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アーサー・ガッター (ドイツ)
【 1940 ~ 1990 】



アーサー・ガッターは、1940年3月24日、ドイツ・ラーベンズブルクで生まれた。

父親はアルコール依存症であり、母親は清掃員であった。

ガッターは目立たない学生で、友達もおらず孤独であった。

クラスメイトのディーターが唯一の友人であった。

19歳の時、ディーターと一緒にオーストラリアに移住し、その後、数年間ディーターと色々な場所を旅した。

しかし、些細な事がきっかけでディーターとの友情関係は終わりを告げ、失意の内にドイツへ戻った。

ドイツに戻ったガッターは電気技師の見習いとして働き始める。


1962年、ガッターはフランクフルトに住み始めるが市内を転々とした。

ガッターは海外での仕事を見つけ、サウジアラビアやクウェートといった中東の建設現場で組立作業を行った。

ガッターは常に孤独で、唯一の味方は母親だけだった。


1980年半ば、ガッターの精神状態は劇的に悪化していった。

ガッターは頭の中で声が聞こえ始め、仕事をする事が困難になった。

ガッターはヴィルヘルム・ロイシュナー・ストラッセにある家具付きのワンルームのアパートに住み、ある程度の貯金があった為、生活を始めた。

しかし、ガッターがアパート階段の窓を破壊した為、隣人が家主に報告し、家主がガッターに警告した。


1988年7月9日、ガッターはボルンハイムで何台かの車のタイヤに噛み付き、後に逮捕された。

判事はガッターの精神医学的検査を命じ、診察を受けたガッターは重度の統合失調症と診断される。

しかし、ガッターが一般市民に対して危険かどうかについてはレポートでは否定された。

仕事に就かず何もする事のないガッターは街中を何時間もぶらつき、アパートの窓から鶏の足やパン粉など、ゴミを外に投げ捨てた。

その後、ガッターはアパートを追い出されてしまう。


1990年2月2日午前5時、フランクフルトのヴァイスフラウエン通りで、警備員がホームレスのハンス=ペーター・S (43歳♂) の遺体を発見する。

ハンスはハンマーで殴り殺されていたが、顔面は誰か認識出来ない程ぐちゃぐちゃであった。


同年2月7日、フリードバーガー工場の植え込みで、カート=ヘルムート・H (32歳♂) が倒れている状態で発見される。

発見された時はまだ生きていたが、2日後に死亡した。

カートもハンマーで殴られていたが、カートはホームレスではなかった為 (ホームレスではなかったが同性愛者) 、警察は犯行に類似点は多いものの、同一人物による犯行とは考えなかった。

しかし、わずか数日以内に発生したハンマーによる撲殺事件は、近隣住民を恐怖に陥れた。


同年4月2日午前5時40分、バスの運転手が待機中にロッジのベンチでホームレスのヘルムート・R (32歳♂) の血まみれの遺体を発見する。

ヘルムートの遺体も頭部をハンマーで執拗に殴られていた。

新聞には一連の事件を『Phantom』または『Berber-Murder』と書かれた。


翌日の3日、警察は特別チームを組織し、一連の殺人事件の捜査を開始した。

公園にはホームレスのように見える人形を配置したり、私服警官をつかって囮捜査も行った。


同年4月11日、ホームレスの男性が、男が鈍器で眠っているホームレスに近づいているのを目撃したと警察に通報する。

すぐに似顔絵の合成写真が作成され、似ている人物が容疑者として逮捕されるが、証拠不十分で解放された。


同年5月4日午前7時30分頃、ホームレスのハンス=ペーター・M (46歳♂) の遺体が発見される。

ハンスはハンマーで殴られていたが、遺体は発見時、血液が1mの高さに噴き出ていた。


翌日の5日、エンゲンバート・G (60歳♂) とニコラ・Z (42歳♂) の遺体が同じ公園で発見される。

2人は50mも離れておらず、ニコラはすでに死亡していたが、エンゲンバートはまだ息をしていた。

すぐに病院に搬送されるが数時間後に死亡した。

公園内は血まみれのまさに地獄絵図状態であった。


同年5月20日、ブラジル出身で同性愛者のアンダーソン・S (32歳♂) が、パーティーで友人と別れた後、午前3時頃、公園で遺体となって発見される。

現場の様子からアンダーソンは茂みで刺され、公園のベンチまで逃げた所、ハンマーで殴られ殺害された事がわかった。


同年5月22日、ホームレスのハインリッヒ・O (59歳♂) が公園で遺体で発見される。

ハインリッヒもハンマーで殴られていたのだが、目撃者がおり、すぐに警察に通報した。

目撃者によると犯人は背の低い小太りの男性で、すぐに警察が犯人を追跡し、数分後、犯人は逮捕された。

犯人はガッターであり、血に染まったナイフとハンマーを所持していた。

尋問を受けたガッターは、

「暗黒部隊が犠牲者を公園に連れて行き殺した」

と話し、何年もまともに寝ておらず「多くの人を殺せ」と声が聴こえたと話した。

また、犯行を始めるまでの数ヶ月前からその声に抗っていたが、耐えきれなくなり犯行に及んだと語った。

ガッターはディーターとの友情が終わってから精神的な問題が始まったと話した。


1990年12月12日、裁判に連れて行かれる前に、ガーゼと包帯で首を吊り自殺した。

享年50歳。



《殺人数》
8人

《犯行期間》
1990年2月1日~同年5月22日



∽ 総評 ∽

『The Hammer-Killer of Frankfurt (フランクフルトのハンマーキラー) 』と呼ばれ、わずか3ヶ月程度で8人を殺害したガッター。

当時のドイツはベルリンの壁が崩壊して数ヶ月であり、まだ混乱期にあったベルリンには数千人のホームレスが住んでいた。

その内、1000人程が通りに住んでおり、標的には格好の相手ではあった。

ガッターの殺害動機だが、自殺してしまった為、何故そうしたか実際の所はわからない (ただホームレス以外の2人は同性愛者であった為それも何かの要因があるのかもしれない) 。

ガッターは「声が聴こえた」と言っており、重度の統合失調症であったが、その後、治療を受ける事なく悪化の一途を辿った。

唯一の友人との別れがガッターの精神を崩壊させるきっかけになったのは間違いない。

また、常に孤独で仕事も失い、また、アパートから追い出された事で精神が破綻をきたして凶行に及んだ。

ガッターもホームレスの生活を続けるしかない状態にあり、そうなりたくない気持ちの性格の歪みからホームレスを襲撃したのかもしれない。