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トーマス・ラング (ドイツ)
【 1961 ~      】



トーマス・ラングは、1961年1月3日、ドイツ (西ドイツ) で7人兄弟の6番目として生まれた。

父親は重度のアルコール依存症で、暴力で家族を支配していた。

そんな父親に耐え切れなくなった母親はラングが2歳の時に子供を置いて家を出た。

その後、叔母が継母となり一緒に生活する事になるのだが、

「叔母は玉座に座り、父親に罰を指示した。彼女は裁判官だった」

と後にラングが述べているように父親に輪を掛けて残酷で非情であった。

そんな家庭で育ったラングは幼い頃から精神異常をきたし、特別な学校に通った。

そして、強盗や暴行など犯罪を繰り返すようになり、何度も逮捕された。


1983年、ラングはメラニー・シャルノウ (77歳♀) とスザンヌ・マッテス (22歳♀) を殺害する。

この殺人で23歳のマイケル・メイガーが誤認逮捕され、1984年に有罪判決を受け、6年間刑務所に入る事となった。

その後、ラングは1995年までフリーダ・クレーマー (85歳♀) 、ヨゼフィーネ・グロッサー (62歳♀) 、ヘルガ・クリーナー (58歳♀) 、エックハルト・トルッティ () 、ガブリエル・プロッパー (34歳♂) を殺害し、全員で7人殺害した。

ラングは犠牲者が女性の場合、強姦し、首を絞めるか溺死させ殺害した。

そして、殺害後金品を奪った。

ラングが12年に渡って犯行を続けられたのは、犠牲者の殺害方法や年齢など様々で統一性がなく、プロファイリングが出来なかった為だった。


1995年2月28日、ラングは逮捕され、すぐにこれまでの殺人を告白した。


1996年3月5日、ラングは終身刑が言い渡された。

ラングを診た精神科医は、
「彼は正常にもかかわらず凄惨な行動を犯した」
と述べた。


2001年、ラングはテーゲル刑務所で囚人を拷問した。

これによりラングは懲役2年8ヶ月が言い渡された。


2003年、ラングは別の囚人を攻撃し負傷させ、2004年に更に10年が追加された。

テーゲル刑務所がラングを手に負えないとして、モアビット刑務所に拘留された。

ラングは第二次世界大戦以降、ドイツで最も危険な連続殺人犯の1人とされている。



《殺人数》
7人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1983年~1995年



∽ 総評 ∽

『Pinocchio (ピノキオ) 』と呼ばれ、7人を無惨に殺害し「第二次世界大戦以降、最も危険な連続殺人犯」の1人とされているラング。

ラングは危険と言われているが、犯行の詳細についてはほとんどわかっていない。

ただ、これまで何人も紹介してきた通り、ドイツには数々のシリアルキラーが存在し、その中で「最も危険」というのはよっぽど危険なのだろう。

確かに刑務所に収監されてからも凶暴性は衰える事はなく、囚人仲間を手にかけた。

ただ、むしろこれは願ったり叶ったりであり、ラングにはどんどん囚人を襲ってもらいたいものである。