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ボリス・セレブリャーコフ (ロシア)
【 1941 ~ 1971 】



ボリス・エフィモヴィッチ・セレブリャーコフは、1941年8月18日、ロシア共和国連邦、チェチェン・イングーシ、マルゴベックで生まれた。

幼少の頃からセレブリャーコフは暴力的な性格で犯罪的な傾向を示し、アルコールへの強い渇望を抱いた。

また、攻撃的であった為見知らぬ人や同僚、親戚などにしばしば暴力を振るい、何度も逮捕された。

更に窃盗や放火、強姦といった犯罪を行い、警察にマークされる。


その後、ソ連軍へ入隊するが、1967年1月、除隊させられると妹の住むクイビシェフへ移り一緒に住んだ。

ここでセレブリャーコフはケーブル工場で働き始めた。


同年9月4日、セレブリャーコフはクイビシェフの路面電車の倉庫で働いていたエカテリー・ハリトノワ (♀) に目をつける。

そして、水泳用パンツのみを履き、ナイフを持って制御室に侵入し、ハリトノワを強姦しようとした。

ハリトノワは首と腕を刺されるが、激しく抵抗した為、セレブリャーコフは諦めその場から逃走した。


1969年4月27日深夜、リトヴィーノフのプログレス工場に窓から侵入したセレブリャーコフは、24階建ての寮の1つの部屋に侵入する。

そして、ステファン・ゾロキン (♂) と妻のマリア (♀) 、息子のライオーニャ (5歳) を煉瓦で殴り殺害した。

殺害後、マリアを屍姦し、135ルーブル (約3万円) を盗むとマリアの服に火を点けて逃走した。

この火災により寮のいつくかの部屋が被害を受けたが、マリアの元夫に容疑がかかった。


1970年4月30日夜、セレブリャーコフはアエロフロート・ストリートにあるアパートに侵入すると、エカテリーナ・クツェバロワ (♀) とその娘オルガを斧の底部で殴った。

そして、クツェバロワを強姦するが、セレブリャーコフが殺したと思っていたオルガが意識を取り戻し、叫んだ。

隣人が叫び声で起き、部屋に訪れに来た為、セレブリャーコフは逃走した。

クツェバロワとオルガは怪我を負ったものの助かった。


セレブリャーコフは自転車でウクライナへ向かい、同年5月8日深夜、プラスコヴィヤ・サロバ (70歳♀) とニーナ・ワシリエバ (30歳♀) を殺害する。

2人が殺害された後、すぐにティモフィーフという男性が警察を訪れ「自分が殺害した」と告白する。

しかし、警察が調査するとティモフィーフが嘘をついている事が判明した。

この頃、クイビシェフはパニックとなっており、1970年にソビエト連邦最高会議の選挙が行われる事になっていたが、住民は投票に行く事を拒絶した。

それは警察官が同伴したとしても行く事を拒絶する程であり、
「殺人者が捕まるまで投票しない」
と住民たちが口々に述べた。


同年5月22日、イゴール・カルペッツ将軍が調査団を結成し、路上に民兵を配置してパトロールの強化を図った。


同年6月4日深夜、セレブリャーコフはオクチャブリスキー地区のマロマノフ家に侵入し、父、母、2人の子供、一家4人を殺害する。

殺害後、母親を屍姦し、家に火を放ち自転車で逃走した。

捜査を続けていると、犯行現場の近くでハリコフ自転車工場で作られているブランド自転車の鍵が見つかる。

これを受け、自転車乗りに対して細心の注意を払う事となった。


同年6月8日、空港高速道路近くの脇道で、民兵のザグファー・ガイフォーリンが自転車に乗るセレブリャーコフを目撃する。

ガイフォーリンはセレブリャーコフを止め、尋問した。

ただ、ガイフォーリンはセレブリャーコフを一連の事件の犯人とは思っておらず、手配書に記された自転車に乗っていた為、尋問しただけだった。

しかし、質問している最中にたまたま突風が吹き、セレブリャーコフが着ていたマントがめくり上がると、凶器として使用していた斧が見えた。

セレブリャーコフは走って逃げ、ガイフォーリンは追い掛けた。

セレブリャーコフは民家の中庭に飛び込み、その後、通りのトイレに隠れた。

ガイフォーリンは家の所有者とセレブリャーコフを捜し、ビクターという男性がトイレを開けるとセレブリャーコフは顔面を殴り、煉瓦で頭を打ち、インテルナトナーヤ駅まで走った。

そして、貨物列車の燃料タンクの梯子を登ったが、列車が発車する際に機械工のアシスタントに姿を見られた為、再び走ってアスファルト工場へ向かった。

しかし、警報が鳴り響き、セレブリャーコフは工場の警備員により拘束され、その後、駆けつけた警察官に逮捕された。

セレブリャーコフ逮捕は選挙の1週間前であり、逮捕した警察官はその功績を認められ2ランク特進した。

セレブリャーコフの指紋と血液は犯行現場や犠牲者に残されたものと一致し、部屋には犠牲者から盗んだ物が見つかった。

セレブリャーコフはこれまで犯行を告白し、精神鑑定を行うが、異常なしとの診察が下された。

裁判が行われると、多くの人が法廷に詰め掛け、傍聴席に収まらなかった人々は窓越しから法廷内を見る程であった。

約1年半、クイビシェフを恐怖のどん底に陥れた犯人を一目見ようと法廷に殺到したのだった。


同年秋、クイビシェフ地方裁判所はセレブリャーコフに死刑を言い渡した。

判決が言い渡されると、傍聴席にいた人々から拍手が起こった。


セレブリャーコフは恩赦を申し立てるが拒否され、1971年初め、シズラニ刑務所で銃殺による死刑が執行された。

享年29歳。


最後に判決を言い渡された際のセレブリャーコフの発言で終わりたいと思います。

「私は戻って来ます」



《殺人数》
9人 (他3人負傷)

《犯行期間》
1969年4月27日~1970年6月4日



∽ 総評 ∽

『The Kuybyshev Monster (クイビシェフの怪物) 』、『The Killer on a Bicycle (自転車の殺人者) 』、『The Night Creature (夜のクリーチャー) 』等と呼ばれ、9人を殺害したセレブリャーコフ。

セレブリャーコフは殺人に強姦、強盗に放火といった4大凶悪犯罪に加え、屍姦も行うという異常振りであった。

セレブリャーコフは子供の頃から暴力的で、アルコールを強く求めるという異常性を示していたが、何故そうなったのか原因はわからない。

虐待されていたのかもしれないが詳細がないので、おそらく先天的な異常性だったと思われる。

セレブリャーコフはその犯行から町を震撼させる程の衝撃で、それは市民が外に出ようとせず選挙すら行きたがらない程であった。

殺人鬼の存在で選挙が妨げられるというのはとても信じられない出来事である。

逮捕された際はどんな鬼畜がこれ程の凄惨な事件を起こしたのかと興味本位で裁判所に詰め掛けたが、死刑を望み実際に死刑が言い渡されると歓喜した。

被害者や遺族は当然だが、関係ない第3者ですら喜ぶというのが普通の市民の反応であり、政府もそれを理解して欲しい。