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ジョセフ・カリンジャー (アメリカ)
【 1935 ~ 1996 】



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マイケル・カリンジャー (アメリカ)
【 1960 ~      】



ジョセフ・カリンジャー (出生名ジョセフ・リー・ブレナー三世) は、1935年12月11日、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた。

父親をジョセフ・リー・ブレナー・ジュニア、母親をジュディスといった。


1937年12月、父親が母親や家族を捨てた為、カリンジャーは施設に預けられる事となった。


1939年10月15日、カリンジャーはオーストリアからの移民、スティーブンとアンナのカリンジャー夫妻に引き取られた。

だが、カリンジャーは養父母によって凄惨な虐待を受けた。

ギザギザの岩の上に長時間座らされ、クローゼットに閉じ込められた。

自傷行為を強要され、鉄で焼かれベルトで鞭打たれた。

更に食事も録に与えられず、排泄物を食べさせられたりといったそれは陰惨なものだった。

その虐待のせいでカリンジャーは6歳の時に椎間板ヘルニアに苦しめられるようになる。

そして、9歳の時には近所の少年グループに強姦された。

これらの凄惨な出来事はカリンジャーの精神状態を不安定にさせ、養父母や教師に反抗的になった。

ただ、カリンジャーは劇作家になる事を夢見ていた。

15歳の時、ヒルダ・バーグマンと交際を始める。

養父母はバーグマンと会わないよう忠告するが、カリンジャーは無視して17歳の時に結婚し、2人の子供が生まれた。

だが、度重なるカリンジャーの家庭内暴力により、1956年、バーグマンは去った。


1957年9月4日、重度の頭痛と食欲不振によりカリンジャーはセント・メアリーズ病院に入院する。

医師は離婚によるストレスが原因だと診断した。


1958年4月20日、カリンジャーはエリザベス・バウムガルドと再婚する。

夫妻には5人の子供が生まれるが、カリンジャーは妻や子供たちに自身が養父母に行われた虐待を繰り返した。

その後、10年の間にカリンジャーの精神状態は更に悪化し、記憶喪失や自殺未遂、放火などを行い精神施設の出入り繰り返した。


1972年、カリンジャーは子供に虐待を訴えられ逮捕された。

カリンジャーはIQが82しかなく、妄想型統合失調症と診断された。

ある時、カリンジャーは『男の子を殺しペニスを切り落とせ!』という神の声を聞く。

その事を息子マイケル (この時13歳) に告げ、犯罪に協力するよう説得する。

マイケルは父親の異常性を引き継いでおり、喜んでカリンジャーの要求に応じた。


1974年7月7日、親子の最初の犠牲者はプエルトリコの少年ホセ・コラゾであった。

2人はコラゾを誘惑すると殺害し、陰茎を切断した。

次にカリンジャーは長男のジョセフ・ジュニアを殺す事に決める (動機はカリンジャーの虐待を警察に訴えたからとも、保険金目当てともいわれる) 。

マイケルは崖にジョセフを連れて行き、写真を撮る為のポーズを取らせると、その時に崖から突き落とそうとするが失敗する。

次にカリンジャーとマイケルはジョセフを犯行現場に連れて行き、家を放火する際に家の中に閉じ込めて一緒に焼き殺そうとするが再び失敗してしまう。

3度目の挑戦で、親子は捨てられた建物の解体現場でジョセフを溺死させる事に成功する。


同年、カリンジャーとマイケルはジョーン・カーティ (♀) の家に押し入り、カーティをベッドに縛り付けると金品を奪った。

一通り盗み終わるとカーティを強姦し逃走した。

親子はペンシルベニア州へ移動し、店舗に侵入するとそこで5人の労働者を人質にとり、その内1人の胸を刺した。

親子は現金と宝飾品約2万ドル (約500万円) 相当を盗んだ。

その後、数週間でいくつかの家に侵入し、2人の女性を強姦した。


1975年1月8日、親子はニュージャージー州レオニアで民家に侵入し、8人の住人を銃で脅して拘束した。

カリンジャーは8人の内の1人で看護師のマリア・ファッシング (21歳♀) に、男性人質1人の陰茎を噛むよう命じる。

しかし、ファッシングが拒否した為、その事に怒ったカリンジャーはその場を離れる前にファッシングを刺して殺害した。

カリンジャーは現場近くでファッシングを刺した際に浴びた返り血まみれとなったシャツを捨てた。

警察はカリンジャーとマイケルを周辺で目撃したという証人の情報から調査を進め、カリンジャーの家庭内暴力の歴史や息子ジョセフの未解決の死等が判明し、親子を逮捕した。

親子は誘拐と強姦、3件の殺人で起訴された。

カリンジャーは神が殺すように指示したと主張し、自身が精神異常だと訴えた。


1976年10月14日、カリンジャーには終身刑が言い渡された。

マイケルは父親によって犯行を手伝わされたと判断され、21歳の時に名前を変更され釈放された。

刑務所でカリンジャーは自身に火を付けようとしたり何回も自殺を試みた。

その為、カリンジャーはニュージャージー州トレントンにある精神病院に移送された。


1979年5月18日、カリンジャーはフィラデルフィアの精神病院に移送された。


1996年3月26日、カリンジャーは心不全で死亡した。

享年60歳。



《殺人数》
3人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1974年7月7日~1975年1月8日



∽ 総評 ∽

親子で多くの家に侵入し、3人を殺害、他多くの被害者を出したカリンジャー親子。

カリンジャーが養父母から受けた虐待はかなりのものであり、異常になるべくしてなった結果といえる。

そして、その異常性を見事に受け継いだ息子と犯行に及んだが、いくら父親に率先されたといえどわずか13歳で異常な犯行に積極的に参加するというのは信じられない話である。

ただ、その息子は父親によって犯行を手伝わされとして21歳の時に釈放された。

21歳となると1981年に釈放された事になりその後どのような人生を送っているのか詳細がないのでわからないが、おそらく真っ当な人生を送っていないと思う。

養父母の凄惨な虐待、それによる精神破綻が及ぼす犯行、その血を継いだ13歳の異常な息子と繰り返す犯罪。

なにもかもが想像を超える鬼畜振りだが、さすがアメリカの異常犯罪というべき事件である。