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テッド・バンディ (アメリカ)
【 1946 ~ 1989 】



テッド・バンディ (出生名セオドア・ロバート・カウエル) は、1946年11月24日、アメリカ・バーモント州バーリントンで生まれた。

母エレノア・ルイーズ・カウエル (1924~2012) は未婚の女性であり、バンディは私生児であった。

父親については詳しくわかっていないが、出生届にはアメリカ空軍の退役軍人ロイド・マーシャルと記載されていた。

だが、後にエレノアはジャック・ワシントンという水兵がバンディの父親ではないかと告白するが、調査の結果そんな名前の人物は海軍や民間船のどこにも存在しなかった。

また、親戚によるとエレノア自身の父親サミュエル・カウエルがバンディの親ではないかと言う者もいた (カウエルはエレノアに虐待を行っていた為、強姦された際に身籠ったのではと言われたが根拠は全くない) 。

3歳までペンシルベニア州フィラデルフィアでサミュエルの家で生活を送った。

当時、結婚以外での妊娠、出産で生まれた子供は世間から蔑まれた為、負い目を感じて欲しくないという事から、エレノアは自身を姉、祖父母の事を両親と教えてバンディを育てた (メソジストの為そのように偽ったとも言われる) 。

後にバンディはその嘘を知る事になるのだが、ガールフレンドには私生児呼ばわりした従兄弟が出生届のコピーを見せて来たと語り、作家のスティーブン・ミシューとヒュー・エインズワースには自分で出生届を見つけたと話し、話しに食い違いがみられる (バンディは嘘つきな為そのどちらも嘘の可能性がある) 。

どちらにせよ自分の本当の父親について語らない母親に対してバンディは怒りを露にしていた。

後にバンディは祖父の事を「尊敬」していると話すと同時に、1987年に家族と共に弁護士にサミュエルの家での虐待や支配的な横暴についても非難している。


1950年、エレノアは名字をカウエルからネルソンに改め、バンディを連れ従兄弟を頼ってワシントン州タコマに移った。


1951年、エレノアはお見合いパーティーで病院の調理師であったジョニー・バンディ (1921~2007) と出会う。

2人はその年の内に結婚し、バンディも一緒に生活する事となった。

ジョニーとエレノアには4人の子供が生まれ、ジョニーはバンディを他の子供と分け隔てなく育てるが、2人の関係は決して良好とは言えなかった。

後にバンディはガールフレンドにジョニーの不満を吐露している。

また、後にバンディが作家にジョニーの事を語っているが、内容が変わっており、祖父の事を語った時と同じであった。

バンディの学生生活についても本人が発言を変えている為、真実は不明であった。

ただ、1人を好み、友情という意味がわからず、友達を作りたいという気持ちが理解出来ないと話していた。

だが、同級生によるとバンディは
「有名で人気者であったが、広い池で例えると中くらいのサイズの魚」
程度の存在であったという。

バンディの唯一の趣味はスキーであったが、盗んだスキー道具とリフト券を偽造してスキーを楽しんだ。

そして、高校生の時に住居侵入及び自動車泥棒により2度逮捕された。


1965年、高校を卒業するとピュージェットサウンド大学に通い、その後、1966年に中国語を学ぶ為にワシントン大学に編入した。

そして、バンディは同級生の女性ステファニー・ブルックス (名前については諸説あるが一般的にはこの名前とされている) と付き合い始める。


1968年、ブルックスはバンディと別れる。

理由は「バンディの幼稚さと向上心のなさ」であり、ブルックスはカリフォルニア州にある実家に帰った。

この事はバンディにとって相当なショックであった。

ブルックスに振られたバンディはコロラド州へ傷心旅行に出掛け、親戚の家を尋ねた後、テンプル大学に通った。


1969年、バンディはワシントン州へ戻り、エリザベス・クレプファー (別の文献では名前が異なる) という女性と出会う。

バンディとクレプファーとの関係はバンディが逮捕されるまで続いた。


1970年、ワシントン大学に再入学し、心理学を専攻する。

成績は優秀で、教授たちからその才能を評価された。


1972年、ワシントン大学を卒業すると、州知事選挙に参加し、応援していた知事が再選を果たした。

共和党ワシントン州支部長ロス・デイビスがバンディを気に入り、助手として雇った。


1973年、ピュージェットサウンド大学とユタ大学のロー・スクールに合格するが、これはデイビスらの口利きのおかげであり、バンディの実力ではなかった。

そして、バンディは共和党の仕事でカリフォルニア州へ行くと、振られたブルックスとよりを戻した。

ブルックスはバンディが政界や弁護士としてのキャリアを確立しつつあり、以前の幼稚で向上心のない頼りなさは微塵も感じなかった。

そんなバンディにブルックスは惚れたのであった。

しばらく交際は続き、ブルックスはバンディに会う為にわざわざシアトルまで飛行機に乗って会いに行っていた。


1度は結婚まで考えていたバンディだが、1974年1月、突然ブルックスとの連絡を絶った。

その後、1度だけ連絡を取る事が出来たが、バンディはブルックスに

「何が言いたいのかわからない」

と告げ、その後、ブルックスは2度とバンディと話す事はなかった。

そして、ついにバンディは戦慄の凶行に走り出す。


②に続く


* 追伸 *

今日から数日間、シリアルキラーの代名詞、テッド・バンディを掲載していきたいと思います。
当然、知らない方はいないと思いますが読んで頂けると嬉しいです。