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ロナルド・フルーク (アメリカ)
【 1948 ~ 2001 



ロナルド・ダナウェイ・フルークは、1948年10月12日、アメリカ・オクラホマ州タルサで育った。

フルークは6人兄妹の1人で、両親はそんな子供たちに愛情深く接した。

フルークは普通の子供で特に問題を起こす事はなかった。

フルークはロジャース高校を卒業し、大学に通った。


1978年、クラブでフルークはジンジャーという女性と出会う。

そして、フルークはジンジャーと結婚し、キャサリン・リーとスザンヌ・ミシェルの2人の娘が生まれた。


1997年10月17日午前1時30分、フルークはソファで眠っていたジンジャー (44歳) の頭や首、肩を手斧で8、9回叩き、最後は頭を撃って射殺した。

その後、フルークは2階へ行き、別々の寝室にいたキャサリン (13歳) のスザンヌ (11歳) の頭をそれぞれ1発撃って射殺した。

2人の娘はフルークが撃った時には起きていた。

午前8時頃、フルークはタルサ警察へ赴き、殺人を告白してその場で逮捕された。

殺害理由だが、フルークのギャンブルによってもたらされた経済破綻により精神的に落ち込んだ事が原因であった。

フルークは犯行までの3年間、税金を申告していなかった事が判明した。

実際フルークは鬱病を患っている事がわかった。

フルークは

「彼女は良い母親であり、私は彼女を愛していた」

と話し、子供たちについては

「スザンヌもキャサリンも非常に素晴らしい子供だった。キャサリンは絵や歌の才能があり、2人共優秀なチアリーダーであった」

と述べた。


1998年10月12日、フルークには死刑が言い渡された。


2001年3月27日、致死量の注射のよる死刑が執行された。

享年52歳。

フルークによる死刑執行は2001年にアメリカ全体の21人目であり、アメリカで死刑が復活した1976年以降、704人目。

また、オクラホマ州としては2001年の10人目であり、死刑が復活して以降、40人目であった。


最後に娘について離したフルークの言葉で終わりたいと思います。

「スザンヌとキャサリンは私の人生の光であり、私は彼女らがとても恋しく思います」



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1997年10月17日



∽ 総評 ∽

フルークは犯行時、鬱病を患っていたが、それは自らがギャンブルによって招いた結果であった。

殺害された妻はおそらく夫がギャンブルに狂っていた事を知らず、また、家計についても夫に任せており、家庭の経済が破綻していたのを知らなかったのではないかと思う。

それ故、フルークが妻にバレる事をおそれ、それにより精神が追い詰められたのではないのだろうか。

また、妻に問い詰められた事で逆上して犯行に及んだのかもしれない (ただ犯行時ソファーで眠っていたのでやはり妻は何も知らなかったと考えるのが妥当である) 。