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マティアス・フリンク (スウェーデン)
【 1970 ~       】



マティアス・フリンクは、1970年3月8日、スウェーデン・ファールンで生まれた。

祖父はベテランの銃工で、父親も跡を継いだ。

父親は自ら店を持ち、母親は専業主婦であった。

フリンクは7歳でボーイスカウトとなり、9歳の時に両親が離婚した。

フリンクは父親と生活する事となるが、お互い納得の離婚であった為、母親もわずか200m程のアパートに引っ越し関係性は続いた。

高校では電気機械工学を専攻し、卒業後は兵役の為、陸軍に入隊した (スウェーデンは2010年に一旦兵役を廃止するが2018年に復活している) 。


ダーラナ連隊へ配属され、後に少尉となるが、1994年春頃から精神的問題に苦しむようになる。

性格が嫉妬深く攻撃的になり、睡眠障害によりそれは悪化の一途を辿った。

また、言動も過激で横暴になっていき、特に女性に対して酷くなっていった。


同年6月11日、自宅でアルコールを大量に飲んだ後、軍服に着替えて軍に向かった。

そして、AK5 (スウェーデンのアサルトライフル) と弾薬150発を持ち出し、ファールンのダウンタウンにある公園で銃を乱射した。

この銃撃で陸軍女性隊員4人が即死し、2人が負傷した。

その後、フリンクは交差点に出ると、自転車に乗っていた男性と警備員の男性を射殺した。

フリンクは合計47発放ったが、その全てが命中していた。

また、負傷した女性隊員の内、1人は病院に搬送後、死亡した為、犠牲者は7人となり負傷者は3人であった。

一通り銃撃を行うと、フリンクは近くにあった建設用クレーンに登ってしばらく過ごした後、家に帰ろうと線路を歩き始めた。

しかし、2名の警察官と遭遇し、フリンクは警察官に向かって発砲するが、反撃に遭って腰に被弾しその場に倒れた。

フリンクは病院に搬送され治療を受けるが、血中アルコール濃度が異常に高かった。

フリンクの動機だが、両親が離婚し、母親と離れ離れになった事にショックを受け、そのショックが女性への怒りに変わり犯行に及んだとされた。


同年9月12日、裁判が始まり、フリンクの精神状態とアルコールによる状態が焦点となった。

弁護側はフリンクの精神状態とアルコールによる一時的な精神異常により刑務所に収監させる事は出来ないと主張した。


判決は最高裁判所までもつれるが、1995年2月13日、フリンクには終身刑が言い渡された。

この判決はスウェーデンにおいてアルコールで誘発された精神状態で行われた犯罪として刑務所に収監された最初の事例となった。

フリンクはスウェーデン政府の保護下に置かれていた為、インタビュー等に応じる事が一切出来なかった。

ただ、フリンクは刑務所では模範囚であった。


2008年、フリンクは仮釈放を申請した。

これを受け、フリンクの精神鑑定が再び行われる事となるが、これに対して遺族から強い反発が起こった。

だが、模範的な行いにより監督無しの外出が認められる事となり、再び遺族が反発した。


同年1月、フリンクは終身刑から懲役24への減刑申請を行った。


同年9月3日、裁判所はフリンクの申請を却下するが、2010年7月7日、再度、減刑申請を行う。

前回は却下された減刑申請であったが、今度は承認され、フリンクの刑は懲役32年に減刑となり、2015年以降の仮釈放申請が認められる事になった。


だが、2010年12年21日に検察が控訴し、控訴裁判所は2018年夏以降仮釈放の可能性がある懲役36年に変更となった。

しかし、その後、再び減刑となり最高裁判所により20年の服役後、2014年夏以降の仮釈放の可能性がある懲役30年となった。


そして、事件から丁度20年が経過した2014年6月11日、フリンクの仮釈放が認められ釈放された。



《殺人数》
7人 (他負傷者3人)

《犯行期間》
1994年6月11日



∽ 総評 ∽

銃を乱射し7人を射殺したフリンク。

フリンクは両親が離婚し、母親と離れ離れになった事のショックが精神を破綻させたとされる。

フリンクは嫉妬深く狂暴となり、睡眠障害により精神が破綻した。

だが、それだけの理由でこれ程の精神状態に果たしてなるのだろうか。

とてもそれだけが理由とは思えない。

元々持っていた異常性が開花したに過ぎないと思う。

フリンクは度重なる減刑嘆願により減刑となり、現在は外に出てしまっている。

遺族の度重なる反発にも拘わらず司法に無視され、釈放となった。

流石は北欧司法ともいえるが、一体どれだけ被害者や遺族を舐めたら気が済むのだろうか。