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ミロスラフ・ステーリック (チェコ)
【 1956 ~ 1986 】



ミロスラフ・ステーリックは、1956年6月14日、チェコの首都プラハで生まれた。

ステーリックは6人兄弟であったが、その内2人は幼少期に死亡した。

家族はプラハ市内を頻繁に引っ越したが、両親はアルコール中毒で、父親は子供を虐待した。


1960年、父親は性的虐待で逮捕され、刑務所に収監された (後に殺人未遂を犯している) 。

また、母親も子供たちを精神的に虐待し告発された為、ステーリックや子供たちは一時施設に引き取られた (その後再び母親と義父と生活している) 。

だが、ステーリックは幼少の頃からサディスティックで自虐的な性格となっていた。

ある日、少女を家の地下室に連れ込むと、指を肛門に無理やり押し込み、少女が泣き始めるまで続けた。

9年生 (中学) を終えた後、煉瓦職人として訓練を始めた。

15歳の時、洗濯中の女性を襲うが、激しい抵抗に遭う。

そして、目撃者が助けに来た為、ステーリックはその場で取り押さえられた。

ステーリックの知能検査が行われると、IQが96である事がわかった。

ステーリックは少年であった為、懲役2年、執行猶予3年で釈放された。


1973年、ステーリックは別の女性を強姦し、1974年には窃盗やフーリガン等、様々な犯罪を犯した。

逮捕されたステーリックは懲役7年となった為、煉瓦職人としてたった半年しか働く事はなかった。

刑務所でイジー・グロスという囚人と出会う。

グロスはチェコにおいて「ペルビチン」という麻薬生産の先駆者であり、同性愛者であった。

その為、ステーリックはグロスと関係を持つ事で定期的に薬物を手に入れた。


1982年、7年2ヶ月務めた後、釈放された。

釈放後、ボフニツェで精神治療を受ける事になるが、そこは閉鎖された病棟であった。

ステーリックはすぐに病院から抜け出す方法を見つける。


1983年8月7日、ステーリックは病院を抜け出すと (従業員が見逃したとも言われる) 、ズデニキー・H (30歳♀) を強姦し殺害する。

また、ステーリックは同じ日に2人の女性を襲い強姦した。

ズデニキーの遺体は3日後の10日に公園で見つかり、服は脱がされ財布が盗まれていた。

また、検死の結果、死因は絞殺であった。

ただ、ズデニキーの遺体から指紋や精液は見つからなかった。


同年8月18日、クルショヴィツェのサッカースタジアムの近くでマルトヴァ・ブランカ (28歳♀) を襲った。

そして、ブランカのアパートへ連れ込み、強姦した。

しかし、ブランカが抵抗した為、持っていた短剣で胸を4回刺し、その中の1回が心臓に到達し死亡した。

殺害後、財布を盗んで逃走した逃走した。


同年8月29日、ストラシュニツェでミロスラフ (28歳♀) を襲った。

ミロスラフの首を絞め窒息させろうとするが、ミロスラフは泣き始めた。

その後、2人は争い始めるが、ステーリックがミロスラフの顔を激しく傷つけた。

だが、あまりに大量の血が流れた為、ステーリックはそのまま逃走した。

ミロスラフは病院に搬送され一命を取り留めるが、目を激しく損傷した為、ほんど失明してしまった。

警察の捜査でステーリックがズデニキー殺害の犯人であると特定する。


同年8月31日、ステーリックはストラシュニツェでエヴァ・C (28歳♀) を襲った。

ステーリックはナイフで脅すと家の地下室に引き摺り込み、服を脱いで体を触った。

しかし、その後は何もせず去った。


翌日の9月1日、ステーリックは逮捕された。

ステーリックによる犠牲者は2人で、他に12人が強姦された。

最後、捕まるきっかけとなったエヴァに何もせず去った事について、エヴァはクラスメートを思い出したとステーリックが言っていたと述べた。

ステーリックはこれまでの犯行を詳細に語ったが、死刑になると判断した為、頭の中で声が聞こえたと話し、また、母親から盗んだ薬物の影響だと主張した。


しかし、それらの主張は退けられ、2件の殺人、12件の強姦、殺人未遂、窃盗などで有罪判決となり、1984年10月8日、死刑が言い渡された。


ステーリックは恩赦を請願するが拒否され、1986年2月25日、絞首刑による死刑が執行された。

享年29歳。

余談だが、ステーリックの弟パベルは1981年に「義理の母親を思い出させる」として隣人を殺害し、懲役25年が言い渡され、別の兄弟も財産の犯罪で有罪判決となってる。



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1983年8月7日~同年8月29日



∽ 総評 ∽

治療中に病院を抜け出し、犯罪の限りを尽くしたステーリック。

ステーリックは虐待の影響からか、子供の頃からサディスティックで自虐的であり、すでに回復不能の精神状態であった。

また、兄弟も犯罪を犯している事からそういう犯罪気質の家系であった可能性も高い (近年の研究で犯罪遺伝子があるともいわれている) 。

若年で数々の犯行を繰り返しており、何度も将来の禍根を防ぐチャンスはあった。

だが、若いという事もあり軽微な罪で許されてしまった。

また、病院の管理も杜撰で、容易に外に出させてしまう警備体制も問題しかなく、ここでしっかりとしていれば凄惨な犯行は防ぐ事が出来た。

いつもの事ではあるが、こういう怠惰や堕落は何とかならないのかと思う。