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テッド・バンディ (アメリカ)
【 1946 ~ 1989 】



1978年1月15日午前2時45分、バンディはフロリダ州立大学のカイ・オメガ女子寮の鍵の壊れたドアから侵入する。

そして、眠っていたマーガレット・ボーマン (21歳♀) を殴るとストッキングで首を絞めて殺害した。

別の部屋に移るとリサ・レビー (20歳♀) の乳首を噛みちぎり、臀部に歯形が残る程噛みついた。

その後、花瓶を膣に突っ込み、首を絞めた (この時はまだ息があったレビーだが病院に搬送される途中で息を引き取った) 。

隣の部屋に移動したバンディは、キャシー・クレーナー (♀) の顎を砕き、更にカレン・チャンドラー (♀) の頭部を殴り顎を砕いた。

1人の女子学生が女子寮の玄関の外で男性がこん棒を持って立っているのを目撃する。

警察への通報を迷っていると、チャンドラーが部屋からよろめきながら現れた。

チャンドラーは頭から血を流しており、女子学生はタラハシー警察に通報した。

警察が現場を調べると、4人の被害者はわずか15分足らずで襲われた事がわかった。

また、他の部屋にも女子学生が何人もいたが、物音を聞いた者はいなかった。

女子寮を離れたバンディは、数ブロック離れたアパートで学生のシェリル・トーマス (♀) を襲った。

隣の女子学生がトーマスの泣き声で目を覚まし、トーマスに連絡すると物音が止み、誰かが慌てて出ていく気配を感じた。

トーマスは一命は取り留めたが、顎の骨と頭蓋骨を骨折し聴覚障害が残った。

バンディは犯行現場からわずか数ブロックの所に住んでいたが、この時「クリス・ヘーゲル」という偽名を名乗り、盗んだクレジットカードで生活していた。


同年2月8日、バンディは2日前に盗んだ白いバンに乗りフロリダ州ジャクソンビルで、レスリー・パーメンターに声を掛ける。

しかし、パーメンターの兄がやって来た為、バンディはその場を離れた。


翌日の9日、キンバリー・リーチ (12歳♀) が忘れ物を取りに教室で出た後、行方不明となる。


同年2月13日、バンディはオレンジ色のフォルクスワーゲンを盗んでフロリダ州ペンサコーラを走っていると、警察官デイビッド・リーがナンバープレートを見て盗難車だと気付いた。

バンディは逃走を図り、リーは追跡した。

壮絶なカーチェイスが展開され、それは途中でリーが車から発砲する程であった。

数時間後、バンディは車から降りて走って逃走を図るがリーが追い付き逮捕しようする。

しかし、バンディがリーを蹴って逃走した。

リーは再び追い掛けバンディに飛び付いた。

その後、バンディが激しく抵抗した為揉み合いとなったが最後は確保された。

リーは盗難車を調べると、フロリダ州立大学の女子学生3人分の身分証、21枚のクレジットカード等が見つかった。

実はこの時、バンディは「Ten Most Wanted (10大最重要指名手配犯) 」に指定されていたが、リーはバンディだとは気付かずに護送した。

この時、バンディは

「いっそ殺してくれればよかったのに」

と呟いた。

ただ、この時点では強姦連続殺人犯として起訴する事は出来なかった。


同年4月7日、ハイウェイをパトロールしていた警察官が、スワニー・リバー州立公園近くの納屋で、リーチの遺体を発見する。


同年4月27日、警察は激しく抵抗するバンディを押さえ付け歯形をとった。

バンディは裁判所に無罪を申し立て、その後、バンディの裁判はフロリダ州マイアミに移管された。

タラハシーで裁判が行われなかったのは、公正中立な陪審員12名を揃える事が困難であったからだった。

マイアミでの裁判でバンディは再び自身を弁護した。

その様子はテレビで放送された。

だが、バンディの歯形がレビーの臀部に残された噛み跡と一致する。


1979年7月23日、7時間の協議の末、陪審員はバンディを有罪とした。

裁判官はバンディに何か言う事ないかと聞くと、

「私がやってもいない事で慈悲を求めるというのは納得いきません。判決は私に対する判決ではありません。それは今ここにいない人間に対する判決です」

と涙声で答えた。

裁判官はバンディに死刑判決を言い渡すと、
「あなたが体に気を付ける事を私は心から願っている。このような裁判は法廷にとっても悲劇でした。あなたは非常に頭の良い青年です。立派な法律家になったかも知れない。この法廷に弁護士として立っていたならどれほど良かった事か。私はあなたに敵意は全く持っていない。これは信じて欲しい。しかし、あなたは道を間違えた」
とバンディに語った。


1984年7月、バンディは独房の窓の鉄格子をノコギリの刃で1本切って脱獄を試みるが、事前に看守によって見つかってしまう。

バンディは別の部屋に移されたが、別の死刑囚に何度か暴行を受けた (集団で強姦されたともいわれている) 。


同年10月、バンディはワシントン州で相次いでいた「グリーン・リバー・キラー事件」解決に協力したいと連絡をとる。

バンディは自身がシリアルキラーの専門家として相手の心理がわかると話した。

ただ、バンディが協力を申し出たのは、事件解決する事で恩赦により死刑を回避しようという目論見であった。

だが、「グリーン・リバー・キラー事件」の犯人であるゲイリー・リッジウェイが逮捕されるのは15年以上も後であり、バンディの意見は的確な事もあったが、結局、あまり当てにはならなかった。


1986年、バンディの死刑執行日が同年3月4日に設定される。

だが、最高裁判所命令により執行は延期となり、同年7月2日に再設定された。

執行日が設定されると、バンディはこれまでの犯行の一部について語り始めた。

バンディは第2の犯行現場について語り、何度もそこを訪れ腐敗が進むまで遺体を死姦したと話した。

バンディは少なくとも10人程の犠牲者の首を切り落とし、その頭部を自宅アパートにしばらく保管したと話した。


同年7月2日、バンディの死刑執行まで15時間を切った所で控訴裁判所により執行の無期限延期が命じられた。

実は陪審員はバンディを死刑にするか終身刑にするが審査した際、丁度6対6に分かれていた。

その事について裁判官がどちらにするか陪審員たちに結果を求めた際、指示に誤りがあったからだった。

その後、バンディの執行日は同年11月18日に設定された。

だが、再度控訴裁判所が執行延期を命じた。


1988年、最終的にバンディの死刑執行日は1989年1月24日に設定された。

すると、バンディはワシントン州やオレゴン州の8件、テイラー山に捨てた遺体5体等、殺人について話し始めた。

また、アイダホ州やユタ州、コロラド州の警察には多くの殺人について話した。

ただ、バンディは殺人について語り始めたが、それは断片的な事ばかりで詳細を語らなかった。

これは、死刑を延期させる事が狙いであった。

だが、死刑延期がこれ以上ない事が判明すると、バンディは恩赦を求めた。

州知事は
「告白を求めていない」
とバンディへの死刑執行が揺るぎない事を発表した。


1989年は1月24日午前7時16分、電気椅子による死刑が執行された。

享年42歳。

執行された刑務所には何百人もの人が詰め掛け、バンディの執行を喜び、歌や踊るといったお祭り騒ぎとなった。

ただ、実際に執行された事を信じない国民も多くおり、その為、執行時の写真が新聞に掲載される事となった。


⑤に続く