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ローマン・ブールツェフ (ロシア)
【 1971 ~      】



ローマン・ウラジミーロヴィッチ・ブールツェフは、1971年4月13日、ロシア (ソ連) ・ロストフ州カメンスク=シャフチンスキーで生まれた。

両親はどちらもアルコール依存症であった。

ブールツェフは内向的な性格で、クラスで目立たない少年であった。

しかし内心では

「処女を強姦したい」

という強い願望を抱いており、その為処女である子供を強姦したいという願望を抱く。


1993年9月5日、ブールツェフはエフゲニー・クリロフ (12歳♂) とオレシア・チュリロヴァ (7歳♀) という兄妹と出会う。

まず、邪魔なクリロフの頭部を拳で3回殴ると、金属板で更に3回殴り殺害した。

その後、チュリロヴァを強姦し、首を絞めて殺害すると2人の遺体をゴミ捨て場に捨てた。


1994年7月17日、マリーナ・アレクセイエヴァ (12歳♀) を強姦し殺害する。


1995年5月23日、ブールツェフはアーニャ・クリンキーナ (9歳♀) を力ずくで捕まえると、強姦する。

そして、ドネツ川のほとりで殺害する。


1996年7月1日、アイラ・テルノフスカヤ (9歳♀) を強姦し、殺害する。


同年7月16日、ナターシャ・キルバービナ (12歳♀) を強姦し、殺害する。


キルバービナ殺害の翌日17日、ブールツェフは逮捕された。

逮捕されたブールツェフはこれまでの犯行を認め、その詳細を告白した。

当初、ブールツェフは強姦のみが目的であったが、犠牲者が生存してしまう事で逮捕される事を恐れた為殺害したと述べた。

また、ブールツェフは逮捕された時に結婚していたが、離婚となって子供と離れる事を恐れた (この時生まれたばかりの10ヶ月の息子がいた) 。

ブールツェフは遺体を慎重に隠し、発見されないよう細心の注意を払っていた。

その為、逮捕後にブールツェフが遺棄した場所を教えるまで、発見されたのは1人だけだった。

精神科医はブールツェフを正常だと診察した。

裁判で当初ブールツェフには死刑が言い渡された。

しかし、後に終身刑へと変更となった (ロシアは1996年に死刑を廃止したのでおそらくその影響) 。

ブールツェフは警察にしばしば犯行を後悔している事を告げ、犠牲者の1人の葬儀に5000ルーブル (約1万円) を寄付した。

ブールツェフは痔や前立腺炎、ビタミン欠乏症等に苦しんでいたが、刑務所に十分な薬がないと「Russian Birch」財団に手紙を書いている。



《殺人数》
6人

《犯行期間》
1993年9月5日~1996年7月16日



∽ 総評 ∽

『The Kamensky Chikatilo (カメンスキーのチカチーロ) 』と呼ばれ、6人の少女を強姦し殺害したブールツェフ。

ブールツェフが標的としたのは7歳から12歳という少女であった。

「処女を強姦したい」と考えていた為、必然的に標的は若くなるが、その卑劣さは鬼畜という他ない。

ブールツェフは標的とした少女の年齢を考えればペドフィリアと呼んで差し支えないが、何故、そうなったのかいまいちわからない。

アルコール中毒の両親のもと生まれたが、アルコールの影響により生まれながらにして異常だった可能性が高い。

ブールツェフが犯行を行っていた時と同時期に、近くで以前掲載したウラジミール・マクハンキンというシリアルキラーが暗躍しており、よく比べられていた (両者共変な帽子を被っている) 。

こんな鬼畜が結婚し子供がいたのは驚きだが、離婚や子供と離れ離れになる事を恐れた。

「だったらやるなよ」という話しだが、鬼畜には止められない衝動なのでどうしようもない。