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ピーター・クジノウスキー (アメリカ)
【 1903 ~ 1929 】



ピーター・クジノウスキーは、1903年8月13日、アメリカ・ペンシルベニア州ディクソンで生まれた。

父親をポール、母親をベロニカといい、両親共にポーランドからの移民であった。

クジノウスキーは4人兄弟の末っ子で、ペンシルベニア州スクラントンで育った (クジノウスキー自身ポーランド生まれと誤解される事がある) 。

12歳の時、浅いプールに飛び込んだ際、頭蓋骨骨折という重傷を負う。

以降、クジノウスキーには異常な行動が顕著に目立つようになる。

クジノウスキーは学校に行く事を拒絶し、ラッカワーナ炭鉱で働き、後にラッカワーナ鉄道で働いた。


1924年3月8日、スクラントンでクジノウスキーはハリー・クイン (20歳♂) を殺害する。

クインは家族に「レイ・ロジャース」や「ロイ・ランバート」とクジノウスキーを紹介していた。

クジノウスキーとクインは友人であり、2人は旅行に出掛けていた。

しかし、2人はウィスキーボトルで口論となり、クジノウスキーはクインの頭部を岩で叩き割った。

クイン殺害後、クジノウスキーは兄を訪ね町を出るのにお金が必要だと話した (殺人については言及していない) 。


1928年8月19日、ニュージャージー州ジャージー・シティの学校に通うジュリア・モロジノウスキー (5歳♀) が、学校のピクニックでホーパットコン湖を訪れた所、行方不明となる。

モロジノウスキーは見つからなかったが、後にクジノウスキーが殺害を認めた。


同年11月17日午後、ニューヨーク・イーストビレッジのファーストアベニューで、クジノウスキーは酔った状態で2人の子供に声を掛けるが逃げられてしまう。

そして、次に声を掛けたのがジョセフ・ストレリ (7歳♂) であった。

クジノウスキーはお菓子でストレリを釣り、映画に連れて行く事を約束し誘惑した。

その後、クジノウスキーはストレリを列車でジャーナルスクエアに連れて行き、メドウランズ駅に向かって歩き始めた。

途中でストレリが逃げようとすると、クジノウスキーは押し倒し、何度か殴った。

クジノウスキーはストレリの叫び声が通り過ぎる車に気付かれる事を恐れ、クジノウスキーは素早く喉を切り、ストレリの着ていたオーバーコートで体を覆い逃走した。

そして、ミシガン州デトロイトで薬物関連の罪で逮捕されると、看守にストレリ殺害を告白した。

しかし、冗談だと思った看守はその事を報告せず、クジノウスキーは釈放された。


同年12月3日、クジノウスキーは再び逮捕されると、これまでの殺人を告白する。

クジノウスキーが殺人を告白したのは良心の呵責からだった。

クジノウスキーはジャージー・シティに移送され裁判を受ける事となった。

政府が医学専門家を用意し、クジノウスキーを診察すると人格障害と診断した。


1929年1月17日、第一級殺人で有罪判決となった。

裁判官が判決前に何が言いたい事があるかとクジノウスキーに尋ねると、黙って何も語らなかった。


同年2月24日、クジノウスキーには電気椅子による死刑が言い渡された。

クジノウスキーの事を知った父親のポールはあまりのショックで衰弱し、著しく健康状態が急速に悪化した (そのままポールは1929年6月23日に病死している) 。

弁護士がクジノウスキーの異常を理由に減刑を嘆願するが拒否される。


同年12月21日、電気椅子による死刑が執行された。

享年26歳。

死刑執行前日の夜、クジノウスキーは緊張し始め、執行直前に司祭が発した祈りを聞く余裕がなかったという。

3人を殺害したクジノウスキーだったが、1927年に姿を消したビリー・ガフニー、同じく1927年2月にブルックリンで行方不明となったアーヴィング・ピッケルニーの主要な容疑者とされた。

しかし、後にアルバート・フィッシュがガフニー殺害を告白した。

実はクジノウスキーが犯行を行っていた場所はフィッシュが行っていた場所と同じで、しかも、両者とも子供を標的としていた。

その為、クジノウスキーの犯行はフィッシュと混同される事が多い。


最後に殺人について告白した際のクジノウスキーの発言で終わりたいと思います。

「私は罰を受けても構わないと思っている。すぐに終わった方が良い。私は自白しなければならなかった。それは私を悩ませた」



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1924年3月8日~1928年11月17日



∽ 総評 ∽

3人の主に少年少女 (1人は大人) を殺害したクジノウスキー。

クジノウスキーはかのアルバート・フィッシュと同時期に同じ地域で犯行に及んだ (フィッシュは1910年~1934年の間犯行に及んだとされている) 。

しかも、両者とも子供を標的としており、当時、ニューヨーク周辺は最悪の状況であったといえる。

クジノウスキーは頭を打ってから様子がおかしくなったとされている。

確かに頭に衝撃を受けて異常な人格になる事は多々あり、これまで何人も紹介してきた (ただし確実な因果関係は不明) 。

父親が息子の凶行に相当なショックを受けた事を考えれば、こんな鬼畜になるとは思ってもみなかったのであろう。