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ジョシュア・ブライ (リベリア)
【 1971 ~      】



ジョシュア・ミルトン・ブライは、1971年9月30日、アフリカ・リベリアで生まれた。

ブライはクル人のサブグループ、サポ族のメンバーで、11歳で部族の聖職者として手ほどきを受けた。

そして、部族で行われる最初の人間を犠牲にする儀式に参加した。

儀式は3日間に渡って行われ、その過程でブライは偉大な戦士となり、力を増す為に人間を犠牲にし、人肉を食べ続けなければならないと悪魔から告げられた (と後に本人が語っている) 。

第一次リベリア内戦 (1989年~1996年) が始まると、ブライはクラン人を中心とするルーズベルト・ジョンソン率いる「ULIMO-J」に所属し、各地で戦闘に参加した。

その際、ブライは裸が銃弾を跳ね返す力をもたらすと信じ、裸に靴を履き首からマフラー (のような物) だけを身に付け銃を持って戦った。

ブライは少年兵の部隊を率いていたが、部隊もその呪力を信じ、ブライと同じ裸で戦った。

また、より強い呪力を得る為に女性用のカツラを被り女装して戦闘に臨んだ。

ブライは戦闘前に兵士に酒やドラッグを与えて正気を失わせ、全裸や女装による羞恥心や偽装により恐怖心を紛らわせた。

戦闘前には何人かの子供を生け贄として殺し、その血を悪魔に捧げた。

ブライの部隊は民間人を虐殺し、略奪を繰り返した。

殺害した人間の首を切り取りサッカーボールのように蹴飛ばして遊んだ。

こうしてその見た目に違わぬ残酷さで、ブライ及びその部隊は有名になり、ブライは『General Butt Naked (尻丸出し将軍) 』と呼ばれるようになる。


1996年、第一次リベリア内戦が終わり、ブライの戦争も終わると、突然、キリスト教に改宗する。

ブライは戦争後、まばゆい光と共にイエス・キリストが突然目の前に現れ、
「罪を悔い改めない限り死ぬだろう」
と告げられた (と本人が語っている) 。

ブライはキリストに54日間の断食を促され、実行に移した。


1997年、ブライはガーナの難民キャンプを訪れ、そこで説教師となった。

ブライは犠牲者の遺族に会い、自分のやった事の非道さを悔い謝罪するが、その時の自分は悪魔に取り憑かれており、責任はとれないと話した。

ブライは戦争犯罪の裁きを受ける覚悟があると述べ、オランダ・ハーグの国際戦犯法廷に出廷する意志がある事を表明した。


2006年6月、ブライはスニーカーだけを履き、ライフルを持って戦っているいくつかの写真含む自伝を発表した。


2008年1月、ブライはガーナからリベリアに戻り、リベリア真実和解委員会に出席し、1980年代から1996年までの間に2万人の虐殺にかかわったと証言した。

ブライは

「子供が水の中に入ったりして遊んでいた。私は彼らを虐殺するだけでした。罪のない子供を殺し、心臓を取り出し食べた」

と語った。

また、ブライは南アフリカ共和国の記者に、

「定期的にサタンに会って話をした」

と話し、11歳から25歳までの生け贄を悪魔に捧げたと主張した。

リベリア情報大臣はブライには多くの死に責任があるとしたものの、正確な数や証拠不足の為判断出来ず、現在もブライの処遇については結果が出ていない。


2016年10月、ブライは農業と建築、麻薬中毒者を更生させる「Journeys Against Violence NGO」に50万ドル (約5000万円) を寄付するよう呼び掛けている。



《虐殺数》
およそ2万人

《犯行期間》
1980年代~1996年



∽ 総評 ∽

『General Butt Naked』または『the most evil man the world (世界で最悪の邪悪な男) 』と呼ばれ、内戦の最中およそ2万人を虐殺したブライ。

ブライの犯行は戦争という有事に行われ、以前掲載したベトナム戦争でのアメリカ兵や韓国軍と同じ戦争犯罪であった。

ブライとその部隊は全裸で戦争に挑み、その残虐行為から色々な意味で恐れられた。

ブライは元々悪魔主義で、生け贄を捧げそれを自らも食べた。

ただ、本人の意志はあったとはいえ、アフリカという土地柄がその道に導いた可能性も否定出来ない。

現在のブライは改心し、困窮する子供や社会の為に奔走しているが、だからといって罪が消えるわけではない。

改心後に犠牲者遺族に会い「当時の自分は悪魔に取り憑かれていたから今は何も出来ない」と悪魔のせいにして何の責任も取らない時点で対して反省もしていないと思われる。