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ユーリ・チウマン (ロシア)
【 1969 ~      】



ユーリ・レオニードヴィチ・チウマンは、1969年1月30日、ロシア・ロストフ州タガンログで生まれた。

両親は慢性的なアルコール依存症であり、日頃からチウマンを絶えず殴打し、殺すと脅した。

父親が重病となると、母親は部屋に放置して看病せず、恋人の不倫相手を家に連れ込んではチウマンの目の前で性行為に及んだ。

チウマンは仲間や友人を作らず、常に祖母の家の出入口にあるベンチに座っている物静かで落ち着いた子供であった。

成長すると落ち着いていた事もあり、知的な人物だと周囲から思われていた。

チウマンはスリラー映画を好み、気付くと両親と同じアルコール依存症となっていた。


1986年12月24日から25日にかけて、チウマンは少女に襲い掛かり、無理やり少女のアパートに行くと、縛り殴った。

そして、強姦し首を絞めて殺害した (死んでいないという説もある) 。

チウマンは逃走する前に物を盗み、アパートに火を点けた (ただしこの犯行に関しては諸説あり、放火は行っていなかったとも、放火が失敗し少女も助かったともいわれる) 。


1987年、チウマンは入隊し、1989年まで所属した。


1989年6月下旬、チウマンは新たに少女に襲い掛かかり強姦しようとするが逃げられてしまう。


1990年5月12日から13日にかけて、チウマンはタガンログで少女を強姦し、殺害する。


同年5月26日から27日にかけて、チウマンはタガンログで少女を強姦し、殺害する。


同年9月14日から15日にかけて、チウマンはタガンログで少女を強姦し、殺害する。


1991年6月2日、チウマンはタガンログで少女を強姦し、殺害する。

一連の事件はタガンログを震撼させ、狙われた少女全員が黒いパンティーストッキングを身に着けていた事から、犯人は『Black Tights Killer (黒いタイツ殺人者) 』と呼ばれるようになる。


しかし、チウマンは元々自身の行動に注意を払っておらず、1992年11月26日、新しい殺人の為の獲物を物色しようとした所を通行人により拘束された。

その後、警察に突き出されたチウマンは、血液型や髪のサンプル、指紋などが犯行現場に残されたものと一致した。


1994年2月11日、チウマンは確実な4人殺害で死刑が言い渡された。

しかし、何故かチウマンの死刑執行は一時停止となり、後に終身刑へと変更となった (一時停止になった理由はわからないが、終身刑となったのはロシアが死刑を廃止したからだと思われる) 。


2011年、チウマンは最高裁判所で死刑が終身刑へとなった事に異義を申し立てたが失敗に終わっている。



《殺人数》
5人

《犯行期間》
1986年12月25日~1991年6月2日



∽ 総評 ∽

『Black Tights Killer』または『The Night Guest (夜の来客) 』と呼ばれ、5人の少女を強姦し殺害したチウマン。

チウマンは強姦殺人鬼だが、しかも、少女ばかりを標的とする鬼畜であった。

ただ、殺害した日は詳細があるのに名前や年齢についてはわかっていない。

チウマンはアルコール依存症の両親に虐待され、殴られ殺すと脅されて育った。

また、父親が病気で寝たきりになると、母親は父親の看護をするどころか別の男性を連れ込みチウマンの目の前で行為に及んだ。

チウマンの異常性はこの悲惨な幼少時代に形成されたと思われるが、だからといって犯行は当然許されない。

チウマンは死刑判決が言い渡されたが何故か終身刑となった。

時代的には死刑がまだ廃止されておらず、変更になった理由がわからないが、本人は後に死刑が終身刑になった事に異義を申し立てた。

本人が死にたいのならさっさと自殺すればいいのにと思う。