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ヘルゲ・フォスモ (スウェーデン)
【 1971 ~      】



ヘルゲ・アーノルド・フォスモは、1971年7月27日、スウェーデン・ヴェルムランド県クリスティーネハムンで生まれた。

フォスモの両親はノルウェー人であった。

家は特に信心深い家庭ではなかったが、10歳の時、スウェーデン・ミッションコビナント教会に参加した。

12歳になろうとした時、フォスモは突如「生まれ変わった」と感じ、クリスチャンとなった。

クリスティーネハムンの高校に通い、17歳の時に将来の妻となるヘレン・ヨハンソンと出会った。


1989年、フォスモはペンテコステ派 (キリスト教のプロテスタント教会の内、メソジスト、ホーリネス教会の中から1900年頃にアメリカで始まった聖霊運動の俗称) に参加し、ヨハンソンも会員であった。

高校卒業後、カールスタードで理科教師になる為に勉学に励んだが、中途で断念した。

その後、しばらくの間ビョルネボリ県の古い学校で教師として働いた。


1993年、フォスモは小規模の宗教活動グループに参加し、数ヶ月後、ペンテコステ派教会に再び参加した。

その後、青年牧師として雇われる事となった。

また、この頃、宗教指導者オーサ・オルドー () と出会い、親密な関係となっていく。


1995年5月、フォスモは「March for Jesus (クリスチャンが町中を行進する毎年行われる超教派イベント) 」を組織する。

クリスチャン新聞「DAGEN」は、フォスモが「xenoglossia (人が自然の方法では習得出来ない言語を話したり書いたり出来る超常現象) 」を経験したと発表した。


1997年8月、フォスモは2人の子供と一緒にナッツビーに引っ越した。

その後、クヌービーに移ると、フォスモとオルドーはキリスト教のトレーニングスクールを始める。

このスクールはスウェーデンの若いクリスチャンを魅了した。

多くの若者がナッツビーに移住し、フォスモとオルドーに従うようになった。

また、フォスモは同時に宣教師の財団「Aid for Nations」を立ち上げた。

フォスモはクリスチャンのウェブページを作り、それは多くの人から支持を得た。

フォスモはオルドーの家の隣に引っ越し、フォスモはほとんどの時間をオルドーと過ごした。

2人は聖書を深く読み、キリストの花嫁の比喩的な解釈は新約聖書のテキストで明確でない事を発見する。

そして、フォスモはもし花嫁が人であるならば、それはオルドーでなければならないと告げた。

その後、オルドーは7つのダイヤモンドが付いた金の指輪を購入した。


1999年3月29日、オルドーがイエスとの婚約の儀式を行い、フォスモが唯一儀式に立ち会った。

オルドーはキリストの花嫁となり、新しい名前「ティルサ」を引き受けた。


同年12月18日、フォスモの妻ヘレンが浴槽で死んでいるのが発見された。

ヘレンの頭蓋骨には穴が開いており、しかも血中には過量のデキストロプロポキシフェン (鎮痛薬) が検出されたにも拘わらず、事故死とされた (後にフォスモが逮捕された時、再調査によりヘレン殺害で起訴された) 。

数ヶ月後、フォスモはオルドーの娘アレクサンドラを新しい妻として迎え入れた。


2001年6月、フォスモは病気になったといって寝室に引き籠った (医師の診断を受けたわけではない) 。

フォスモはサラ・スヴェンソンに看護された。

スヴェンソンは1年後に夫と離婚するが、離婚に納得のいかなかった夫が連絡を取ろうとするがフォスモは連絡を認めなかった。

スヴェンソンは寝室に閉じ込められ、フォスモの性奴隷にされていた。

また、フォスモは隣人の既婚者アネット・リンデを望むようになる。


2003年秋、フォスモはスヴェンソンにアレクサンドラを殺すよう指示する。

スヴェンソンはその指示を予言であると考える。


同年11月8日早朝、スヴェンソンはハンマーで寝ているアレクサンドラに襲い掛かった。

アレクサンドラは目を覚まし激しく抵抗した為、失敗に終わった。

しかし、アレクサンドラは警察に報告しなかった為、スヴェンソンは逮捕されなかった。

すると、フォスモはスヴェンソンに拳銃を買うよう指示する (スウェーデンでは容易な事ではなかった) 。

フォスモはスヴェンソンにアレクサンドラとアネット・リンデの夫ダニエルも撃つよう指示する (ダニエルを殺して気に入っているアネットを奪うため) 。


2004年1月10日早朝、スヴェンソンは寝室でアレクサンドラの頭を撃って射殺し、ダニエルも顔面と胸を撃たれるが何とか救急隊に電話をかけ一命を取り留めた。

翌日、スヴェンソンが2人への発砲を自白し、2週間後、フォスモも逮捕された。

フォスモは殺人を指示したとして殺人と殺人未遂で起訴され、ヘレン殺害でも起訴された。

地方裁判所はフォスモに終身刑を言い渡したが、ヘレン殺害については証拠不十分で無罪となった。

フォスモは無罪を主張し、判決を不服として控訴した。

また、フォスモは首相に手紙を書き無罪を訴え、欧州人権裁判所にも無罪を訴えた。


しかし、2006年8月に、フォスモはTVのインタビューで罪を認めた。


同年7月20日、フォスモは氏名不詳の女性と獄中結婚した。


2014年10月、地方裁判所はフォスモへの判決を懲役24年に変更予定していたが、高等裁判所により判決は削除された。


2017年10月、事件の重大性を考え、終身刑から懲役刑への変更申請と仮釈放申請は時期尚早として全て却下された。


2019年12月4日、オレブロ地方裁判所は3回目の申請によりフォスモへの終身刑を期限付きの判決への変更を認め、懲役26年に決定された。

懲役の3分の2を務めた後、条件付きでの釈放が認められ、2021年4月に仮釈放予定である。

尚、フォスモと親密な関係であったオルドーは、殺人に関与していないとされ罪に問われていない。



《殺人数》
2人? (1人殺人未遂)

《犯行期間》
1999年12月18日、2004年1月10日



∽ 総評 ∽

フォスモは宣教師として歪んだ思想により殺人に至った。

宗教による犯罪といっても差し支えないレベルだが、犯行理由がよくわからない。

証拠不十分として無罪となった最初の妻ヘレンは邪魔となった為だと思われるが、アレクサンドラはよくわからない。

おそらく気に入っていたダニエルの妻アネットと一緒になりたかったからだと思われるがそれにしてもあまりに短絡的である。

オルドーは殺人関与していないとして何の罪にも問われていないが、フォスモとの親密振りを考えれば何も知らなかったとは思えない。

フォスモは終身刑となったが懲役刑となり2021年4月に仮釈放される予定である。

こんな鬼畜を釈放するとはとても信じられなく、流石は北欧司法と言わざるを得ない。