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ミシェル・ペイリー (スイス)
【 1959 ~      】



ミシェル・ペイリーは、1959年5月1日、スイス・ロモンで生まれた。

ペイリーの父親は暴力的で、日頃から虐待を受けて育った。

働き始めてからは普通の社会生活を送った。

ペイリーの職務態度は良好で、仕事に対する姿勢は同僚から高く評価されていた。

だが、ペイリーのそれは表面上であり、心の中では抑圧された同性愛により暴力的な幻想を抱き、他人に拷問を加えたいと常に思っていた。

ペイリーはボンデージ (性的興奮を得る為の拘束行為、またはそれを行う為の道具) に強い執着を示し、その結果、ペイリーにとって性と暴力は切っても切り離せないようになっていた。


1981年9月1日、ペイリーはアメリカへ渡り、そこでカナダ人のシルヴェストルという男性と知り合った。

その後、ペイリーはシルヴェストルを殺害する。


1984年2月4日、ペイリーはフランスのアヌシーで、フレデリックという名の若者を殺害する。


1985年6月、フランス・カマルグのサント=マリー=ド=ラ=メールで、アン・ローレン (♀) を殺害する。

このローレン殺害はペイリーによる唯一の女性の犠牲者であった。


1986年5月7日、ペイリーはスイスでセドリック (♂) という若者を殺害する。

セドリックの解体された遺体はヴァレー州アルビネンで発見された。


1986年7月、ペイリーはユーゴスラビアなどヨーロッパ諸国を旅行した。

ペイリーはクロアチアでシルビオという男性を殺害した。


同年8月14日、ティチーノ州カントンで、ペイリーは若いヒッチハイカーのファビオ・V (♂) を殺害した。


同年11月、ペイリーはイーヴ・アスという男性を襲撃する。

ペイリーはアスを強姦し暴行を加えるが、アスは奇跡的に助かった。


1987年3月、ヴィンセントという若者が放火により火傷を負った。

この犯行はペイリーではなくフランスのシリアルキラー、ピエール・シャナル (以前掲載) によるものではないかとされた。

シャナルは1980年から88年にかけて8人を殺害したが、その犯行はペイリーと酷似していた。


同年4月16日、イタリア・コモでペイリーはフランス人を殺害する。


同年4月24日、ペイリーはトーマスという若い男性を襲ったが、トーマスは生き残った。


同年5月1日、ペイリーは兵役中に逮捕された。

逮捕されたペイリーはこれまで11人の殺害を告白する (確認されたのは7人) 。

ペイリーは10代の若いヒッチハイカーばかりを狙い、拉致すると縛り拷問を行った。

その後、強姦し殺害すると遺体を燃やした。

裁判でペイリーには終身刑が言い渡された。


ペイリーは2002年と2009年に仮釈放請求を行うが拒否されている。



《殺人数》
11人

《犯行期間》
1981年9月1日~1987年4月16日



∽ 総評 ∽

『The Sadist of Romont (ロモンのサディスト) 』と呼ばれ、主に11人の男性を殺害したと告白したペイリー。

ペイリーはロジャー・アンデルマットが1995年から2001年の間に22人殺害して逮捕されるまで、第二次世界大戦以降、スイスで最悪のシリアルキラーであった。

ペイリーは1人を除き犠牲者全員が男性であった事でわかる通り同性愛者であった。

ペイリーが同性愛者になった理由はわからないが、おそらく先天的なものだったと思われる。

ペイリーは会社では同僚から信頼の厚い好人物であったが、同性愛者でサディストであり、異常な人格をひた隠しにしていた。

これは典型的なサイコパスといえる。

サイコパスはソシオパスと違い、本性を隠して表面上優等生にみせる事は容易な事である。

その為、安定した職、家庭を持っている事も多く、一見、何の問題もない人物にみえる。

対してソシオパスは社会と馴染む事が出来ない為、職や住居を転々とする。

どちらも厄介で恐ろしいが、まだソシオパスの方が表面上わかり易く、対処も出来る (可能性がある) 。