_20190916_213715
ベニート・ムッソリーニ (イタリア)
【 1883 ~ 1945 】



ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニは、1883年7月29日、イタリア・エミリア=ロマーニャ州プレダッピオで生まれた。

父親は鍛冶職人、母親は小学校の教師であった。

ムッソリーニは幼少の頃から気性が激しい問題児であり、クラスメイトをハサミで刺した事があった。

また、クラスメイトをナイフで刺して11歳で学校を退学する。

ムッソリーニは子供の頃から暴力の魅力に惹かれていた。

そんなムッソリーニは成長と共に祖国に対して強い怒りを向けるようになる。

祖国が20世紀になっても封建制を維持し、民主主義は限定的で国王や大臣らが権力を掌握していた。

富は地主や産業資本家に集中していたが、人口の大部分は貧しい農民だった。

その為、よりよい生活を求めて祖国を捨てる者が続出しており、そんな自国民を蔑ろにする後ろ向きな祖国に対して怒りを露にしたのだった。

ムッソリーニは無心論者だったが、

「自分は神に選ばれ祖国を救う救世主」

と考えるようになる。

ムッソリーニは社会主義者であった父親同様、自身も社会主義に傾倒していく。

そして、社会主義という正義の実現を政治の目標に掲げ、それは終生変わる事はなかった。


1903年7月、スイスに移住していたムッソリーニは、革命を扇動したとして逮捕された。

イタリアに送還されたムッソリーニだったが、20歳まで警察と衝突する事が増え、刑務所を出たり入ったりした。

ムッソリーニは文章力があった為、言葉の重要性を認識し、やがて、社会主義ジャーナリストとして頭角を現す。


1912年、ムッソリーニは社会党の「アヴァンティ!」誌の編集長に就任する。

すると、発行部数が2万部から10万部へ飛躍的に上昇する。

その後、ムッソリーニは ″速さ″ ″力″ ″暴力″ を讃える「未来派」と呼ばれる思想に影響を受ける。

そして、それが後のファシズムへの礎を築く事となる。


1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発すると、ムッソリーニは積極的な戦争への参戦を主張する。

ムッソリーニは未来派の『戦争が退廃した世界を浄化する』という思想を現実にしようと考えたのであった。

しかし、労働者階級の動員を恐れる反戦派だった社会主義者はムッソリーニを党から除名する。

ムッソリーニは「アヴァンティ!」の編集長を辞任する。

そして、ムッソリーニの考えに共感する好戦派の産業資本家から出資を受けると、独自の新聞を創刊し、紙面で参戦論を展開した。


1915年、イタリアはイギリス、フランス、ロシア側で参戦し、ムッソリーニも戦争に参加した。

ムッソリーニは戦場でナショナリズムの力を感じ、それが人々を行動に駆り立てるものだと確信する。

そして、愛国心は革命の力となる事を感じた。


1917年2月、負傷したムッソリーニはミラノに帰還し、新たな政治イデオロギーを提唱する。

それは未来派の戦争賛美とナショナリズムを合わせたもので、ムッソリーニはそれを ″ファシズム″ と呼んだ。

ファシズムは左派から革命などを取り入れ、ナショナリストや帝国主義の教義を合わせる画期的な混合思想であった。

また、ファシズムは軍事力と祖国への献身を称賛し、イタリア人の優越を謳った。

そしてイタリアを再建し、古代ローマ時代の威厳を取り戻すと約束した。

ムッソリーニは演説や自身の新聞を通じて新たな思想を発信し、国内に広めていった。

このムッソリーニの画期的な思想は多くの兵士たちが歓迎した。

そして、ムッソリーニはイタリア北部で信奉者を集い、組織を結成する。


1919年3月23日、ムッソリーニは集会を開くと、未来派や退役軍人がファシスト運動への尽力を決意する。

当時、1917年10月に起こったレーニンによる共産主義革命が世界中に衝撃を与え、戦争後、イタリアをインフレと失業が襲っていた。


1920年、200万人以上の労働者が2000以上のストライキに参加し、イタリア国内で工場が閉鎖した。

民主選挙で選ばれた政府にはストライキを止める力はなく、国内は混乱を極めた。

ムッソリーニはローマで

「イタリアは共産主義革命の前夜だ。ファシストがこの危機を解決する」

と主張し、国に対し全兵士が共産主義者と戦うよう陳情する。

ムッソリーニは積極的に街頭で集会を開き、演説を続けた。

ムッソリーニは共産主義を病気のように扱い、それは間もなく東からやって来ると喧伝した。

こうしてファシストは支持を得る事となり、産業資本家や地主がムッソリーニに資金を援助した。

そして、ファシストの襲撃隊が共産主義者を狩り始め、集会所を破壊した。

ストライキが収まると、ムッソリーニは秩序回復を自身の手柄だと主張した。


1921年5月15日、ムッソリーニが国会議員に当選する。

こうしてムッソリーニが唱えるファシズムはただの思想ではなく政治勢力となった。


②に続く