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レミー・ロイ (フランス)
【 1958 ~      】



レミー・ロイ (1958年生) は兄弟共に甘やかされて育った。

幼少時代は良好で勉強も行ったが成績は平凡であった。

学校は真面目に出席していたが、クラスメートはロイを無視し、木に腕を縛り服を脱がすといういじめを行った。

そんなロイは海を愛し、セーリングスクールに通い将来はスキッパー (船長) になりたいと思うようになった。

13歳の時、映画館で隣に座っていた男性に無理やり自慰行為をさせられた。

17歳の時、友人に借金をしてしまい、返す事が出来なかった為、老人に裸を疲労してお金を稼ぐよう強要される。

だが、ロイは拒否して逃げた為、友人は腹を立て仲間と一緒にロイを強姦した。

船乗りとなったロイは書店のオーナーであるフランソワと出会い、後に結婚した。

夫妻はビルジュイフに移住し、娘と息子が生まれた。

フランソワによると、ロイは非常に良い父親で、寛大で善良、多くの人に愛されていたという。

ロイはボート雑誌のフリーランサーであり、仕事がない時は妻の書店を無給で積極的に手伝った。


1988年、フランソワは夫の為に友人を雇ったが、雑誌の仕事がほとんどなかったロイは自宅を拠点にしたプロモーションビデオ制作会社を設立する。

しかし、会社は赤字が続いた。

それに伴いロイの精神状態は悪化し、鬱病に陥った。

ほとんどの時間をベッドの上で過ごし、その為、体重は最大で120kgまで膨れ上がった。

そして、ロイは「ミニテル (フランスの電信電話総局が提供していたビデオテックスシステム。ネットみたいなもの) 」にはまり多くの時間を費やした。


1990年10月11日午後、保険代理店勤務のポール・バーナード (46歳♂) は、「hpoilu75」や「hpoilu75asoumettre」、「hpoilu75aexhiber」という仮名で同性愛のミニテルを使用していた。

ロイは共通の同性愛のミニテルでバーナードと知り合うと、スカーフでギャグ (猿轡) を噛ませ、背中に手を回して縛り、紐で睾丸も縛った。

身動き取れなくなったバーナードを大きな石で殴り頭蓋骨を粉砕し、最後は首を絞めて殺害した。

バーナードの遺体はセーヌ川のほとりドラヴェイユで翌日の12日午前10時頃、漁師によって発見された。

ロイは「魔術師ナサニエル」として知られる占星術師ギルバート・デュケノア (48歳♂) とミニテルで知り合う。

デュケノアは同性愛者で、ミニテルで「デイジー」や「コラリー」という仮名を使用していた。


同年10月19日から20日にかけて、首都パリでデュケノアと出会ったロイは、ワインを飲みながら仲良く話した。

すると、突然ロイはデュケノアの頭を革のフードを被せて覆い、足首と手を背中に回して縛り、頭部をハンマーで少なくとも7回殴り殺害した。

ロイはデュケノアの日記とアドレス帳を奪って立ち去った (ロイの後をしばらくデュケノアの飼い犬ダックスフントが追い掛けた) 。

ロイは凶器のハンマーをマルヌ川に投げ捨て、その後、奪った日記とアドレス帳も捨てた。

同年10月22日、隣人が裸でベッドに横たわるデュケノアを発見し、警察に通報した。


同年11月16日、ロイはパリを訪れ、壁装材会社のウーグ・モロー (41歳♂) と出会い、翌日の17日午後11時頃、金属製の蛇口でモローの頭部を何度も殴り、殺害した。

ロイはモローの小切手帳、銀行カード、ファックスを盗んだ。

約13時間後にモローの遺体は妻によって発見されるが、遺体は裸で背中で手を縛られており、腰には鎖が付けられていた。

数日後、ロイはパリのフナック (1954年に創業されたフランスの総合的な小売チェーン) へ赴き、モローから盗んだ小切手で水中ビデオカメラを1つ購入した。


1991年10月8日、ロイはビルヌーブ=サン=ジョルジュに向かい、公務員のブルーノ・ジラドン (32歳♂) と会う。

ジラドンとも同性愛のミニテルで知り合い、ミニテルには「その他」という仮名で登録していた。

ロイはジラドンと飲みながら様々な話しを行い、ロイはセーリングの世界に特化した新聞の写真家だとジラドンに説明した。

その後、ロイはジラドンにサドマゾヒスティックを実践しようとし、バッグから様々な道具を取り出す。

それらの道具を試そうとジラドンに言うが、拒否する。

すると、ロイは石のランプの脚でジラドンの頭部を殴った。

ロイはジラドンの小切手帳や身分証明書が入ったバッグを盗んだ。

友人が横たわる裸のジラドンを発見し、床には血が広がっていた。

すぐに病院に搬送されると、ジラドンは一命を取り留めた。

1ヶ月後、ビデオハードウェア店でロイはビデオレコーダーを購入し、店員に水中撮影用のビデオカメラを持っており、互換性のあるフラットベッド・エディタが欲しいと話した。

そして、ジラドンから奪った小切手の1つで1万4900フラン (約150万円) 支払った。

店員はロイにIDを要求すると、ロイはジラドンの運転免許証を提示し、店員は運転免許証をコピーした。

数時間後、ロイは別のビデオ店で別の物を購入し、再びジラドンから奪った小切手で支払った。

店にはCCTVカメラが設置されており、一連の殺人事件を捜査していた捜査官はロイの画像を入手する。


同年11月、ロイはビルジュイフの自宅で逮捕された。

自宅からはジラドンの小切手帳と運転免許証が見つかった。

ロイはこれまでの犯行を認めたが、一連の殺人を犯す前にロイには犯罪歴は一切なかった。

警察はロイが同性愛者ばかりを標的とした為、当初、ロイ自身も同性愛者だと考えていたが、ロイは否定する。

それどころか同性愛者を狙ったのはその存在を ″嫌悪″ していた為だった。

犯行自体も孤独と退屈の為に行ったと述べた。

ロイはこれまでの犯行について詳細に語り始めた。

バーナードはマゾヒスティックであり、ロイに自身を痛めつけてくれるよう頼んだ。

ロイは自身に触れない事を条件にバーナードと草むらの方へ向かった。

バーナードは服を脱ぎ、ギャグを自身に装着してくれるよう頼み、睾丸の周りを紐で結び、木に縛るよう頼んだ。

言われた通りにしたロイであったが、バーナードがロイの手を取り、陰茎に持っていって自慰行為を始めた。

触れない事を条件にしていたロイは怒り、殺害に至ったと述べた。

デュケノアは「ポルノ映画を一緒に観よう」と言い出した為、帰ろうとすると拘束された。

すると、デュケノアはバッグから金髪のカツラを取り出し被り、フリンジ付きのドレスを着た。

デュケノアは自身を売春婦に見立て、ロイに顔を平手打ちしてくれるよう頼んだ。

ロイが拒否すると、デュケノアはトイレに入り革のフードだけを着けて現れた。

その様子にうんざりしたロイはデュケノアをベッドに蹴り倒すと、ハンマーで頭を叩いた。

その後、スコッチテープでデュケノアの足首を巻き付け、脈をとるとまだ生きていた為、その場から逃走した。

モローは家に行った際、バーバリーのレインコートを着て現れ、コートを開くとモローは全裸であったが、性器の周りに鎖だけが巻き付けられていた。

その姿を見たロイは激怒し、モローを部屋の奥に押し込み殴った。

モローは床に倒れ、その後もロイは殴り続けた。

ロイがその場を去った時、まだモローは生きていた。

ジラドンの場合は、ロイは元々ミニテルで自虐的な女性だと思い連絡していた。

そして、道具を持って家に行くが、現れたのは裸の男性のジラドンであった。

欺かれたと思い激怒したロイは、ジラドンを激しく殴った。

転倒したジラドンに対し、コーヒーテーブルで頭を殴り、その後、逃走するが、逃げる時にはまだジラドンは生きていた。

ロイは犯行を認めたものの、一貫して逃げる時には全員まだ生きていたと主張した (ジラドンだけは実際に生きていた) 。

また、4人以外、誰も襲ったり殺したりしていないとも話した (実際調査しても被害者や犠牲者はいなかった) 。

ロイは父親が長らく不在だった事、母親がしばしば皮紐で鞭打ちした事が異常となった原因とされたが、調査するとそれらは事実ではない事が判明した。

精神科医と心理学者はそれらはロイの空想であり、自身のサディスティック及びマゾヒスティック傾向を抑圧し、それが怠惰で堕落した生活の結果、一気に爆発したと考えた。


バーナード、デュケノア、モローの殺人とジラドン殺人未遂で起訴され、1996年6月26日、裁判が始まった。


2日後の28日、ロイは最低18年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。



《殺人数》
3人 (1人未遂)

《犯行期間》
1990年10月11日~1991年10月8日



∽ 総評 ∽

『The Minitel Killer (ミニテルの殺人者) 』と呼ばれ、3人の同性愛者を残酷に殺害したロイ。

ロイ自身は同性愛者ではなく、それを嫌っていたと述べているが、実際にそうなのかはわからない。

ただ、ロイは過去に強姦された事があり、その為同性愛者を恨み犯行に及んだ可能性は確かに高いだろう。

ロイは妻からすると父親や夫として完璧だったようだが、本心ではサゾマゾ性向を隠し、それを発揮する場を探し求め、実行に移した鬼畜であった。

個人的にロイは、フランス型殺人鬼の典型のような人物だと思うが、その異常性はいつ養われたのか。

学校でのいじめ、映画館での自慰行為の強要、そして強姦とそれらが要因だと思われるが、結婚後は表面上、好人物であった。

善人を演じられるのはサイコパスの典型で、そう考えるとロイは先天的な異常者なのかもしれない。