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ブランドン・スペンサー (アメリカ)
【 1993 ~      】



2012年10月31日午後11時30分頃、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスにある南カリフォルニア大学 (USC) でハロウィーンのパーティーが行われていた。

ブランドン・スペンサー (1993年11月3日生) とそのガールフレンドの2人は、パーティーのチケットを入手し、構内に侵入した。

そして、ジェノ・ホール (♂) を見つけると、ホールに向かって発砲した。

ホールはガールフレンドと話している所を撃たれた。

ホールを撃った後、スペンサーは近くにいた3人に向かって発砲し、逃走した。

撃たれたホールを含む4人は負傷したものの命に別状はなく、ホールは大学の学生であったが、他の3人は大学とは関係がなかった。

逃走したスペンサーだったが、日付が変わった11月1日の朝、逮捕された。

肝心の動機だが、実はスペンサーはギャングで、撃たれたホールもギャングのメンバーであった (とされる) 。

約1年前の2011年8月に、ホールの所属するギャングのメンバー (誰かはわかっていない) が、スペンサーの腹部を撃つという事件が起きていた。

その報復としてスペンサーはホールを撃ったのだった。

撃たれたホールは高校時代はフットボールの有望な選手だった。

スペンサーは4件の殺人未遂で起訴された。

検察はスペンサーの所属するギャングとホールの所属するギャングは長年抗争が絶えず、スペンサーとホールはツイッターでしばしば衝突していたと述べた。

スペンサーのガールフレンドは、1年前にスペンサーを撃ったのはホールで間違いないと主張した。

弁護士はスペンサーがギャングの一員である事に異議を唱え、その真っ当な経歴を示した。

また、ホール側の証言が一致しない事を指摘した。

スペンサーの幼少時代を知る友人は恩赦を求める手紙を裁判官に書いた。

それには
「スペンサーは今回のような行為を行う人間ではない。彼にスペンサーにチャンスを与えて欲しい」
と書かれていた。

対してコラムニストのサンディ・バンクスは、
「彼はターゲットを含め4人を負傷させたが誰も死ななかった為、寛大な刑になると思っている。ただ、今回の事件はギャング同士の紛争に無実の人が巻き込まれた事を教訓とするべく厳罰で望むべきだ」
とコラムに綴った。

だが、裁判官はスペンサーには殺意があったとして有罪判決を下した。


2014年4月18日、判決が言い渡される前に、裁判官はスペンサーに
「最後に言いたい事はあるか?」
と問うと、スペンサーは

「今回の事は本当に申し訳ないと思っています。けど、私は人生を刑務所で過ごす事など出来ません。私はそんなに悪い人間ではありません」

と涙ながらに述べた。

スペンサーには懲役40年が言い渡された。

スペンサーの判決に対して「重すぎる」という声が少なからず聞かれた。

グレンデール在住の女性スーザン・ハリスは、
「スペンサーの泣き崩れる映像を見ましたか?私はそれを見た時心が痛かった。今回の判決はこの国の司法制度がいかに破綻しているかがわかった典型的な例です。『法は法である』と言う人がいる事は知っています。法は法であるかもしれませんが、とても平等に機能されていません。ただ勘違いしないで欲しいのは私は反銃であり、スペンサーがやった事は酷い事も理解しています。偶然誰も亡くならかったけど多くの人が亡くなる可能性がありました。私は彼の犯罪を許したわけではありません」
と述べた。

また、同じ時期にゲームをやっていた父親が泣いてうるさい16ヶ月の息子を殺すという事件が起こっていたが、その父親は有罪判決を受けたとしても懲役10年であった。

それと比べてあまりに重いというのが重過ぎるという意見の人達であった。



《殺人数》
0人 (4人負傷)

《犯行期間》
2012年10月31日



∽ 総評 ∽

ギャングの復讐で銃撃したスペンサー。

スペンサーは復讐する1年前にライバルギャングの発砲を受け負傷した。

撃ったのがホールだと確信し犯行に及んだのだが、撃ったのはホールではなかった。

スペンサーの判決は懲役40年であったが、これには重いという意見が多かった。

確かに同じ時期に起こった子殺しの事件が懲役10年である事を考えれば重いかもしれない。

ただ、子殺しの事件が軽過ぎるのであって40年は決して軽くない。

冷静に考えれば4人が負傷し、1人10年と考えれば40年は妥当である。

「刑務所で過ごす事は出来ない。私は悪い人間ではない」とよく自分で言えたものだと思う。