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アレクサンドル・ルカシェンコ (ベラルーシ)
【 1954 ~      】



アレクサンドル・グリゴリエヴィッチ・ルカシェンコは、1954年8月30日、ベラルーシ (当時はソ連) ・ヴィテプスク州コピィシで生まれた (とされている) 。

両親はルカシェンコが1歳の時に離婚した。

ルカシェンコは母親の愛情を一身に受けて育った。


1975年、モギリョフ教育大学を卒業後、1977年までプレストのソビエト国境警備軍の教官を務めた。


1990年、最高会議代議員選挙に立候補し当選すると、間もなくベラルーシはソ連から独立を果たす。

独立後のベラルーシは国内は混乱し、政府は腐敗していた。


そんな中、ルカシェンコは汚職問題に着手し、1993年に汚職追及委員会の議長に就任し、政治家たちの汚職を次々と糾弾した。

これによりルカシェンコは有権者から多くの支持を得た。


そして、1994年、ルカシェンコはベラルーシ大統領選挙に立候補する。

ルカシェンコは、

「私が大統領に就任した暁にはベラルーシを誇りに思えるような国へと発展させる。その為には1年で政治家の汚職を全てなくす。全国民の生活を保障する。その為の具体策として現在止まっている全工場を半年以内に稼働させる

と力説した。


同年7月20日、ルカシェンコは圧倒的支持を得て他の候補を圧倒し、初代大統領となった。


ベラルーシの憲法では大統領の多選を禁じていたが、2004年9月7日、ルカシェンコが憲法を改正し、多選を可能とする国民投票の実施を発表する。


同年10月17日、国民投票の結果、8割程の賛成により多選 (3選) を可能とする法案が可決された。

この事を知った当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュは、打倒すべき独裁国家の1つとしてベラルーシの名前を挙げた。

ブッシュは、
「現代における最悪の独裁国家」
とルカシェンコを非難した。


2006年3月19日、任期満了に伴う大統領選挙では投票率82.6%で圧勝し、3選を果たした。

しかし、この選挙は得票率改竄の疑惑や、野党候補及びその支持者への妨害や不正が行われたと噂された。


2009年、ルカシェンコは

「西側諸国との関係を正常化する」

と発表し、その為、それまで良好であったロシアとの関係が悪化した。

そして、ロシアからの5億ドル (約500億円) の支援が棚上げとなると、その事に腹を立てたルカシェンコは、

「ロシアに泣きついて頭を下げる事はない」

と吐き捨て、西側への接近を図った。

だが、西側諸国はルカシェンコによる独裁政権を快く思っておらず、ベラルーシへの支援を拒否した。

また、ロシアからは乳製品の輸入を禁止されるという対抗措置をとられた。


2010年6月、ロシアと天然ガスを巡って紛争が発生する。

紛争はすぐに解決したが、両者の関係は更に悪化した。


同年12月19日、ルカシェンコは大統領選挙で4選を果たすが (この選挙も不正選挙とされている) 、西側諸国からの支援とロシアからの輸入を制限されたベラルーシは経済危機を迎えていた。

ベラルーシの国民は再びロシアに吸収合併されるのではと不安に陥っていた。


2011年5月27日、ルカシェンコは会議の席上で、

「ギャング (ロシアのこと) に我々の国を売りはしない」

と述べた (ロシアはかねてよりベラルーシの吸収合併を目論んでいた) 。

また、ルカシェンコはロシアとEUを

「我が国の主権を侵害している」

と激しく非難した。

ただ、ルカシェンコはロシアやEUと国交を断絶する事はなく、両者を天秤にかけ、付かず離れずの外交を展開した。

ルカシェンコはロシア、カザフスタン、ベラルーシの3ヶ国による関税同盟の参加を表明し、ロシアとの関係修復を素早く行った。

ルカシェンコはベラルーシ国内の反政府運動の激化により同年12月、ユーラシア連合構想への参加を表明する。

しかし、それと引き換えにロシアがベラルーシ国内のガスパイプラインを買い取るという協定を結んだ為、ベラルーシ経済は実質ロシアに掌握されてしまう。


2013年、ロシアは国内事情によりベラルーシへの資金援助を打ち切った為、ルカシェンコはヨーロッパ進出を目論む中国と15億ドル (約1500億円) の経済協定を締結し、財政破綻をかろうしで免れる事が出来た。


2014年、ロシアとウクライナの紛争が起こると、ルカシェンコが両国の調停役となった。


2015年4月2日、ルカシェンコは半年間無職で納税しなかった者に約360万ベラルーシ・ルーブル (約3万円) の罰金と、それに従わなかった場合、拘束の上強制的社会奉仕活動を行う政策の大統領令に署名した (ただし高齢者や障害者、学生など元々働く事の出来ない者は対象外) 。


同年10月11日、大統領選挙で得票率83.49%を得て5選した。


2016年9月に行われた下院選では野党への締め付けを緩め、政権に批判的だった野党2人が当選した (これはルカシェンコが欧米諸国へ配慮した為だとされる) 。

ルカシェンコは現在もベラルーシの大統領として君臨しているが、その発言は失言や暴言が目立っている。

「プレジデント (大統領) 」という言葉を一般企業の社長が使っている事を不満に思い、使わせないようにした。

また、ワシントンで行われた核安全保障サミットに招待されなかった事に怒りを表し、

「ユダヤ人は我が国に豚小屋を作った」

と発言した。

ルカシェンコは差別発言も頻繁に行った。

コロナウイルス感染症については、

「コロナは心の病だ。サウナやウォッカが効く」

と何の根拠もない軽はずみな発言を述べ非難を受けた。

自由なマスコミを憂慮したルカシェンコは、テレビのディレクターと新聞の編集長を自身で任命する事に決め、これによりマスコミは大統領のプロパガンダに成り下がってしまった。

ロシアの最高指導者になる事が夢であったルカシェンコは、ロシアと連合国家になればいいと提案するが、メドベージェフ大統領に
「人間としての基本的な礼儀をわきまえない男」
と非難された。

ルカシェンコは2人の息子に家庭教師をつけ海外留学させた。

ただ、子供だからと甘えさせず兵役にもつかせた。

ルカシェンコはブレストをベラルーシ領としたアドルフ・ヒトラーを

「彼のおかげで (ドイツは) 残骸から立ち直った」

と賞賛した。

ルカシェンコが毎日通る交差点に貼られている広告に対し、

「クチャクチャな顔をしたフランス人の顔が写っている。ベラルーシには美人が多いのにとんでもない事だ」

と広告の撤去を命じ、更にベラルーシ国内の広告に国外女性モデルの使用を禁じた。


2012年3月、ドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相がベラルーシを独裁国家と非難すると、ルカシェンコは

「ゲイより独裁者の方が遥かにましだ」

と述べた。

また、ロシアのプーチン大統領については、

「鶏のように歩き回り力を誇示しているだけだ」

と評している。



《就任期間》
1994年7月20日~



∽ 総評 ∽

「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれ、現在も大統領としてベラルーシのトップに立つルカシェンコ。

ルカシェンコは非常に強い権力欲の持ち主として知られ、自身の権力保持の為には容赦がなかった。

ルカシェンコは性格的にはかなり気難しいとされ、過激な発言や暴言でアメリカや当初は友好国であったロシアをも激しく非難した。

その為、ルカシェンコは『奇人』とも称された。

失言や暴言は現在のアメリカ大統領トランプも多いが、アメリカ程の大国であれば周囲は何も言えず、それほど影響はない。

だが、ベラルーシ程度の国であれば、その発言により国が左右される事もあり、現に何度も経済危機を迎えている。

国民からすればただの迷惑でしかなく、ルカシェンコは国のトップには当然向いていない。

ただ、ルカシェンコは独裁者と呼ばれるが、歴代の独裁者と比べると失言や暴言が目立つだけで正直たいした事はない。

だが、そんなルカシェンコの掲載に至った理由は、現在も大統領の座ににいる事実であった。

個人的にルカシェンコの政策を見ていると以前掲載したニコラエ・チャウシェスクを思い出させる。

チャウシェスクもロシア (ソ連) を嫌い西側についたが、西側から独裁国家とみなされ相手にされなかった。

ソ連から独立した国家は、反ソ連の為にそういう風になるのは必然なのかもしれない。

現在、ベラルーシはヨーロッパで唯一EUに加盟していないが (イギリスは離脱するが) 、これは独裁国家故に参加を拒まれている結果であった。

ただ、EUに加盟していないベラルーシはそれ故ヨーロッパで唯一死刑が存在する国家であった。

それだけは素晴らしい事である。