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ロスティスラフ・ボゴスラフスキー (イスラエル)
【 1989 ~      】



ロスティスラフ・ボゴスラフスキーは、ユダヤ人の父親とクリスチャンの母親の下、ロシアで生まれた。

両親は長年、アリヤー (イスラエルに帰還移住すること。90年代にロシアからイスラエルへの帰還が増大した) するかどうかで悩んでおり、それが原因で両親は別居する事となった。

数ヶ月後、両親は元に戻り、最終的にボゴスラフスキーが8歳の時にイスラエル・ナハリヤに移住した。

イスラエル国民となったボゴスラフスキーだったが、言葉の壁や勉強に戸惑った。

特に移住した最初の1年は困難で、言葉のアクセントの違いに苦労した。

後にこの時の事をボゴスラフスキーは、

「それは私の人生で最も辛かった時間でした。新入生だった私のアクセントを笑い、誰も私に話し掛けず、私の事を嫌い遠ざけた。私はただイスラエルから逃げ出したかった」

と語っている。

また、家に帰っても両親には安らぎを感じる事が出来ず、

「彼らはお金を稼ぐ為に忙しかった。彼らは私の為に時間を割く事が出来なかった。家には食べる物はなく、私の言葉に耳を傾ける者もいなかった。私は孤独な狼のようだった」 

と後に供述している。

ボゴスラフスキーは10歳の時には喫煙を始め、また、ビールやウォッカを飲み始めた。

ほとんど家に帰る事なく、路上や外で多くの時間を費やした。

喜怒哀楽が激しく、学校では常に怒りを爆発させていた。

クラスメートを殴ったり嫌がらせしたりといじめを行い、授業を中断させる事もしばしばであった。

困った教師は両親に相談するが、解決には至らなかった。

専門家が両親にボゴスラフスキーの精神医学及び心理的治療を勧めるが、両親は拒否する。

また、エアコンのガスの臭いや接着剤の臭いの虜となり、時間があったら嗅いでいた。

14歳の時、家族はペタ・ティクヴァに引っ越し、父親は金属工場で働き、母親は清掃員として働いた。

その後、アマル高校に通うが、精神状態は悪化の一途を辿る。

ペタ・ティクヴァの市場へ赴いては何時間も過ごし、様々な仕事をこなした。

そして、稼いだお金をマリファナやヘロインを購入した。

ある日、ボゴスラフスキーは12歳の少年が手にゲームを持っているのを目撃する。

そのゲームで遊ばせて欲しいと頼むが少年が拒否した。

それに腹を立てたボゴスラフスキーは少年を激しく殴った。

少年は怪我を負い、ボゴスラフスキーは両親に警察に連れて行かれ、暴行罪で起訴された。

この時、ボゴスラフスキーはまだ14歳であった。

裁判所は年齢を考慮し、刑務所に送る事を避け保護観察処分とした。

16歳になる頃には悪魔主義の世界に深く入り込んでいた。

そして、悪魔カルトのウェブサイトをブラウジングし、悪魔カルトが脳を食べ、血を飲む事に強く惹かれた。

その後、ペタ・ティクヴァにあるネオナチのギャングのメンバーとなる。

このギャングはかつて市の会議に侵入し、宗教的なオブジェクトを破壊していた。

ある夜、ギャングのメンバーと2人の男の子を襲撃する。

男の子は無事であったが、ボゴスラフスキーとその他メンバーは逮捕され、懲役6ヶ月が言い渡された。

釈放されたボゴスラフスキーを両親は生活改善の為に矯正施設に入れる。

数ヶ月間、禁欲的な生活をしていたボゴスラフスキーだったが、ペタ・ティクヴァの馴染みのピンスカー通りに戻ると、猫を虐待し始める。


2007年3月3日午前3時頃、ナイフを持参し、ピンスカー通りに向かった。

そして、アレクサンダー・リストフ (50歳♂) に近付き周囲に誰もいない事を確認すると、ナイフで腹部を刺した。

しかし、通行人が気付き、ボゴスラフスキーは逃走した。

この時、近くの人がボゴスラフスキーが黒い服を着て走って逃げるのを目撃している。

リストフはすぐに病院に搬送され、手術を受け4日間の入院の後、退院した。


同年3月23日午後11時45分頃、ボゴスラフスキーはペタ・ティクヴァのピンスカー通りとマーカス通りの交差点に、刃渡り12cm以上ナイフを持参して現れると、ホームレスのウラジミール・ファラフ (68歳♂) を刺した。

ファラフの首の右側を刺し、頚髄に深刻な損傷を負わせた。

ファラフは病院に搬送される途中で死亡した。


同年4月24日から25日にかけて、ボゴスラフスキーはとある建設現場に到着すると、刃渡り23cmの刃物でホームレスのニコライ・リャブセフキチ (51歳♂) 刺して殺害する。

刺し傷は背中に14ヶ所、頭と首に8ヶ所、太腿に2ヶ所という凄惨なもので、心臓に到達した傷が致命傷となった。

遺体をそのまま放置したが、同年4月26日午前9時40分頃、再び犯行現場に戻り、頚部と陰嚢をナイフで刺し、コンクリートブロックで頭部を叩いた。

当初、警察は一連の事件の容疑者を警察官への暴行の容疑で逮捕されたホームレスの男性であると考えていた。

実際、その男性は殺人についても仄めかしていた。

しかし、警察はそのホームレスがテレビや新聞で一連の事件を知り、やってもいない犯罪をさも自分がやったと自慢したいだけだとすぐに気付く。

そして、捜査の末、ボゴスラフスキーは逮捕された。

犯行に使用したナイフが見つかり、犠牲者に抵抗された際に受けた傷が確認された。

また、数々の写真も見つかり、それは猫を虐殺しているものだった。

その事についてボゴスラフスキーは、少なくとも500匹の猫をこれまで殺したと話し、猫と死体の一部が冷蔵庫の中から見つかった。

猫を殺した事についてボゴスラフスキーは、

「通りの猫が嫌いだった」

と話した。

一連のホームレス襲撃についてだが、被害者全員がロシア人である事がわかり、ボゴスラフスキーは

「酔ったロシア人が嫌いだった」

と故意にロシア人を標的としていた事が判明した。

嫌いになった理由は、庭で酔っ払いがいたからだと述べた。

また、ボゴスラフスキーは映画『羊たちの沈黙』に強い影響を受けたと話し、少なくとも15回以上は観たと話した。

裁判が始まると、ボゴスラフスキーの精神状態が問題視された。

しかし、診察した精神科医は責任能力は十分にあると判断した。

ボゴスラフスキーは悪魔を崇拝し、ネオナチのギャングに所属していた事を問われると、

「私は今はサタンを信じない。私はかつてはユダヤ人を憎んでいたが今は憎んでいない。ネオナチとの繋がりが大きな間違いだった事を知っている」

と述べた。

ボゴスラフスキーの弁護士は、年齢や長年精神疾患に苦しんおり、過去には精神医学的治療を受けた事を考慮し、終身刑ではなく懲役刑にすべきだと訴えた。


2010年7月1日、ボゴスラフスキーは有罪判決となり、2件の殺人で2つの終身刑、殺人未遂で懲役10年、動物虐待で懲役2年がそれぞれ言い渡された。


最後に法廷で述べたボゴスラフスキーの発言で終わりたいと思います。

「私は怪物ではありません」



《殺人数》
2人 (他1人負傷、猫500匹以上虐殺)

《犯行期間》
2007年3月23日、同年4月25日



∽ 総評 ∽

ホームレスを襲撃し、殺害したボゴスラフスキー。

また、ボゴスラフスキーは猫ばかり500匹以上殺害した。

動機は嫌っていたという単純なものだが、犯行時、ボゴスラフスキーは18歳であった。

ボゴスラフスキーも悪魔主義でネオナチという異常者が得意とするものにはまったが、惹かれたきっかけがよくわからない。

ただ、ボゴスラフスキーは親からの愛情を感じておらず、それが精神状態を崩壊させるきっかけとなり、その過程でそれらに触発されたのだろう。

また、異国にきて言葉の壁やその事をバカにされいじめを受けた事が、精神的に追い詰められたと思われる。

実際、本人が「人生で1番辛い時期だった」と言っている程である。

そんな幼い頃に受けた精神的ダメージは10歳にして喫煙と飲酒という行為に及んでしまうが、これも破綻した家庭環境で育ったシリアルキラーにはよくあるパターンである。

イスラエルはこういったシリアルキラーというのはほとんどおらず、以前掲載したニコライ・ボナーが初の連続殺人犯だとされている (あくまで確認されている中で) 。

ボナーは2005年2月から同年5月の間に4人殺害したが、もしかしたらこのボゴスラフスキーがシリアルキラー第2号かもしれない。