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クレスティーナ・ハチャトゥリアン (ロシア)
【 1999 ~      】



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アンジェリーナ・ハチャトゥリアン (ロシア)
【 2000 ~      】



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マリア・ハチャトゥリアン (ロシア)
【 2001 ~      】



2018年7月27日、ロシアの首都モスクワのアルトゥフェフスコエ高速道路の傍にあるアパートの階段で、ミハイル・ハチャトゥリアン (57歳♂) の遺体が発見される。

ミハイルは胸部と首に複数の刺し傷を負った状態であった。


翌日、ミハイル殺害容疑で逮捕されたのは、ミハイルの実の娘たち、長女クレスティーナ、次女アンジェリーナ、三女マリアであった。

尋問に対し3人はミハイル殺害を認めた。

だが、殺害理由について尋ねると、それは衝撃的なものであった。

実は3人は長年、父ミハイルによって肉体的、精神的、性的な虐待を受け続けており、それに対する報復である事がわかった。

犯行の日、ミハイルは精神神経センターで治療を受け帰宅すると、無駄な出費 (治療費) に怒りを露にし、その怒りを発散する為娘たちを罰する事に決める。

ミハイルは娘たちをそれぞれの部屋に閉じ込めると、唐辛子スプレーをクレスティーナの顔面に吹きかけた。

大量のスプレーのガスを吸い込んだクレスティーナは、喘息を引き起こし気を失った。

その後、アンジェリーナとマリアは、クレスティーナの健康と身の危険を考え、ミハイルを殺す事に決める。

その日の夕方、ミハイルが肘掛け椅子で居眠りしている間、アンジェリーナとマリアがハンティングナイフとハンマーで襲い掛かった。

しかし、ミハイルが目を覚まし、身を守ろうと2人に抵抗した。

クレスティーナは騒音で目が覚め、自身がかけられた唐辛子スプレーを父親にかけて2人の妹を守った。

クレスティーナは部屋を出てアパートの階段まで走ると、ミハイルが追い掛けた。

アンジェリーナとマリアはミハイルを追い掛け、アンジェリーナがハンマーでミハイルの頭部を殴ると、マリアが首や胸をナイフで35回刺し、最後に心臓を刺して息の根を止めた。

その後、3人はそれぞれナイフで自身を傷つけ、ミハイルに攻撃されたように見せ掛け、警察に通報したのだった。

逮捕後、ジャーナリストが早速姉妹の音声記録を公開した。

それには父親からの暴力やセクハラに苦しんでいるというものだった。

事件が公になると、ロシア全土が衝撃を受けた。

ミハイルは犯罪組織と関係を持つマフィアのボスであり、銃で脅され姉妹は抵抗や犯行が出来なかったとされた。

また、ミハイルのアパートの部屋からは、ナイフ、ハンマー、クロスボウ、ライフル、2つのエアガン、弾やダーツ (兵器) 等、多数の武器が見つかり、警察はそれらを押収した。

姉妹は学校の教師に父親の事を話したが、学校側は何の対応も講じていない事がわかった。

姉妹の母親アウレリア・ダンドゥックは、2015年にミハイルによってアパートを追い出されていた。

アウレリアは一緒に住んでいた時、娘たち同様ミハイルから暴行など虐待を受けており、何年も前から警察に相談していた。

だが、そもそもロシアには虐待された被害者家族を守る法律が存在せず、その為、警察も行動しなかった。

また、友人や知人、隣人もミハイルを恐れて何も言えなかった。

しかし、学校や警察はそのような報告は受けていないと主張した。

だが、家族の報告は後に連邦保安機関によって確認された。

アウレリアは1993年にモスクワに引っ越し、1996年にミハイルと出会った。

その後、アウレリアは19歳で妊娠 (息子セルゲイ) すると、ミハイルからの暴力が始まった。

セルゲイは教育と称してミハイルから日常的に暴力を受け、中学2年15歳の時に家を追い出された。

ミハイルはセルゲイを追い出してしばらくした後、アウレリアを追い出し、殺すと脅して娘と会う事を禁じた。

ミハイルはヘロインや睡眠薬の中毒であり、その為、喜怒哀楽が激しく、隣人や教師、娘の友人らはミハイルの激しく振る舞う様子を何度も目撃していた。

法廷で被告人や証人はミハイルがアウレリアを追い出してから娘たちに対する虐待が激しくなったと証言した。

3人の姉妹の1人 (おそらくクレスティーナ) が、ミハイルから性行為を強要され、自殺を試みたが医師によって蘇生された。

また、ミハイルは娘たちに複数での性行為も強要した。

それはアンジェリーナの友人や親族らが少なくとも10回以上に及んでいたと証言した。

診察によりミハイルによる性的虐待は確認された。

クレスティーナは

「私たちはいつも家にいなければならず、彼が特別なベルを鳴らすと、私たちの1人が昼夜問わずすぐに彼のもとへ駆けつけなければならなかった。そして、彼の求める事を何でもしました。水、食べ物、その他の物をもらう為に。彼は自分で窓を開けようとさえしなかった。私たちは彼の奴隷として奉仕しなければならなかった」

と述べた。

また、マリアとアンジェリーナはミハイルの面倒をみなければいけなかった為、学校に行く事を許可されなかった。

だが、ミハイルの親族や友人の中には家庭内暴力は大袈裟で嘘であると主張する者もいた。

姉妹の従兄弟アルセン・ハチャトゥリアンは、ミハイルの暴行について証言していたが、後に嘘をついたと述べた。

裁判は国民の強い関心となり、モスクワ、サンクトペテルブルク、その他の大都市で姉妹を擁護する抗議が起こった。

「彼女たちは被害者だ」という同情の声が多く寄せられ、刑事訴訟の停止や釈放を求める声が届けられた。

同年6月までに実に11万5000人以上が請願書に署名した (2019年11月までに署名は30万人をこえている)。

また、アメリカの歌手や作家など多くの著名人も姉妹の擁護を行っている。

インターネット上では「彼女たちは被害者だ」「罪にすべきではない」「釈放されるべきだ」など、同情の声が圧倒的であった。

だが、国営テレビはこういった過度な感情論に対して警鐘を鳴らし、
「姉妹や住民の話は真実な部分はあると思うが、全てがそうではないだろう。実際、ミハイル氏に関する苦情は警察に一切届けられていない」
と指摘した。

ミハイルの知人によると、厳格で誠実な人物であるという意見もあり、また、殺害後、姉妹がミハイルの預金を全て引き出していた事も公表された。

「厳格な父親を嫌った奔放な娘たちの暴挙」とする見方もあり、ロシア国民は判決に注目している。


2019年12月3日、捜査が終了し、姉妹は「計画的な陰謀と集団による殺人」で起訴された。

検察官は「父親による違法な暴力行為」を殺人の動機としたが、弁護士は姉妹の自衛を認めるべきだと主張した。

長女クレスティーナと次女アンジェリーナは精神に問題なしとされたが、三女マリアは精神科による治療を行うべきと勧告した。

もし、この罪で有罪となった場合、姉妹には8年から20年の禁錮刑が言い渡される可能性がある。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2018年7月27日



∽ 総評 ∽

父親の長年の虐待の恨みを晴らしたハチャトゥリアン姉妹。

虐待は凄惨を極め、脅されて服従するしかなく、姉妹たちは言われるがままに父親に従った。

ただ、一部メディアによると、ミハイルは誠実で厳格な人物であり、そんな父親を嫌った奔放な少女たちが結託して殺害したのではと報道した。

それはお金を引き出した事もそう思わせる要因であった。

実際にそういう場合も他にはあるだろうが、今回はいくらなんでもその報道は無理がある。

本人たちだけでなく周辺の多くの人もミハイルの暴挙について証言している。

厳格で誠実も外面はただそうだっただけで、そもそもマフィアのボスという時点でとても厳格で誠実と思えない。

むしろ脅されて何も言えない人がもっと多い可能性すらある。

もちろん多少大袈裟に誇張して伝わっている事はあるかもしれないので、感情論にとらわれず冷静に判断する必要はある。

だが、通報や強姦の証拠が事実を伝えている。

こういう事件の場合、反対や否定する人間はほとんどが男性で、強姦をたいした罪でないと考えている人間である。

おそらく今回の場合は「殺す必要があったのか?」という部分に否定的な意見が集約されていると思われる。

ただ、全てが真実であれば殺さなければ逃げ出せなかったであろう。

個人的に思うのは、お金はいいとして、自傷して隠蔽工作を図った所が問題だったと思う。

本当に地獄のような虐待を受けていたのなら殺害して堂々と「虐待の恨みでやりました」と自首するべきだ。

それなら執行猶予で釈放してもいいくらいである (ただロシアの司法ではそれで許されないかもしれないので隠蔽工作を図ったのかもしれないが) 。

それをやってしまうと「本当に虐待されていたのか?」と思われ反対派につけ込まれてしまう。

ロシアは虐待を取り締まる法律がなく、2017年の法改定で犯罪歴のない人が家族に暴力を振るった場合の法律が出来た。

だがそれは、負わせた怪我によって罰金または最長でも2週間の拘束で済まされてしまうというとても十分と呼べるものではなかった。

ロシアでは家庭内での虐待を「家族のトラブル」として扱いがちで (ロシアだけではないが) 、通報を受けてもまともに取り合わない傾向にある。

実際姉妹や母親の通報にも何の対処もしておらず、今回の事件は警察や司法の問題ともいえる。

先日、三姉妹は起訴されたが、国民の多くが「彼女たちこそ被害者だ」とか「釈放すべきだ」と擁護した。

司法の思惑と国民の声が全く異なり、司法というのはやはり国民の考え方とは程遠い所にある事がよくわかる例といえる。