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エンリケタ・マルティ (スペイン)
【 1868 ~ 1913 】



エンリケタ・マルティ・リポレスは、1868年、スペイン、サン・フェリウ・デ・リョブレガートで生まれた。

若い頃にバルセロナに移り、そこで女中や乳母として働いた。

しかし、すぐに売春に目を向け、高級売春宿で働くようになる。


1895年、マルティはフアン・プジャロという画家と結婚する。

だが、マルティの喜怒哀楽が激しい予測不能な性格、他の男性との関係などにプジャロは悩まされる。

その為、結婚生活は上手くいかず離婚する事となった。

しかし、夫婦は和解すると寄りを戻し、また別れ、結局6回ほど別れを繰り返した (夫婦には子供はいなかった) 。


1909年、マルティは自身で売春宿を始めるが普通の売春宿にはしなかった。

マルティが標的としたのはバルセロナの富裕層であり、その為、富裕層ならではの欲求や欲望に答えるようにした。

マルティは日中、あえて貧乏人の格好をして貧困地域を頻繁に訪れ、同伴者のいない子供を誘惑した。

また、懇願して修道院のパンの配給の列に参加し、見た目に孤独な子供を見つけ誘った。

こうして要望に答える事でマルティの売春宿は富裕層の間で有名になった。

また、マルティは売春を経営すると同時に呪術医となるべく修行を始め、子供の血を飲むと結核を治せると主張し、老化を止め寿命を延ばす事が出来る治療薬 (ポーション) を作った。

マルティが治療薬を作る為に使用した材料は、マルティ自身が誘った5歳から15歳の子供であった。

マルティは子供を殺害するとその脂肪や骨、髪や血液等体の部位を使用し、治療薬を作った。

マルティは犠牲者の体の部位をほとんど使用した為、死体の処分に困る事はなかった。

マルティはそれら犠牲者の体で膏薬や軟膏、パップ剤を作り、当時、世間を恐怖に陥れていた結核に効くとして、売春を利用した富裕層の男性に多額のお金を払わせ売った。


同年、マルティは「Tragic Week (悲劇的な週) 」の間にアパートで逮捕された。

マルティは性的サービスを提供する売春宿を経営しているとして逮捕されたのだった。

だが、マルティの売春はバルセロナの上流階級の人間も利用しており、知り合いも多かった為、罪は見逃され釈放された。

マルティ釈放後、3年間の間に更に多くのバルセロナの子供が姿を消した。

だが、失踪したのが貧しい家庭の子供であった為、警察は真剣に取り組まず、捜査は最小限にとどまった。


1912年2月10日、マルティはテレシタ・ギタルト・コンゴスト (♀) を誘拐する。

その後、2週間コンゴストの捜索を行うが、当局は捜索に非常に消極的であった。


同年2月17日、隣人のクローディア・エリアスが、コンゴストの足取りを掴み、追跡を行うと一軒のアパートに到着する。

すると、開かれた窓から髪を切り取られた少女と女性の姿が見えた。

エリアスはコンゴストを見た事がなかった為、少女にコンゴストかどうか尋ねた。

だが、少女の隣にいた女性が何を言わずに窓を閉めた。

この女性がマルティであった。

エリアスは警察に少女はおそらくコンゴストで、隣の女性が少女を威圧し奇妙な雰囲気であった事を告げた。


同年2月27日、マルティのアパートに2名の警察官が向かい、マルティに中に入れるよう告げた。

最初、マルティは驚いたが素直に中に入れた。

すると、すぐに2人の少女が見つかり、1人がコンゴストである事が判明し、もう1人はアンジェリータという少女であった。

2人の少女が見つかったと発表され、コンゴストは両親のもとに戻された。

マルティはキャンディーでコンゴストを誘惑し連れ帰ったと説明した。

そして、コンゴストの髪を切り、名前を「フェリシダ」に変え、マルティの事を「ママ」と呼ぶよう強要した。

マルティは少女にポテトと古くなったパンを食事として与え、叩くよりもつまむ事を好んだ。

また、コンゴストらは部屋の移動を禁じられていた。

コンゴストは入る事を禁じられた部屋で血に染まった少女の服や、骨抜き用のナイフに血に覆われた袋を見つけたと話した。

アンジェリータも証言を行い、コンゴストがアパートに連れて来られる前、ペピートと呼ばれる5歳の少年がいた。

ペピートはマルティを「お母さん」と呼んでいたが、ある日、マルティがペピートを台所で切り捌いて殺害するのを目撃した。

アンジェリータは自身の正体を全く知らなかったが、マルティによると、アンジェリータはプジャロとの子供だと述べた。

プジャロは最後、マルティと別れてから5年以上経ち、その間、会ってもいない為、子供の事は何も知らないと話した。

しかし、最終的にマルティはアンジェリータは義理の姉妹の新生児を連れ去ったと主張した。

マルティはレイナ・アマリア刑務所に収監された。

2度目のアパート調査で、警察は血まみれの服とナイフ、袋を見つけた。

また、汚れた服と少なくとも30個の小さな人間の骨が入った袋を見つけた (骨は燃やされている事がわかった) 。

更に豪華に装飾されたラウンジを見つけ、そこに50ものピッチャーに洗面器があり、中には人間の残骸が保存されていた。

他には脂肪や凝固した血液、子供の髪や手の骨格、粉砕された骨、販売可能なポーション、軟膏等も見つかった。

捜査官は他にマルティが住んでいた別の2つの家を調査した。

その両方の家では壁と天井の中から人間の遺体を見つけ、3歳、6歳、8歳と思われる少年の遺骨を発見した。

また、サン・フェリウ・デ・リョブレガートにあるマルティの財産とされる家が見つかり、調査すると花瓶や壺の中から子供の遺物や治療法について記された本が見つかった。

他にも羊皮紙のカバーが付いた古代の本、優雅な書道、ポーションのレシピが書かれた本、コード化された言語で書かれた手紙とメモ、家族と重要な名前のバルセロナの人物のリストが見つかった。

リストにはバルセロナの富裕層の名前が列挙されており、そんな人物達の異常な小児性愛や性的嗜好が暴露され国内で物議を醸した。

警察はリストの漏洩を阻止しようと必死になっていた (一流のビジネスマンや銀行家、医者や政治家の名前が書かれていた為隠したと噂された) 。

警察は「Tragic Week」の時のような暴動を恐れ、殺人者が嘘をついており、リストに載っている名前は出鱈目だと新聞記事に掲載して国民を落ち着かせた。

マルティは約13年に渡って多くの子供達を誘惑した。

法医学者は遺骨から12人の子供の判別に成功したが、マルティは殺人について一切記さなかった為、どれくらいの数が殺害されたかわからなかった。

多くの子供が何の痕跡もなく姿を消した為、当時、バルセロナでは人々を恐怖に陥れた。

裁判を待つマルティは、刑務所で投獄されている間、木製のナイフで手首を切って自殺を試みた。

マルティは一命を取り留めるが、国民はマルティに対してギャロット (鉄環絞首刑の事で、スペインの公式な死刑執行方法だった) による処刑を望んでいた為、この自殺未遂に怒りが爆発した。

刑務所当局はマルティが今後自殺出来ないよう措置を取ったと報道機関を通じて国民に知らせた。


しかし、結局マルティが裁判にかけられる事はなく、1913年5月12日、刑務所で死亡した。

死亡証明書によるとマルティの死因は子宮癌であった (囚人仲間にリンチに遭って死亡したともいわれている) 。

裁判が行われる前の早過ぎる死の為、マルティが行った全ての犯行について全容が明らかに出来なかった。

マルティはモンジュイック山にある一般墓地に密かに埋葬された。

子供を誘惑し、売春させたり解体して結核に効くポーションとして売り捌いたマルティであったが、一部研究者によるとマルティは子供の殺人者などではなく、確実なギタルト誘惑だけを行った精神障害を持つ女性だと主張している。



《殺人数》
12人以上 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1899年?~1912年2月17日



∽ 総評 ∽

『The Vampire of Carrer Ponent (キャリア・ポネントの吸血鬼) 』、『The Vampire of Barcelona (バルセロナの吸血鬼) 』、『The Vampire of the Raval (ラバルの吸血鬼) 』等と呼ばれ、子供を誘惑し売春させ、また、多くの子供を解体し、その体の一部で治療薬を作り売り捌いたとされるマルティ。

マルティはバルセロナの富裕層向けの高級売春宿を経営し、その趣味嗜好に答えるべく自ら主に少女をスカウトした。

また、呪術医として当時猛威を振るっていた結核の治療薬と称してポーション等を販売したが、それは子供を解体してその体の一部で作られたという信じられないものだった。

ただ、当時の人々は次々と周りの人間が結核で死んでいくのをみて、このマルティの完全な嘘臭い治療薬にもすがりたい気持ちだったのかもしれない。

日本でも過去に押収された顧客名簿に医師や政治家等の名前があったとされる事件があったが、その事件を彷彿とさせるものがあった。

ただ、日本の事件もこのマルティの事件もどこまで真実かはわからない。

当時のバルセロナ警察は情報が漏洩しないよう必死に隠したが、隠した事でより一層噂が広がったと思われる。

今から100年以上前の話であり、どこまで真実かはわからない。

一部研究者はこれ程の事件ではなかったと主張している。

ただ、裁判が行われなかった事で詳細が法廷に記録として残されなかった為、嘘だと思われただけで時代を考えれば十分ありえる話である。

また、実際に上級階級の人間が利用していたとなれば、認めるわけにはいかず、隠蔽するのは当然だともいえる。

残念なのは事件の全容が解明する前に死んでしまった為、正確な犠牲者や期間がわからなかった事だ。

マルティによる犠牲者は一応、12人とされているが、おそらくその程度ではないと思われる。

12人はあくまで骨の数から判明しただけであり、おそらく50以上、下手すると100人以上殺害している可能性があると思う。

マルティは裁判前に死んだが、死亡証明書には子宮癌とあった。

囚人にリンチあって殺されたとも言われるが、個人的には政府によって抹殺されたような気もする。

メキシコのフェリチタス・アギヨン、同じくメキシコのゴンザレス姉妹も売春宿を経営した。

アギヨンは売春と同時に中絶ビジネスも行い、50人の子供は殺害したとされ、ゴンザレス姉妹は売春で使い物にならなくなった少女や女性を80人は殺害した。

女性というのは男性に比べて圧倒的に犯罪が少ないが、たまに現れる異常な凶悪犯は恐ろしい程とことん残酷になれる存在だと思い知らされる。