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ヨハネス・ハンニ (エストニア)
【 1957 ~ 1982 】



ヨハネス・アンドレアス・ハンニは、1957年、エストニア (当時はソ連の一部) ・バルガで生まれた。

ハンニの家は敬虔なバプテスト派であり、父親は牧師であった為、そんな両親はハンニにも宗教を強制した。

また、ハンニは規律や学問、社会について両親から厳しく教えられ、精神的、肉体的に虐待されて育った。

そんなハンニは幼い頃から犯罪を繰り返し、思春期を迎える頃には刑務所と外を行き来していた。


1981年12月11日、ハンニはトロリー運転手のピーユ・トゥームラと結婚する。

夫妻は首都タリンに引っ越し、ハンニはレストランのウェイターとして働き始める。


1982年3月5日、バルト海に浮かぶサーレマー島で、ハンニは船乗りのイーマー・ビーボ (♂) を刺殺する。

その後、ビーボの太ももの一部を切り取り、タリン・ノルム地区の自宅に持ち帰った。

ハンニは妻トゥームラにその肉を人肉だと説明し、ストーブの上の鍋で炒めて食べた。

その時のハンニの様子について後にトゥームラは「非常に喜んでいた」とインタビューで話している。


同年5月23日、ユフヴィでハンニはベラルーシ出身の年金受給者イワン・サヴィツキー (75歳♂) を殺害する。

殺害後、サヴィツキーの性器を切断した。


同年7月下旬、ハンニは森でラズベリーを摘んでいたエフゲニア・コルツォヴォという中年女性を強姦して殺害した。


同年8月下旬、ハンニは妻トゥームラとタリンでタクシー運転手を殺害する計画を立てる。


同年9月2日、2人は計画を実行に移し、タクシー運転手のアラリ・キビをナイフで襲うが、キビの反撃に遭い逃走した。

キビは負傷したものの、重傷ではなかった。


同年10月2日、ハンニは逮捕された。

裁判が始まる前、3人の専門家によるハンニの精神医学的評価が行われ、その内の1人が
「彼は女性のブラジャーに魅了され異様な執着を示した。彼自身常に女性のナイトガウンを着て寝る事を好み、性行為の際はブラジャーを着用した」
と述べた。


同年11月6日、ハンニは刑が宣告される前に刑務所で首を吊って自殺した。

ハンニの妻トゥームラは、ハンニの犯行を手助けした罪で有罪判決を受けた。

トゥームラは刑務所で12年程過ごした後、釈放され、名前を変更してフィンランドへ移住している。


しかし、2008年、トゥームラは本を出版し、それには自分も被害者であると書かれていた。


最後に妻に語ったハンニの言葉で終わりたいと思います。

「長い間、人間の肉を食べたいと思っていたので食べるつもりだ」



《殺人数》
3人 (他1人負傷)

《犯行期間》
1982年3月5日~同年8月下旬



∽ 総評 ∽

『Estonias Hannibal Lecter (エストニアのハンニバルレクター)』または『The Nõmme Cannibal (ノルムの食人鬼) 』と呼ばれ、3人を殺害し遺体の一部を食べたハンニ。

食人はシリアルキラーに多くみられる趣味嗜好の1つで、その多くが食料として人肉を食べるのではなく、このハンニのように興味や快楽で食べる事がほとんどである (ジェフリー・ダーマーのようにどちらも兼ねる珍しいパターンもあるが) 。

食人は何らかのきっかけで目覚める事が多いが、ハンニの場合は詳細がなくわからない。

妻に「長い間食べたいと思っていた」と言っている事から、犯行時の年齢を考えれば若い頃にはすでに興味があったのが窺える。

ただ、両親が敬虔なバプテスト教会の信者で、ハンニも子供の頃から強制的に信仰させられた。

親による宗教の過度の信仰は子供の精神状態を歪ませる事が多く、これまでそういった例を何人も紹介してきた。

それが食人のきっかけと結び付くとは言えないが、要因の1つにあるのかもしれない。

ハンニは最後自殺しているが、これは反省などではなく、おそらく殺人や食人が出来なくなった事に対する絶望だと思われる。

現在、エストニアはEUに加盟しているので死刑は廃止しているが、ハンニが逮捕された時はまだソ連なので、死刑は存在した。

おそらく、ハンニは死刑になったと思うが、さっさと死んでくれて良かったと思う。