_20191127_183244
ジョン・バッタリア (アメリカ)
【 1955 ~ 2018 】



ジョン・デビッド・バッタリアは、1955年8月2日、アメリカ・アラバマ州の軍事基地で生まれた。

バッタリアの家族は軍人であり、祖先はイタリア人であった。

子供の頃、親の仕事の都合で国中を渡り歩き、ドイツに住んだ事もあった。


1970年、父親が軍を辞めると、ニュージャージー州オレゴンとデュモントの高校に通い、最終的にデュモント高校を卒業した。

その後、フェアリー・ディキンソン大学に通い、最初は医学部専攻であったが会計専攻となった。


しかし、1976年に友人に言われて大学を中退した。

中退後、違法薬物の使用で問題を起こした後、アメリカ海兵隊に参加した。

バッタリアは軍曹となるが、海兵隊を辞めると会計士となった。

バッタリアはテキサス州ダラスへ行き、公認会計士を目指し夜間学校に通って授業を受けた。

バッタリアはミッシェル・ゲッティと結婚し、クリスティという娘が生まれた。

だが、バッタリアは家庭内暴力を振るようになり、ある日、ゲッティは嫌がらせを理由に警察にバッタリア逮捕を要請した。

それに腹を立てたバッタリアは報復としてバス停でクリスティに暴行した。

クリスティは鼻の骨を骨折し、入院する事となった。


1987年、バッタリアは2年間の保護観察処分となった。


ゲッティと別れたバッタリアは、テキサス州ハイランド・パーク住むメアリー・ジーン・パールという女性と1991年4月6日に結婚した。

そして、1992年にフェイス、1995年にリバティ・メイという娘が生まれた。


1999年1月、バッタリアの言葉の虐待の後、パールはバッタリアから子供達を離し、別居する事となった。


同年12月25日、バッタリアはパールと子供達の家を強引に訪ねた為、通報したパールによって逮捕された。

バッタリアは軽微な暴行罪で有罪となり、2年間の保護観察処分となった。


パールは離婚を申請し、2000年8月に離婚が成立した。

離婚したバッタリアだったが、パールに電話で嫌がらせを何度も行った為、保護観察処分が取り消しを求めた。

パールはバッタリアには過去の家庭内暴力の歴史がある為、刑務所に収監されるべきだと主張した。

また、バッタリアはマリファナも使用しており、これは保護観察違反であった。


2001年5月2日、パールは夕食の約束の為に娘たちをアパートに残して出掛けた。

それを確認したバッタリアは部屋に侵入し、部屋からパールに電話を掛けた。

そして、電話でパールと話しながらフェイス (9歳) とリバティ (6歳) を撃って射殺した。

電話中、バッタリアはフェイスにパールと話すよう指示し、フェイスは
「何故パパを刑務所に行かせたいの?」
とパールに話させた。

その後、フェイスに3発、リバティに5発撃ったのだが、撃たれる前フェイスは、
「止めて!パパ!お願い止めて!」
と叫んだ。

最後にバッタリアは

「Merry Fucking Christmas」

と言って電話を切った。

すぐにパールは911に連絡した。

その後、バッタリアは腕に娘を表す2本の薔薇の入れ墨を入れた。

間もなくバッタリアは逮捕されるが、逮捕の際に激しく抵抗した。

警察はバッタリアの家から16個の銃器を押収した。

バッタリアは捜査官にパールが保護観察について苦情を言った事に対する報復で娘たちを殺したと述べた。

ただ、バッタリアはこれまで子どもに対して殴ったりした事はなく、愛していたと述べた。

また、初めから傷つけるつもりはなかったとも述べた。


2002年4月22日、裁判で陪審員は19分間の審議の末、死刑を支持した。

弁護士はバッタリアが双極性障害である為、死刑にすべきではないと主張した。


同年4月30日、バッタリアには死刑が言い渡された。

判決後、パールは
「永遠に地獄で焼かれればいい。あなたは現代で最も凶悪な殺人者の1人です」
と述べた。

また、最初の妻の娘クリスティもバッタリアの死刑を支持した。

バッタリアの弁護士は控訴し、仮釈放の可能性がない終身刑にしようと努力した。

バッタリアは2016年3月30日に死刑が執行される予定であったが、裁判所が弁護士の主張を尊重し、執行の延期を決定した。


2016年8月15日、バッタリアの死刑執行が同年12月7日に設定された。


だが、執行が近づいた同年12月2日、再び執行に対する執行猶予が与えられた。


2017年9月20日、テキサス州控訴裁判所は弁護士の主張する精神的異常を却下する。

却下された理由は、2016年11月にコンピテンシー・ヒアリングでメンタルヘルスの専門家が、執行を遅らせる為にバッタリアが精神疾患の症状を偽装している可能性が高いと証言したからだった。

控訴裁判所はこの事を確認し、不法行為である可能性が高いと述べた。

バッタリアは法律図書館で関連する法的事件について読み漁っていた事がわかった。


2017年10月31日、バッタリアの死刑執行令状が署名され、執行日が2018年2月1日に設定された。

その後、控訴するが却下された。


執行当日午後9時40分、致死量の注射による死刑が執行された。

享年62歳。

バッタリアの死刑執行は元妻パールが見守った。

執行直前、パールを目撃したバッタリアは、

「はーい、メアリー・ジーン」

と声を掛けると、監視員に向かって

「さようなら。また後で会いましょう」

と言った。


最後に犯行時にフェイスの寝室の留守番電話に残したメッセージの内容で終わりたいと思います。

「こんにちは少女。あなたがどれだけ勇敢だったかを伝えたいだけです。あなたが今より良い場所で休んでいる事を望みます。あなたが母親と何の関係もない事を望みます。彼女は邪悪で悪質で愚かです」



《殺人数》
2人

《犯行期間》
2001年5月2日



∽ 総評 ∽

復讐と称して実の娘を2人殺害したバッタリア。

バッタリアは保護観察を取り消され、刑務所に入るよう申請されたが、それが犯行の引き金となった。

ただ、当然保護観察を取り消されたのも刑務所に入るよう要請されたのもバッタリアの責任であり、当然同情は1ミリもない。

バッタリアの非情な所は犯行をリアルタイムで子供の母親に電話している所だ。

母親は子供達が撃たれる発砲音や悲鳴や絶叫を当然聞いたであろう。

母親はバッタリアの最後を見守った唯一の人物だったが、憎しみを考えれば当然見守りたい気持ちだっただろう。

日本では死刑を第3者が見守る事は不可能だが、区切りや精神的な安定を考えれば、遺族に見守らせる事は大事だと思う (もちろん望んだ場合に限るが) 。