_20191107_094510
ウラジーミル・ストロジェンコ (ロシア)
【 1953 ~ 1984 】



ウラジーミル・ヴィクトロヴィッチ・ストロジェンコは、1953年、ロシア (ソ連) ・スモレンスク州スモレンスクで生まれた。

ストロジェンコは10代の頃から頻繁に問題を起こし、窃盗を行い家畜を嬲り殺す事で警察に名を知られていた。

次第にストロジェンコの加虐嗜好は少女へと向けられ、性的関心の高まりと共に少女を襲い、拷問して強姦した。

ストロジェンコは2度、強姦で逮捕され有罪判決が下された。

釈放後、駐車場で運転手として働き始め、結婚し子供も生まれた。

周囲からは模範的な家庭的な男性と見られており、仕事に対しても前向きで真面目であった。


しかし、ストロジェンコは1978年からスモレンスクとその周辺で少女や女性を襲い始める。

ストロジェンコはサディストで、犠牲者に必ず拷問を行い様々な方法で殺害した。

犠牲者の1人、12歳の少女は拷問され砂場で発見された。

警察は捜査により4人の容疑者を逮捕した。

1人目は検察庁の従業員で、無実が証明されるまで約9ヶ月間刑務所で過ごし、無実となり釈放されたが検察庁を辞職し市を去らなければならなかった。

2人目は交通警察官が逮捕され、3人目は地元の警備員であった。

最後の4人目は窃盗で逮捕された人物で、警察に脅され妻殺害を告白した (禁錮9年が言い渡された) 。

結局、4人は一連の事件とは関係ない事が判明した。

その後、警察は犯人が好みそうな女性警察官を囮に使い、犯人を待ち伏せした。

すると、ストロジェンコが現れ囮の女性警察官に襲い掛かった。

ストロジェンコと女性警察官が揉み合いとなり、ストロジェンコはその場を逃走した。

しかし、現場にストロジェンコは血痕を残し、その為血液型が判明した。

だが、ストロジェンコは警察に犯人についての情報をわざわざ提供し、しかも、犠牲者の捜索にボランティアとして参加していた。


1981年7月21日、ストロジェンコの最後の被害者が奇跡的に助かり、胸に刺青が彫らているのを目撃していた。

警察がストロジェンコの写真を被害者に見せ犯人と確認された。

その後、以前、囮捜査で残された血液型も一致し、また、犠牲者女性の爪の中にも残されていた血液型も一致した。

ストロジェンコは犠牲者から奪った金のイヤリングを妻に贈った事を認めた。

ストロジェンコの弟セルゲイは兄がやっていた犯罪を知っていたと話した。

ストロジェンコによる犯行は1978年から1981年の間に行われ、30人の少女や女性を襲い13人が殺害された事がわかった。

ストロジェンコは犠牲者の服を盗み、ポケットの中には犠牲者の名前、時間、場所が書かれたメモが残されていた。

メモに記された内容は正確で、そのメモにより犠牲者が次々発見された。


1983年、裁判でストロジェンコは死刑が言い渡された。

兄の犯行を知っていたセルゲイは共謀罪で15年の禁錮刑が言い渡された。


1984年、銃撃隊による死刑が執行された。



《殺人数》
13人 (他被害者17人)

《犯行期間》
1978年~1981年



∽ 総評 ∽

『The Smolensky Strangler (スモレンスキーの絞殺魔) 』と呼ばれ、13人の少女や女性を殺害したストロジェンコ。

ストロジェンコはどのような家庭環境で育ったのか詳細がなくわからないが、10代の頃にはすでに犯罪を犯していた。

おそらく先天的な異常者といえよう。

ストロジェンコは犠牲者の詳細をメモに残しており、そのおかげで容易に発見できたが、犯行や氏名については詳細が伝わっていない。

おそらくロシアでは名前や年齢など詳細が残されていると思われる。

ストロジェンコは基本的に絞殺を殺害方法に選んだが、生粋のサディストであった為、相手が苦しむのを楽しむかのように拷問を行った。

家畜を嬲り殺し事に快感を抱き、それが人間へと向けられる。

典型的な加虐嗜好であり、なるべくしてなった鬼畜といえる。