アントン・コスタ (アメリカ)
【 1944 ~ 1974 】
アントン・チャールズ・ ″トニー″ ・コスタは、1944年8月2日、アメリカ・マサチューセッツ州ケンブリッジで生まれた。
父親は第二次世界大戦に参加した軍人で、コスタがまだ生まれて間もない赤ん坊の時に戦死した。
7歳の時にはコスタの精神状態は不安定となっており、母親に夜な夜な見知らぬ男性が部屋に入って来ると述べ、父親の写真から唸り声が聞こえてくると話すようにもなっていた。
1961年11月、コスタはマサチューセッツ州サマーヴィルで、アパートに侵入し眠っている10代の少女を襲った。
しかし、少女が目を覚まし叫んだ為、コスタは逃げた。
3日後、コスタは再び少女のアパートへ行き、少女を見掛けるとアパートの階段から引きずり下ろそうとした。
だが、隣人によって少女は助けられ、コスタは逮捕された。
1962年1月4日、コスタは強盗と暴行で有罪となり、1年の執行猶予付きの判決となり釈放された。
1963年4月、コスタは結婚し3人の子供が生まれるが、次第に薬物に溺れていく。
1966年6月、コスタはヒッピーの少女、ボニー・ウィリアムズ (♀) とダイアン・フェデロフ (♀) の2人を家に連れ帰り、後にカリフォルニア州ヘイワードへ連れて行った。
その後、2人の少女は行方不明となり、遺体も発見されなかった。
この2人の少女がコスタによる初めての犠牲者とされている。
1967年8月、マサチューセッツ州プロビンスタウン近くでコスタは知人の女性を矢で撃った。
これは事故として処理され、コスタは女性に謝罪した。
結婚生活が悪化したコスタは、1968年1月にカリフォルニア州サンフランシスコに住んだ。
そこでバーバラ・スポールディング (♀) というガールフレンドが出来る。
しかし、コスタがマサチューセッツ州に戻ろうとした日からスポールディングは行方不明となり、2度と姿が見られる事はなかった。
警察はコスタがスポールディングを殺害したのは間違いないとしたが、証拠がなく逮捕する事が出来なかった。
マサチューセッツ州の自宅に戻ったコスタは、同年5月17日、医師のオフィスに強盗に押し入り、薬物や様々な手術器具等5000ドル (約180万円) 相当を盗んだ。
同年5月24日、シドニー・モンソン (18歳♀) がブロビンスタウンの自宅から姿を消した。
同年6月14日にモンソンが疾走したと警察に報告が入る。
そして、同年8月までにコスタは離婚するが、すぐにスーザン・ペリー (♀) という恋人が出来る。
だが、1週間程経った同年9月10日にペリーは姿を消してしまう。
同年9月中旬、コスタは運転免許停止中に運転したとして逮捕され、同年11月8日まで拘留された後、釈放された。
同年11月23日、ニューヨークでクリスティー・ギャラント (♀) の遺体が発見される。
ギャラントはバルビツール酸系 (鎮静薬) の過剰摂取後に浴槽に入れられた事による溺死である事がわかった。
1969年1月24日、パトリシア・H・ウォルシュ (♀) とメアリー・アン・ウィソッキー (♀) が、プロビンスタウンを訪れた後、姿を消してしまう。
同年2月7日、オールド・トルロ墓地で8つに切断されたペリーの遺体が発見された。
同年3月4日、ウォルシュ、ウィソッキー、モンソンのバラバラ遺体が同じ場所で発見される。
ウォルシュとウィソッキーは頭を撃たれており、3人全員が心臓を取り除かれていた。
また、遺体には人間の歯の跡があり、検死の結果殺害後に噛まれた事がわかった。
捜査官はウォルシュとウィソッキーがブロビンスタウンでコスタと会っていたという情報を掴んだ。
同年3月6日、コスタは逮捕された。
ウォルシュらの遺体が発見された場所が、コスタの私有地の庭であり、庭にはマリファナや麻薬の栽培が行われていた。
コスタの尋問を行うが、供述を何度も変え、ポリグラフ検査も何度も失敗した。
同年3月31日、精神医学的検査の結果、コスタは統合失調症と診断された。
同年6月、別の2人の精神科医がコスタを診断し「性的に危険なサディスト」と診断した。
1970年5月6日、コスタは確実な4件の殺人で有罪判決となり、同年5月29日、終身刑が言い渡された。
判決後、コスタはアントン・ラヴェイの悪魔の聖書のコピーや悪魔の儀式や魔法、オカルトに関する書籍を集めるようになる。
1974年5月12日、独房で革のベルトで首を吊って自殺した。
享年29歳。
《殺人数》
8人
《犯行期間》
1966年~1969年1月24日
∽ 総評 ∽
『The Cape Cod Vampire (ケープコッドの吸血鬼) 』と呼ばれ、8人の女性を殺害したとされるコスタ。
コスタは幼い時にすでに精神が不安定であったが、その影響からか17歳で少女に襲い掛かるというものであった。
コスタは4件の殺人で有罪判決となったが、他の4件に関しては遺体すら発見されておらず、コスタの犯行という確実な証拠はない。
ただ、あらゆる状況がコスタを犯人と語っており、間違いないと思われる。
コスタは最後自殺したが、仮に死刑判決だった場合、アメリカは1972年に違法として一旦死刑が廃止された。
そう考えると死刑だったとしても終身刑になった可能性が高く、自殺してくれたのは本当に良かったと思う。
コメント
コメント一覧 (18)
死刑にできなかったのは残念だけど、自殺してくれたのは本当によかった。
鬼畜が死んだことで真相がうんぬん、償いがうんぬん言う人もいるけど身勝手でフザケタ理由であってもさっさと死んでくれてよかったと思う。
往生際の悪い鬼畜たちも今日の性犯罪者を見習ってほしい。
よく自殺してくれたと思いますね。
凶悪犯による唯一の償いは「死」です。
真相は確かに知りたいでしょうけど、生かしておいても真相が判明するとも限りません。
私もさっさと死んでくれた方が断然良いと思います。
これが民主党政権なら「ただちに影響はない」と言い出しかねないですね。
早速、混乱が出ていますが、学校の責任は子供の安全を守る事ですが、
子供を預ける為の避難所ではないと思います。
共働きの核家族や片親家庭の多い首都圏は大変ですが。
我が県はまだ上陸していないので、子供がゲームセンターで遊んでも、
咎める事はないと思いますが、いざとなれば、
今は家で幾らでも時間を潰す手段があるので、好都合ですね。
休校は確かに子供の為に必要ではありますが、親が面倒をみてないといけない問題が発生しています。
お金持ちならいいですが、働かないと生きていけない家庭は大変です。
犯行内容もどんどん過激になってきてますし、2回の釈放はどう考えてもありえないだろー。
こんな輩はサッサと処刑すればよいのです。
それにしてもコイツの動機って何だったんでしょうかね?
そもそもが精神異常者だったってこと。。
本当にそうですね。
釈放なんてやってはいけないですよ。
動機はよくわかりませんがただの異常者という事でしょうね。
供述はコロコロ変える、自分に都合良くしか考えない凶悪クソムシですから供述そのものが全く信用できないでしょう。
最低でも8人もの女性の生命を奪い、未来を閉ざした罪が「税金で生涯、面倒みてもらえる」では浮かばれなさ過ぎです。
終身刑と云う罰とは言えない判決はどうにかならないモノですかね?
毎日18時間の強制労働と残飯しか与えないのなら、終身刑も良いとは思えますが実際は社会から隔離されているだけで衣食住と娯楽すらあるのが刑罰に値するとは到底思えないです。
弁護する自称・人権派弁護士やら裁判官やらは終身刑判決を出すリスクを負うべきです。
全くリスクを負わないからこそ、犠牲者遺族を踏みにじる事故陶酔判決を出せるんです。
既に世界人口の1/3が貧困、世界規模での災害でいずれ食糧難にもなると言われる中で凶悪クソムシを飼育する余裕は無いと私は思います。
もっといるでしょうね。
当時のアメリカは仕方ないでしょうね。
1度死刑廃止を行う時期でしたから。
仮に死刑になっても終身刑に変更なった可能性が高いですし。
世界的食糧難になる可能性が高いですが、そんな事を考えてもいないでしょうね。
SNSで知り合った女性を殺害した大学生に懲役7年の求刑です。
女性は自殺願望があり、SNSで殺してくれる相手を探していました。
嘱託殺人は通常の殺人より軽いとは言え、
「人を殺したかったから殺した」猟奇的な犯行であり、もっと重く罰して貰いたいものです。
人1人殺してたった7年ですか。
いくら相手が死にたかったといえど殺人は殺人でしょう。
矢で知人を射た事故も実際には故意でしょうしどうにかしてこの危険人物を拘束して犠牲者を減らせなかったものでしょうかねぇ。
自殺はよくやってくれたと誉めたいですね。
典型的な「他人も自分の命にも淡白」な例ですね。
今回も間違いなく犠牲者を減らせたと思います。
「償い」うんぬん「真実」うんぬん言う人もいるだろうけど、死ぬだけで償えるんだし、どうせ「真実」も性犯罪者とマスコミにとって都合がいい「真実」でしょう。
性犯罪者によるごうかん事件などはは性犯罪者が死なないと終わらないと私は確信します。
償いとか真実を知りたいとか言う人は所詮他人事で興味本位だけですね。
管理人さんの知識量凄いわ
海外のサイトを調べてるだけなので、知識量というよりよく調べてるだけですかね。
アルバニア共産党(旧労働党の一派)の党員でエンベル・ホジャの奥さんのネジミエが亡くなりました
アルバニアは鎖国してたこともあってルーマニアのエレナや、フィリピンのイメルダにこそ知名度は劣りますが、負けず劣らずの女帝振りでモスクや教会をたくさんぶっ壊し、襲えと命令してました。
しかも、エンベルが亡くなっても影響力は強く、90年にクビになるまで女帝として君臨してました。
1994年に国家のお金を使ったことで逮捕
逮捕後共産党(旧労働党)の党員に復帰し、先日26日亡くなりました。
だんなさんのエンベルは掲載してほしいです。
なかなかの人物ですね。
今度調べてみます。