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ラリー・ホール (アメリカ)
【 1962 ~      】



ラリー・ドウェイン・ホールは、1962年12月11日、アメリカ・インディアナ州ウォバシュで生まれた。

ホールは双子の弟であり、兄をゲイリーといった。

母親は主婦であったが、父ロバートはアルコールや薬物を乱用する中毒者であった。

その為、日常的にホールや家族を虐待した。

虐待の影響からか、ホールは失語症に苦しんだ。

また、学校では同級生にからかわれ、いじめを受けた。

成績も悪く、常識や規律、礼儀が欠けていた。

高校を卒業したホールだったが、結婚もせず、犯罪を犯して何度か逮捕された。


1994年5月29日、ホールはバンで自転車に乗っていた2人の10代の少女をストーキングする。

少女たちは恐れ、必死に自転車を漕いで何とか祖母の家に辿り着いた。

祖母はすぐに警察に連絡し、少女の両親はすぐにホールの乗るバンを追った。

両親がホールのバンを見つけ、それに気付いたホールは車を止めてヘッドライトを消した。

両親が車に近付くと、ホールは再び走り出した。

両親はナンバープレートを確認し、警察に知らせた。


翌日の30日、ホールは別の10代の少女をストーキングすると、警察官が見つけ車を止めた。

ホールのバンを調べると、綿のマスク、プラスチックの防水シート、数本のナイフ、ロープ等が発見された。

また、行方不明となっている少女の名前が印刷された新聞記事も見つかった。

ホールは逮捕され、大学の女子学生を殺したと告白した。

しかし、ホールの指示した場所に遺体が見つからなかった為、ホールは釈放された。

すると、すぐに女性が追い掛けられたと警察に通報が入り、警察は捜査を始める。

ホールによる犯行だと確信した警察は、ホールが作業の為に使用すると思われる納屋を見つけた。

中には拘束するのに使用すると思われる器具が見つかるが、使用された形跡がなかった。

その後、少女の行方不明事件が相次いだ。


同年11月、FBIがホールの家に向かい、尋問を行った。

すると、誘拐したが逃げられた女性の写真を見せた。

また、ジェシカ・ローチ (♀) を誘拐して殺害した事を告白した。

だが、FBIはホールが全米12州で行方不明となっている少女や女性 (主に売春婦) 39人から54人を殺害したと推測していた。

ホールを問い詰めると、1987年から1994年の8年間で14人を殺害したと告白し、遺体が見つかった。

その中には1992年に仕事を終えた後、ボーイフレンドの家に向かっている時に失踪したローリー・デピー (20歳♀) が含まれていた。

ホールの犯行は拷問の末強姦し、首を絞めて殺害すると屍姦するというものだった。

犯行後、ホールは犠牲者の所持品を戦利品として保管していた。

ホールの知能指数を調べるとIQが80しかない事がわかった。


同年12月21日、ホールは有罪判決となり、仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。


ホールはいくつかの未解決事件の疑いが残っており、2016年、捜査が再開されている。



《殺人数》
14人 (39人~54人の可能性あり)

《犯行期間》
1987年~1994年



∽ 総評 ∽

『The Springfield Three (スプリングフィールド・スリー:1992年の未解決の行方不明者を指す) 』と呼ばれ、少なくとも14人を殺害したホール。

ホールによる犠牲者は14人ではないとされ、現在も捜査が進められている。

私も14人では済まないと思う。

ホールは1度逮捕され、殺人を告白したにも拘わらず、遺体がないとして釈放されてしまった。

その後、多くの犠牲者が出たとされ、ホールによる犯行か、何人手にかけたのかわからないが、少なくとも防げたのは間違いない。

写真を見る限り、とてもおぞましい犯行に及ぶとは思えないが、人は見掛けによらないものである。