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ドミトリー・グリディン (ロシア)
【 1968 ~      】



ドミトリー・レオニドヴィッチ・グリディンは、1968年3月4日、ロシア (ソ連) ・チェリャビンスク州マグニトゴルスクで生まれた。

グリディンの初期の人生についてはほとんど伝わっていない。

父親はマグニトゴルスク製鉄所の工房長で、街の中でも非常に尊敬された家族であったという。

グリディンはマグニトゴルスク州立工科大学に通い、結婚して娘が生まれた。


1989年7月31日、グリディンは家のポーチでジャンナ・テレンチュク (16歳♀) を殺害する。

その後、少女を3回襲うが失敗した。

襲われた3人の内の1人によって犯人の詳細が伝えられた。


同年8月、グリディンはダンジリ・ウスマノヴァ (♀) とリュドミラ・ポズニャコワ (♀) を殺害する。

殺人現場にはグリディンの指紋が見つかった。


同年11月25日、グリディンは少女に襲い掛かるが激しく抵抗を受け、帽子と眼鏡を落とし、驚いて逃走した。

しかし、グリディンはその日の内に逮捕される。

何故ならこの日はマイナス20度という極寒であり、そんな日に軽装だった為、目立った事で通報され逮捕されたのだった。

また、犯行に使用したナイフも所持していた。

グリディンの犯行が世間に公になると、マグニトゴルスクの市民は激怒し、殺人者の公開処刑を求めた。


裁判は1990年秋から始まり、人々はグリディンに最も厳しい刑罰を求めた。


同年10月3日、チェリャビンスク地方裁判所はグリディンに死刑を言い渡した。


しかし、1993年12月、グリディンの死刑は終身刑へと変更された。


2000年、グリディンは国連人権委員会に訴え釈放を求めたが、ロシアの指導者が釈放を拒否した。


2014年、グリディンは恩赦を申請するが拒否される。

グリディンは拒否に対して異議を唱えたが、ロシア最高裁判所が判決文を変更せず支持した。

また、グリディンは25年刑期を務めた事を主張し、仮釈放を求めた。

しかし、裁判所がグリディンの仮釈放を拒否する決定を下した。


2017年、グリディンは2回目の仮釈放申請を行ったが、裁判所は再び拒否した。

グリディンは自身の犯行について未だに認めていない。



《殺人数》
3人 (他被害者多数)

《犯行期間》
1989年7月31日~同年11月25日



∽ 総評 ∽

『The Lifter (泥棒) 』または『The Last Maniac of the USSR (ソ連最後の狂人) 』などと呼ばれ、3人の少女を殺害したグリディン。

グリディンは民衆が厳罰を求め、後押しされる形で死刑を言い渡されたが、3年後に終身刑となってしまった。

ロシアは1996年に死刑を廃止しているので、1993年に死刑から終身刑になった理由が詳細がなくわからない。

ただ、すでにロシアは死刑廃止の流れにあったと思われ、グリディンも元々死刑にしたくはなかったが、民衆が死刑を求めた為、仕方なく死刑を宣告した。

そして、ほとぼりが冷めたであろう3年後に密かに終身刑に変更したのではと思える。

グリディンは何度も仮釈放を求めたがその都度拒否されている。

仮釈放を拒否されるのは当然で、そもそも仮釈放を申請する時点で反省していない証拠だ。

ただ、本人は未だ犯行を認めてないので当然だとは言えるが、何か近い内に仮釈放される感じがしてならない。