_20200413_065018
王 宗坊 (ワン・ゾンファン 中国)
【 1954 ~ 1983 】



_20200413_065035
王 宗 (ワン・ゾンウェイ 中国)
【 1957 ~ 1983 】



王宗坊と王宗玮の両親は中学校の先生で、3人兄弟で宗坊は次男、宗玮は三男であった。

両親は教師であったが教育熱心ではなく、子供たちをただ甘やかすだけであった。

宗坊は小学校に通っていた時、ささいな窃盗を行うようになり、それは習慣となっていった。

成長すると更に悪化し、強盗を行うようになり、1974年と1975年に2度拘留された。

1979年、宗坊は瀋陽市大東区にある遼深病院で薬剤師として働いていたが、病院で窃盗を行い逮捕され、懲役3年が言い渡された。

これは結婚してわずか3日後の出来事であった。

宗玮は1976年に陸軍に入隊した。

しかし、軍隊が解除された事で1980年に帰国した。

その後、宗玮は工場の労働者として短期間働いた。

普段の宗玮は物静かで目立たなかった為、後に逮捕された際、誰も彼を思い出す事が出来なかった。

宗坊が刑務所から釈放されると、宗玮と2人で窃盗を始めた。

宗玮が軍にいた時、駐屯地で銃と数百発もの弾薬を盗んでおり、家に隠して犯罪に備える為に準備した。

宗坊は逮捕される前、病院で働いていた為、2人は病院で窃盗を行う事に決める。


1983年1月29日、宗坊が窃盗で逮捕されるが、そこに軍服を着た宗玮が現れ、尋問を行と言って宗坊を連れ去った。

宗玮は軍服を着ていた為、誰も疑う事はなかった。

宗坊を救出し、2人の犯罪は加速していく。


同年2月12日正午、2人は瀋陽市にある軍事病院に向かい、食堂のドアをこじ開けて中に侵入した。

しかし、病院のスタッフ周仕民 (ヂョウ・シーミン) が2人を怪しみ、手術室に連れて行った。

宗坊が逃走しようとした為、周は腕を掴むが、それに腹を立てた宗坊が周を射殺し、更に孫維金 (スン・ウェイジン) 、劉福山 (リュウ・フーシャン) 、畢継兵 (ビー・ジービン) を射殺し、呉永春 (ウー・ヨンチュン) を負傷させ2人は逃走した。


同年2月15日、2人は列車で南に逃走するが、湖南省を通過した時に乗務員に見つかった為、撃って負傷させた後、再び逃走した。


同年2月17日、湖南省衡陽市で2人は自転車を盗むが、それを目撃した張業良 (ヂャン・イェリャン) が2人を追い掛ける。

しかし、張はその場で射殺された。

張の妻も宗坊に頭を撃たれ顎を刺されるが、ハンドバッグは必死に抱きしめ離さなかった為、バッグを盗まず逃走した。

更に2人は旧正月中に5人の兵士を射殺する。


同年3月3日、2人は衡陽から武漢に移動し、医者を撃って負傷させるが検問所で宗坊が捕まってしまう。

すると、宗玮が現れ銃を乱射し、職員1人を負傷させ宗坊を救出して逃走した。


同年3月25日以降、2人は消息を絶った。

国家公安部は2人が逃走する可能性がある湖南省、湖北省、江西省、江蘇省、安徽省、河南省で指名手配をかけた。

その後、8月までに2人は湖南省、湖北省、江蘇省で銃や手榴弾で警察官や兵士9人を殺害し、9人を負傷させた。


同年8月29日、2人は江蘇省で2人の女性を襲った。


同年9月13日、宗坊が江西省広昌県でタバコを購入し、その後、宗玮と2人で自転車に乗って走り去った。

目撃者が警察に連絡し、4人の警察官が走り去った方へ車で向かうと、2人を見つけ拘束した。

しかし、2人が警察官に向かって発砲し、近くの山に逃げ込んだ。

2人が山に逃げ込んだというニュースはすぐに全国に伝わり、近くの郡や市から警察署長を含め多くの警察官が派遣された。

また、公安部から部隊も派遣された。


同年9月18日、蘇山で2人を見つけると、銃撃戦が展開され、その場で2人を射殺した。

結局、この2人による犠牲者は全部で19人で、負傷者は15人であった。

この王兄弟に対する指名手配は、1949年に中華人民共和国設立されて以降、初めての事であった。

また、この2人の犯行は中国の公安や警察のシステムを根底から揺るがす事件となったが、国民からは主に警察や軍人を相手にした事から未だに英雄視する者も少なくない。



《殺人数》
19人 (他負傷者15人)

《犯行期間》
1983年2月12日~同年9月13日



∽ 総評 ∽

『二王』と呼ばれ、中華人民共和国史上最も深刻な犯罪者とされている宗坊と宗玮兄弟

ほぼ同じ時期に以前掲載した龍治民も中国で暗躍しており、知られている限りでは中国の連続殺人事件が公になった記念的な時期といえる。

2人共に鬼畜ではあるが、どちらかというと兄の宗坊の方が凶悪性が抜けている。

ただ、そんな兄を逮捕される度に弟が助け、犯罪は加速していった。

中国ではこれまで数多くの殺人鬼を掲載してきたが、動機は強盗による事が多い。

この2人も基本的に目的が強盗であり、これは貧困な国ではよくある動機である。

2人の犯行は中国の公安や警察組織を根底から揺るがした。

怠慢や堕落を浮き彫りにし、国民から非難を浴びる事となるが、それが国民から今でも英雄視される要因であった。

アメリカ等でも国家権力に抵抗し、警察から逃げ回るような犯罪者をヒーローのように扱う事がある。

気持ちはわからなくもないが、所詮は犯罪者である。

本人なりの正義や事情があるのかもしれないが、その事をよく考えなければならない。