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マッティ・ハーポヤ (フィンランド)
【 1845 ~ 1895 】



マッティ・ハーポヤは、1845年9月16日、フィンランド・イソキーロで生まれた。

ハーポヤは犯罪者として生活を始め、馬を盗むようになった。


1867年12月6日、酒飲み仲間のヘイッキ・インポーネン (♂) を刺して殺害する。

ハーポヤは懲役12年を宣告され、トゥルクの刑務所に収監された。

その後、10年の間に刑務所から4度脱獄を図り、その度に捕まった。

だが、この脱獄劇によりハーポヤの知名度は国中に広がった。


1876年8月12日に起こした強盗でその名声は更に高まった。

だが、最後の脱獄後、終身刑を言い渡されていたハーポヤだったが、自身の刑をシベリアへの追放に変更するよう請願し、認められた。


1880年、ロシア・オムスク州に送られたハーポヤは、1886年に男性を殺害した。

その後、ハーポヤは東シベリアへ追放され、2人の有名なフィンランドの犯罪者を殺害した (ただし近年はその殺人は作り話とされている) 。


1889年頃、ハーポヤはシベリアを脱出し、フィンランドに戻る事に決めた。

また、ハーポヤはその後、アメリカへ渡るつもりであった。

ハーポヤはフィンランドへ戻る為に強盗や殺人を犯して資金を集めた。

この時少なくとも4人を殺害し、金品を奪っている。

また、ロシア人からパスポートを入手した。


1890年9月、ハーポヤはフィンランドに戻り、同年10月8日、売春婦ジェミナ・サロ (♀) を強盗目的で殺害した。

数日後、ハーポヤは逮捕され、殺人を認めた。

裁判が始まると、ハーポヤは法廷で高慢に振る舞い、聞いてもいないのにシベリアで犯した殺人についても告白した。

ハーポヤには再び終身刑が言い渡された。


1894年10月10日、ハーポヤは再び脱獄を考え、警備員に襲い掛かり、1人を殺害、2人を負傷させた。

しかし、刑務所から出られない事を悟ると、自身を刺して自殺を図った。

だが、傷は致命的とはならず、独房に入れられる。


1895年1月8日、刺し傷が回復したハーポヤは、独房で首を吊って自殺した。

享年49歳。

ハーポヤの骨格はヴァンターにある犯罪博物館に長らく保管されたが、丁度100年経った1995年、埋葬されている。

ハーポヤによる正確な殺害数は古い時代という事もありよくわかっていないが、本人は18人の殺害を告白している。

ただ、専門家によると22人から25人は殺害していると推定している。



《殺人数》
8人以上 (22~25人の可能性あり)

《犯行期間》
1867年12月6日~1894年10月10日



∽ 総評 ∽

フィンランドやロシアで8人以上殺害したとされるハーポヤ。

今から100年以上も前の話であり、殺害数については不明な点が多く残っている。

脱獄や脱走、また、地方への移送を許すというのは時代もあったと思われる。

何もかもハチャメチャな人生だが、自殺してくれた事は素直に褒めたい所である (ただ当時はフィンランドにはまだ死刑があったので、おそらく死刑判決で即処刑だったと思う) 。

ハーポヤの骨格が近年まで展示されていたそうだが、わざわざ展示する程何か特徴でもあったのだろうか。

それともただ単に異常な犯罪者として展示していたのか、いずれにせよ1度見ておきたかったものである。