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ジェラルド・ミッチェル (アメリカ)
【 1967 ~ 2001 】



1985年6月4日、チャールズ・アンジェロ・マリーノ (20歳♂) と義理の兄弟ケネス・フレミング (15歳) は、マリファナを買う為にアメリカ・テキサス州ヒューストンのリンカーンシティパークへ向かった。

すると、ジェラルド・リー・ミッチェル (1967年12月27日生) ともう1人の男性がマリーノの車に近づき、マリファナが欲しいかと尋ねる。

マリーノとフレミングがマリファナが欲しいと言った為、ミッチェルと男性はマリーノの車に乗り、家に向かうよう指示する。

家に到着するとミッチェルは外に出てノコギリで銃身を切ったショットガンを持ち出しパンツの中に隠した。

ミッチェルは車に戻り、車を出すよう促した。

しかし、道は行き止まりとなり、するとミッチェルはショットガンを取り出し、車の鍵を要求し奪った。

その後、マリーノとフレミングにトランクに入るよう促す。

だが、2人が拒否すると、ミッチェルは2人を空き家まで歩かせた。

マリーノの財布を奪うと、

「俺がお前を撃つと思ってないだろ?」

と言ってはドアを蹴り開けた。

中に入ると、ミッチェルは犯行に消極的だったもう1人の男性に2人の服を脱がせ側に置くよう指示した。

そして、ミッチェルは男性にロープを持って来るよう指示するが、男性はそのままいなくなり戻って来なかった。

ミッチェルは2人を床に座らせ、

「手を上げろ白人少年、手を下ろして死にたくはないだろう?」

と言った。

そして、ミッチェルはマリーノの胸を撃ち、その後、フレミングを撃った。

マリーノは死亡したが、フレミングは胸、腰、腕を負傷したものの、死んだふりをしたので助かった。

ドナルド・ニューサムという男性が銃声を聞き、空き家に向かって歩くとショットガンを肩に掛けて家の裏から出て来たミッチェルと遭遇した。

すると、ミッチェルはニューサムに

「怖がる必要はないです。私は鳥を撃っているだけです」

と言った。

ミッチェルはマリーノの車を盗み、その場を走り去った。


同年6月7日、ミッチェルは逮捕され、翌日の8日に起訴された。

逮捕されたミッチェルは

「2人の白人少年を撃った」

と述べ犯行を告白した。

また、マリーノを殺害する数時間前に、ミッチェルはヘクター・マンギア (18歳♂) を射殺していた。

ミッチェルはマンギアにネックレスを渡すよう促すが、マンギアが断った為、撃ったのだった。

裁判では他にもミッチェルの犯行が次々と顕にされた。

マンギアとマリーノの殺害後、逮捕されるまでの数日間で強盗を行っていた。

また、裁判前に郡の刑務所に収監されていた時、しばしば他の囚人に対して暴力的であった。

更に1983年のバスキン・ロビンスでの強盗未遂、同じ年に窃盗やクラスメートを撃った事など、数々のミッチェルの悪行が暴かれていった。


1986年4月7日、ミッチェルは有罪となり、4日後の11日、死刑が言い渡された。

犯行時、ミッチェルは17歳であったが死刑となった。

弁護士はすぐに控訴するが、控訴は最高裁判所で棄却された。


2001年10月22日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年33歳。

ミッチェルの死刑執行は2001年、アメリカ全体の54人目であり、1976年に死刑が復活して以降、737人目であった。

また、テキサス州としては2001年の14人目であり、死刑復活以降では253人目であった。

更に犯行時、未成年だった者に行われる執行としては、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、18人目であった。


最後に執行直前に述べた最後の声明で終わりたいと思います。

「マリーノさんの母親はどこですか?私の手紙を受け取りましたか?私はただあなたに知らせたかった。私はあなたから人生を奪いました、ごめんなさい。私は神に許しを求め、あなたにもそれを求めました。難しい事はわかっています。やった事は残念に思います。イエス様、あなたは私の主であります。私は死ぬ時、天国での永遠の人生を迎える事になります」



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1985年6月4日



∽ 総評 ∽

ミッチェルは犯行時、17歳という若さであったが、どのような家庭環境にあったのか詳細がなくわからない。

後に殺人以外の余罪が発覚したが、その時は16歳であった。

未成年に対する死刑判決は少ないがアメリカでは存在する。

ただ、今回ミッチェルに下されたのは、白人2人を殺害したからだと思われる。

まともな家庭環境に身を置いていないのは明白だが、これ程の犯行をそんな年齢で行うというのは戦慄という他ない。

ミッチェルの死刑執行は当然といえるが、近年のアメリカは、犯行時、未成年に対する死刑判決は下しても執行は躊躇する傾向にある。

実際、2003年に執行されて以来、執行されておらず、これは明らかに避けれているのは明白であった (死刑判決は出されている) 。