_20200106_125051
エフゲニー・チュプリンスキー (ロシア)
【 1965 ~      】



エフゲニー・アレクサンドロヴィッチ・チュプリンスキーは、1965年3月14日、ロシア・ノヴォシビルスクで生まれた。

チュプリンスキーはKGB (ソ連国家保安委員会) の国境警備員として働き、その後、役員となった。

また、警察官として勤務し、1990年代には警察内務省に勤務した。

その後、チュプリンスキーはタクシー・ドライバーとして働き始めた。


1998年10月、チュプリンスキーは結婚し、その後、2人の子供が生まれた。

チュプリンスキーはウラジーミル・プーチン率いる連合党を支援した (だが2004年には止めている) 。


同年11月19日、女性の遺体が発見される。

結局、女性 (文書で「女性#1」と呼ばれた) の身元は最後までわからなかった。


1999年1月2日、売春婦のエフゲニヤ・S (19歳) が最後に姿を確認された後、行方不明となる。

同年2月21日、エフゲニヤの知人がメールを受け取った。

同年2月26日、エフゲニヤの体の一部が見つかり、同年4月19日、残りの遺体が発見された。

死因は窒息死とされ、また、殺害された正確な日付はわからなかった。


同年5月27日、3人目の犠牲者の頭部が見つかった。

この女性も最後まで身元がわからず、調査官は「女性#3」と呼んだ。


同年10月18日、頭部のない女性の遺体が発見される (上記女性とは別人) 。

死因は窒息死とされ、身元はわからないままだった。


同年11月2日、売春婦のスヴェトラーナ・A (28歳) の遺体が発見される。

スヴェトラーナは麻薬中毒者で、死因は窒息とされ首を切断されており、体の至る所を骨折し刺し傷も多数みられた。

また、強姦されていたが、体内に犯人のDNAが残されており、すぐそばに使用済みコンドームが捨てられていた。


2000年4月1日、切断された手が見つかり、同年4月17日には乳房が取り除かれた胴体のみが見つかった。

同年4月20日、少年が埋め立て地で頭部を見つけるが、最初マネキンだと思った。

その頭部はスヴェトラーナ・S (21歳♀) だと判明するが4月1日に見つかった手とは別人であった。


更に同年4月21日に女性の頭部が見つかるが、これが4月1日に見つかった手と同一人物だとわかった。

スヴェトラーナ・Sも売春婦であり、専門学校卒業後、同年1月19日に行方不明となっていた。


同年5月27日、2人の男子生徒が足を見つけ、その女性は身元がわからず「女性#7」と呼ばれた。


2001年1月下旬、12歳の息子がいるイリーナ・B (31歳♀) が行方不明となる。

イリーナの死因は窒息死であり、遺体は同年3月16日に見つかった。

イリーナの手足と頭は切断されており、胴体のみが見つかった。

後にチュプリンスキーがイリーナの体の一部を新聞に綺麗に包んで埋めた事がわかった。


2001年4月7日、身元不明の「女性#10」の頭が切断された遺体が見つかった。

遺体には首を絞められた跡があったが、それが死ぬ前につけられたのか死後につけられたのかわからなかった。


2002年3月28日、10歳の少年3人が男性のシャツに包まれた女性の頭部を見つける。

女性は死後に首を切断されていた事がわかったが、身元は最後までわからず「女性#11」と呼ばれた。


2003年4月19日、身元不明の「女性#12」の遺体を2人の兄弟が発見する。

同年4月25日、BMWの側に捨ててあったゴミ袋の中から女性の切断された頭部が見つかった。


同年5月1日、スヴェトラーナ・A () の遺体が発見される (1999年11月2日に遺体が発見された女性とは別の女性) 。

スヴェトラーナは同年4月15日以来行方不明となっていた。


2004年5月10日、イリーナ・P () の遺体が発見される。

イリーナは2003年11月28日に家を出てから行方不明となっていた。


同年6月18日、マリヤ・シュミロワ (31歳♀) が友人の誕生日を祝った後、行方不明となる。

シュミロワは足を骨折し松葉杖をついており、午後10時50分に母親に帰宅の連絡を取った後、行方不明となった (行方不明になったと警察に通報したのは2004年7月7日であった) 。


同年7月3日、親子が散歩中に頭蓋骨を発見する。

頭蓋骨をもとに顔が復元されるが、身元がわからず「女性#15」と呼ばれた。


同年9月27日、ノヴォシビルスクの貯水池で女性 (22歳~25歳) の遺体が発見される。

遺体は身元がわからなかった為「女性#17」と呼ばれるようになった。

女性は頭部を切断されており、頭部は彼女自身のジーンズに包まれていた。


同年10月2日、アンナ・E (19歳♀) の遺体が発見される。

遺体は頭部が切断され、当時は身元がわからなかった為「女性#18」と呼ばれていた。

だが、2009年にアンナ・Eだと判明した。


2006年6月11日、身元不明の女性の遺体が発見される。

遺体はバラバラに解体されており、年齢は27歳から32歳くらいだとされた。

警察は連続殺人事件として捜査を進めていた。

だが、ロシアのメディアが被害者の名前 (アルファベットで発表した) を含む情報を過小報告した為、国民からの情報を得る事が出来なかった。

その為、捜査は遅々として進展せず、犯人逮捕に至らなかった。

また、犠牲者のほとんどが首を切られ、体の一部も切断されており、五体満足の遺体が1人としていなかった為、遺体の判別や情報が少なかった。

しかも、犯行現場が埋め立て地や防風林、道路や荒涼とした場所等バラバラであった事から当初、警察は同一犯によるものと考えていなかった。

ただ、後に犠牲者は全員ノヴォシビルスク地域で働く売春婦である事がわかった。

2005年に警察は犯行が1人によって行われたと結論付けるが、2006年以降、犯行が行われなくなってしまい、その為、捜査が遅れ犯人を逮捕出来なかった。

警察は犯人が死亡したか海外に逃亡した可能性があると考えた。


2015年10月、アレクセイ・イワノフというタクシー・ドライバーが、一連の事件の犯人だとして逮捕された。

約10年振りの逮捕となり、イワノフもいくつかの事件を告白した。

だが、最終的にイワノフは関係ないとして犯人から除外された。

警察は殺人の恐ろしい性質の為、犯人を悪魔主義者だと考え捜査を続けた。

実はチュプリンスキーは悪魔主義者による犯行に見せ掛ける為に意図的に悪魔のイメージを現場に残し、捜査を撹乱させる事が目的であった。

だが、捜査の末、チュプリンスキーの名前が容疑者として挙がる。

実は、警察は以前、チュプリンスキーの車を調べた事があり、その時にシュミロワの携帯電話が見つかっていた。

だが、チュプリンスキーはタクシーに乗客として乗せた時に落とした物だと主張した為、それ以上捜査をしなかった。

そして、2006年、警察がチュプリンスキーに再び関心を示し捜査を始めるが、一連の事件の犯罪に結び付ける十分な証拠を見つける事が出来なかった。


10年後の2016年、再び警察はチュプリンスキーを調査し、DNAサンプルを要求した。

そして、犠牲者の衣服に残されたDNAと一致すると、同年4月28日、チュプリンスキーを逮捕した。

チュプリンスキーはシュミロワについてディミトロフ橋からオビ川に投げ込んだと告白した。


2018年3月6日、チュプリンスキーは終身刑が言い渡された。

チュプリンスキーによる犠牲者は少なくとも19人であり、その他に2002年と2003年の冬に女性を殺害したと主張している。



《殺人数》
19人以上

《犯行期間》
1998年11月19日~2006年6月11日



∽ 総評 ∽

『The Maniac of Novosibirsk (ノヴォシビルスクの狂人) 』と呼ばれ、少なくとも19人を殺害したチュプリンスキー。

チュプリンスキーは元KGBであり、そんな人間がこれだけの犯行に及ぶというのは恐ろしさしかない。

チュプリンスキーの最後の犯行は2006年とされ、逮捕される2016年までの10年間、殺人を犯している様子がない。

実際はやっていて発覚してないだけかもしれないが、チュプリンスキーは逮捕された時、結婚して子供も2人おり、ごく普通の生活を送っていたので逮捕されて刑務所にいたわけではなかった。

こんな鬼畜が急に改心するはずもなくよくわからない。

チュプリンスキーはほぼ全員を斬首し、遺体を残酷に解体した。

ロシアのシリアルキラーの陰湿振りは群を抜いており、このチュプリンスキーもその例にもれない異常者である。