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イジー・ストラカ (チェコ)
【 1969 ~      】



イジー・ストラカは、1969年4月14日、チェコの首都プラハで生まれた。

父親は海外で働く煉瓦工で、母親は倉庫の作業員であった。

父親は海外で働いていた為、家を空ける事が多く、母親と過ごす時間が多かった。

だが、その母親はストラカを虐待した。

ストラカは非常に賢い少年であったが、基本的に学校には馴染まなかった。


1983年9月、鉱山見習いとして登録されるが、この頃から盗みを始めた。


1985年2月17日午後9時頃、ストラカはプラハで20歳の女性を襲う。

女性を地面に倒すと首を絞めて窒息させようとするが、女性が反撃した。

5分程争いが続き、このままでは殺されると思った女性は、自身のアパートへストラカを誘った。

そして、アパートに到着すると、ドアの前でストラカが女性にキスをしようとする。

すると、女性が叫び始め、その叫び声に近隣住民が気付いた為、ストラカはその場を逃走した。

ストラカは夜行列車に乗ったが、女性は襲われた事を警察はおろか誰にも言わなかった (後にストラカが犯行を重ねると警察に情報を提供している) 


同年3月15日夕方、ストラカは18歳の学生を襲い、石畳に頭を打ちすえた。

地面に倒れると、学生は助けを求めた。

ストラカは少量のお金とバッグを盗み、学生が持っていたビスケットをその場で食べ逃走した。


同年3月25日、ハンドバッグを盗む為に19歳の学生を襲う。

手を握り背後から押し倒し、ハンドバッグを盗ろうとするが強く握り締めていた為奪えず、学生は助けを求めた。

その後、なんとかバッグを盗る事に成功し、その場から逃走した。


同年4月2日深夜、18歳の女性を襲い強姦する。


同年4月8日、23歳の女性を襲い、意識がなくなるまで首を絞めた。

そして、女性を木々の生い茂る小道に連れ込むと、女性が動き始めた為、土を口の中に詰め込み服を脱がせ強姦した。

すでに死んでいると思ったストラカだったが、女性が動いたように感じた為、鼻の中に葉を詰め、口の中に更に土と石を追加した。

また、脱がしたズボンも口の中に詰めた。

ストラカはその場を去る前に遺体をうつ伏せにし、ネックレスを奪うと落ち葉で体を覆った。


同年5月4日、路面電車に乗ると1人の女性 (54歳) を目撃する。

ストラカは尾行し、女性は家に到着すると鍵を探し始めた。

すると、ストラカが背後から襲い掛かり、近くの大型トラックが停まっている駐車場へ引き摺り込んだ。

そして、ロープを首に二重に結ぶと、女性は意識を失った。

強姦しようとするが、年配であった為強姦するのを止め、装飾品とバッグを盗んで逃走するが、途中でバッグを捨てた。

ストラカは路面電車に乗ってダウンタウンに戻るが、死んだと思っていた女性は生きており、近くの家に何とか辿り着き助けを求めた。

ストラカはすぐに次の犯行に及び、30歳の医学博士の女性を襲い、首を絞めて窒息させようとした。

だが、女性が反撃した為、ストラカは意識がなくなるまで頭を殴り付け、服を剥ぎ取ると強姦した。

そして、ブラジャーで女性の首を絞めて殺害し、お金やハンドバッグを盗んだ。

その後、路面電車でダウンタウンへ向かったが、途中バッグを捨てた。


同年5月16日、ストラカは公園で30歳の女性を目撃する。

そして、いつものように尾行し、しばらくして背後から女性を襲った。

女性の首に首輪を填め、近くの家の地下室に引き摺り込んだ。

地下室の床に叩き伏せると、首にロープ巻き付け、服を剥ぎ取ると強姦した。

強姦後、女性のベルトで更に首を絞めて殺害した。


同年5月22日、ストラカは逮捕された。

逮捕されたストラカはこれまでの犯行全てを告白した。

ストラカの犯行は殺人3件、強姦5件、3件の強盗の合計11件であったが、全ての犯行を非常に正確に説明した。

精神科医がストラカを診察すると、道徳と良心が完全に欠如した性的サディストだと診断した。

また、ストラカはIQが125もある事がわかった。

事件が公になると、犯人が16歳であり、そんな年齢の少年がこれ程の事件を起こしたという事実にチェコ全土が震撼した。

また、ストラカに対して国民は激怒していた。

それは、ストラカが警察と犯行現場を訪れた時、地元の人々がリンチしたいからと警察官にストラカをしばらく放置するよう頼む程であった。

ただ、ストラカは刑務所で囚人に暴行を受けた。

裁判が始まるが、法律で16歳の少年には最高で10年の懲役刑しか与える事が出来なかった。

ストラカは最高刑である懲役10年を言い渡され、オパバ精神病院に収容された (ちなみに18歳であればおそらく死刑になっていた) 。


1994年5月、ストラカは恩赦により刑務所から釈放されると、治療の為複合施設に収容された。

施設は比較的出入りが自由で、ストラカは数日外出する事もあった。


2004年12月24日、オパバ地方裁判所命令によりストラカは精神施設から釈放された。



《殺人数》
3人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1985年2月17日~同年5月16日



∽ 総評 ∽

『The Spartakiada Killer (スパルタキアードの殺人者) 』または『A Summer-sport Event Murderer (夏のスポーツイベント殺人者) 』と呼ばれ、わずか16歳で数々の犯罪を繰り返したストラカ。

偶然かあえてかわからないが、ストラカが標的としたのはプラハで行われる夏のスポーツイベントを練習していた女性ばかりであった為、そう呼ばれる事となった。

ストラカは犯行時16歳であったが (始めた時は15歳) 、そんな年齢の少年が3人を殺害、5人を強姦、3つの強盗という凄惨な犯行をわずか3ヶ月足らずで行った。

そんなストラカに国民は激怒し、リンチさせてくれと頼む程であった。

これ程の犯行をこんな年齢で行うくらいなので、母親の虐待の影響の可能性もあるが、先天的な異常者だと思われる。

16歳といえばまだ高校1年生であり、そんは年端もいかぬ少年がこれ程の犯行を平然とやってのけるのである。

しかも、そんな鬼畜が16歳という年齢の為、法律上、懲役10年以上で罰する事が出来ず、現在は釈放されているという現実。

18歳だった場合、死刑になったとされているが、16歳で10年、18歳で死刑、この差に納得いく人は果たしているのだろうか?