前上博や座間市の白石隆浩のように自殺願望を口実に殺人に及ぶ事件が起こっている。

自殺したくてもそこまでの勇気はなく、誰かの手によって殺されたいという人は少なからずいるだろう。

以前、海外で安楽死を手伝った医師が自殺幇助で訴えられた事例があるが、残虐性や内容は全く違えど行った結果はどちらも同じではある。

確かに難しい問題ではあるが、個人的には幇助の内容で判断すればいいと思う。

以前にも述べたが病気に苦しみ楽に死にたいというような安楽死の手伝いであればそれは幇助ではないと思う (日本の法律上は自殺幇助で裁かれるが) 。

切り刻んだり食べたりといった行為に及んだ場合はそれは幇助でもなんでもなく自身の快楽を満たす為だけのただの殺人である。

ただ、日本の場合、殺人だと死刑の可能性もあるが自殺幇助だとたった6ヶ月以上7年以下にしかならない。

殺人と自殺幇助は罪としては全く違うが、一歩間違えればある意味殺人とかわりなく、その割に罪の開きが大き過ぎると感じてならない。