マギー・ヤング (アメリカ)
【 1927 ~ 1966 】
1965年11月22日朝、アメリカ・ハワイ州アイエワで、マギー・ヤングはジャニス (5歳) 、ジュディス (3歳) 、ジャネット (2歳) 、ジェシカ (8ヶ月) の4人の娘を次々と水の張ったバスタブに沈め溺死させた。
その後、午前9時30分頃、学校に行っていた息子のジェームズを学校から連れ出し、娘たち同様バスタブに沈めて溺死させた。
警察官が駆けつけると、ヤングはその場におり、子供のまだ濡れた裸の遺体が見つかった。
1人はベッドに、1人は別のベッドに、残りはツインベッドで見つかった。
ヤングは逮捕され、すぐに子供たちの殺害を告白した。
ヤングの夫であるジェームズ・ヤングはアメリカ空軍のキャプテンであったが、ヤングの犯行時、飛行任務で家にはいなかった。
ヤングは同年初めに精神障害でメディカルセンターで2ヶ月間治療を受けていた事がわかった。
ヤングは殺人で起訴されたが、精神科医により犯行当時「病気で混乱した状態」であると診断され、裁判に耐えられないと判断された。
裁判所の命令によりヤングは州立病院への入院となった。
1966年7月25日、ヤングは病院の敷地内を1人で歩く振りをして敷地内にある鶏の屠殺小屋に逃げ込むと、首を吊って自殺した。
このヤングの事件はハワイ州における史上最悪な殺害事件の1つとされており、同一家族における最悪の事件であった。
2001年にアンドレア・イェーツ (以前掲載) がヤング同様5人の子供を溺死させる事件を起こした。
イェーツも精神を病んでおり、躁鬱病であった。
ヤングの元夫で子供たちの父親であったジェームズは、イェーツの事件を知ると、事件解明に協力すると申し出た。
ジェームズは、
「私はアイエワの子供たちの父親なので、産後鬱病の犠牲者である彼女 (イェーツ) と彼女が感じたはずの恐ろしい感情を助ける為に出来る事をしなければならないと思っている。医学は元妻の場合のようにこの状態を早期に認識し、妄想型統合失調症になる前に母親を助ける必要がある」
と語った。
《殺人数》
5人
《犯行期間》
1965年11月22日
∽ 総評 ∽
精神病を患い、自ら5人の幼い子供を殺害したヤング。
ハワイ州の事件といえば、1991年にオーランド・ガナルが妻とその家族4人を殺害した事件や、1985年から1986年の間に5人殺害された未解決事件『ホノルルの絞殺魔』が有名である。
人数だけでいえば今の所 (確認された中では) ハワイ州史上最悪の事件といえる。
ヤングは犯行前に精神病で入院していたが、退院後に凶行に及んだ。
入院中は夫が子供の面倒をみていたのだろうが、まさか夫も仕事中に皆殺しにされるとは思ってもいなかったであろう。
ただ、ヤングの動機が全くわからない。
精神病が原因なのかもしれないが、すでに本人は死んでいるので永遠にわかる事はない。
コメント
コメント一覧 (20)
5人も殺したスプリーキラーは初めて聞きました。
殺した理由も謎だし、死んでるからわからない。
もやもやするけど、死んでくれたのは救いですね。
珍しいですね。
ハワイは温暖な気候のせいか陰湿な事件が非常に少ないですね。
※本人も自殺してしまっているので・・・・・・
どうも、腑に落ちないのが夫です。
精神疾患で退院したからと言っても、家族からのケアが非情に重要であるのに平然と軍務に復帰している。
入院中、子供の面倒を見ていたのも夫では無いかも知れません。
しかも、事件後に綺麗事を並べ立てているのが気に食わないです。
産後鬱病であったのを承知していたのに、ナニもしていなかった事が文面から読み取れるようです。
悲劇の夫を演じてますが、夫に原因があるように感じました。
無論、子供達を殺害した凶悪な鬼母は最も許し難いですが・・・・・・
精神疾患が事件を起こすのでは無いのです。
当事者の明らかな殺意が無ければ、凶悪な殺人事件は起こり得ないと私は思います。
確かに夫が微妙ですよね。
私もそう思いました。
先日紹介したような夫への復讐でもないですし、何か腑に落ちないですね。
動機は育児ノイローゼとかなんでしょうかねぇ個人的には精神病院の医師たちは何をもって治ったと判断しているのかよくわからないです精神疾患が原因だとしたら治ったどころか極めて危険な精神状態のまま退院してしまった様にしか思えないですし。
あくまでもわかっている範囲ではですけど。
やはり気候のせいでしょうかね。
結構古い事件なので謎が多いですが、おそらく当時は精神病への考え方や対処の仕方がよくわからなかった可能性もありますね。
万が一正気に戻ったりしたら耐えられないだろな……
精神病で苦しんでいたのなら本人は辛いでしょうけど、それなら子供達は何とかしなければいけませんでしたね。
本人には自覚症状がないことが多いらしいですから、周りの人が対処してあげるのが一番いいんでしょうけどね…
周囲の人間、特に今回の場合は夫が何とかすべきですね。
エミリー・オーウェンさん(19)が18日に自殺を図り、22日に亡くなりました。
彼女は高機能自閉症(ASD)を患っており、
コロナによる不安や自粛への苛立ちに耐えられなかったそうです。
障害者の方々への心のケアも必要となっています。
それは悲しい事件ですね。
今後も同じような事例が増えると思います。
この時期に渋谷で屯する若者に聞かせてやりたいですね。
老人じみてますが、どうして日本の若者って馬鹿になったのでしょうか。
「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、
精神的には空っぽになってしまっている」と言って切腹した、
三島由紀夫が見て何と言うでしょうか。
三島由紀夫がそういってたのは1960年代~70年年代くらいですからね。
そんな時代ですでにそう感じたというのは凄い事ですよ。
今生きていたら何て言うのでしょうね。
1970年ですからね。
その時期に生まれた人が、バブル期に学生時代を送った世代です。
僕の祖父は1915年に生まれ、高校を卒業した後、難関だった満州鉄道に就職しました。
祖父は生前「今に戦になったら、誰も生きていけないだろう」と口にしたそうです。
私の祖父はシベリアに抑留され、地獄のような日々から生きて生還しました。
毎日極寒のロシアでパン一切れで過酷な労働を強いられました。
生前はロシア人を「ロスケ」と言って忌み嫌っておりましたが、当然だと思います。
ただそんな祖父は日本については何も語らず、時代時代をそれなりに順応して生きていましたね。
子供の頃に天皇をバカにしたらしこたま怒られましたけど。
そうなんですか。
祖父は戦時中に、祖母を連れて満州に逃げようとしたそうですが、
一日並んで手に入れた切符を紛失してしまったそうです。
結果的には、失くしたのが幸いしたようですね。
ソ連軍は荒っぽかったそうですからね。
終戦後、ソ連軍は一方的に樺太に侵攻。
真岡郵便局(現サハリン州ホルムスク)の女性局員9人が自殺した事件もありました。
もし日露関係が安定し、宗谷海峡の行き来が可能になったら、
是非ともサハリンを訪れてみたいと思います。
終戦しているにも拘わらずですからね。
そもそもスターリンが「戦後の復興が大変だ」とたしかイギリスのチャーチルだったと思いますがもらしたところ「捕虜を使えばいい。俺達はドイツの捕虜を使っている」とか言ったおかけでシベリアに抑留されましたからね。
まあ敗戦国は戦勝国に何も言えないのが常なので仕方ないですが、その中でもやはりアメリカはまともでしたね。
北方領土や竹島については日本に返還しろと戦後唯一言っていましたし、シベリアに抑留された捕虜も日本に帰せと言い続けてくてましたし。
死刑になりたいとかほざいてたくせに冷静になったら死刑を回避したいとかみっともない。
やっぱりしましたか。
本人は控訴はないと言ってましたけどやはり口だけでしたね。