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ジョゼフ・ショー (アメリカ)
【 1955 ~ 1985 】



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ジェームズ・ローチ (アメリカ)
【 1960 ~ 1986 】



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ロナルド・マハフィー (アメリカ)
【 1961 ~ 2003 】



ジョゼフ・カール・ショーは、1955年3月31日に生まれ、アメリカ・ケンタッキー州ジェファーソンタウンで育った。

ショーはカトリックの小学校に通い、「JC」というニックネームで呼ばれていた。

フットボールをプレイし、ポジションはタックルであった。

ショーはジェファーソンタウン高校に通うが卒業前に中退し、その後、カレン・ナイトグリッチという女性と結婚する。

だが、結婚生活は長く続かず、離婚後、アメリカ軍に警察官として参加した。


1977年、ショーは2人の少年ジェームズ・テリー・ローチ (1960年2月18日生) とロナルド・ユージーン・マハフィー (1961年9月28日生) を引き連れサウスカロライナ州コロンビアへ向かった。


同年10月17日、ショーらは軍人仲間の妻ベティ・スワンク (22歳) を襲い、強姦して殺害した。


同年10月29日、ショーら3人は朝までビールや麻薬を吸って過ごしていた。

すると、同日午後の早い時間に

「少女を見つけて強姦しよう」

という事で話がまとまる。

ショーらはコロンビア郊外の野球場の駐車場に停車している車に目をつける。

車内にはトーマス・スコフィールド・テイラー (17歳♂) とカルロッタ・ハートネス (14歳♀) がいたのだが、ローチは銃で2人を脅し金銭を要求した。

テイラーがお金を渡すと、ショーとマハフィーが車から降りテイラーから車の鍵を奪い取り、ハートネスをショーの車の後部座席に押し込めた。

ショーはローチに

「もう大丈夫だ」

と言うと、ローチはテイラーを撃って射殺した。

その後、ハートネスを乗せたままそれほど遠くない未舗装の道路まで運転すると、ハートネスに服を脱ぐよう要求する。

そして、ショーら3人が繰り返し何度も強姦した。

一通り欲求を満たすと、ショーが誰がハートネスを殺すか2人に尋ねた。

すると、ローチが自分が撃つと志願し、ハートネスに地面に伏せるよう指示するが、ハートネスは命乞いし伏せるのを拒んだ。

しかし、ショーらが伏せるよう命令し、ハートネスは渋々地面に伏せると、ローチは頭部を数回撃った。

そして、最後にもう1発撃って射殺した後、2人から奪った財布や身分がわかる物を埋めた。

その後、再び野球場の駐車場に戻りテイラーが死んでいるのを確認した。


同年11月3日、ショーらは逮捕された。

逮捕された3人だったが、ショーだけは数日間犯行現場に戻り、ハートネスの遺体を屍姦した。


同年12月13日、ローチは殺人、強姦、強盗等で有罪判決が下され死刑が言い渡された。

弁護士はローチのIQが75から80で精神障害を抱えており、また、ハンチントン無踏病 (認知力の低下、衝動障害等の症状が現れる遺伝病) に苦しんでいると述べ、酌量を求めた。

更に判事も犯罪はショーの影響下で行われたと理解した。

これらに加えローチの年齢も考慮され、刑の軽減要因として十分考えられたのだが、判事は死刑を言い渡した。

ローチの判決はサウスカロライナ州最高裁判所も支持した。

ローチの死刑判決はアメリカの法律第1条 (生命の権利) や第2条 (法の前の平等の権利) に違反しているとして、人権に関する提議が人権委員会に提出された。

ローチの死刑に関して国際機関の関係者やジミー・カーター元大統領等多くの人達によって反対と寛大な処遇を求めたが、それら全てを当時のサウスカロライナ州知事リチャード・ライリーが拒絶した。

ショーにも死刑判決が言い渡されたが、マハフィーには終身刑が言い渡された。


1985年1月11日、コロンビアの中央矯正施設で、ショーの電気椅子による死刑が執行された。

享年29歳。

ショーの死刑執行は、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、サウスカロライナ州で最初に執行された人物となった。


1986年1月10日、ローチの電気椅子による死刑が執行された。

享年25歳。

ローチは電気椅子に縛り付けられ、最後の言葉を求められると、

「家族や友人に対して愛しているという3つの言葉しかありません」

と述べた。

ローチの死刑執行はアメリカで死刑が復活して以降、サウスカロライナ州としてはショーに続き2人目であった。

また、アメリカで死刑が復活して以降、犯行当時未成年による執行もアメリカ全体で2人目であった。


2003年2月13日、マハフィーは刑務所で死亡した (死因不明。年齢を考えれば殺された可能性が高い) 。

享年41歳。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1977年10月17日、同年10月29日



∽ 総評 ∽

ショーを筆頭に10代の2人の若者と行われた凄惨な事件。

特にローチは自ら処刑を志願する残虐ぶりであった。

3人がどのように知り合い、どのような関係性であったのか詳細がなくわからない。

ただ、ショーだけ20代であり、裁判でも述べられたがおそらくショーにローチとマハフィーが従っていたと推測される。

だが、そんなショーですら犯行時22歳の若さであり、22歳、17歳、16歳という若者3人がこれほど残虐な犯行に及ぶというのはそうある事ではない。

アメリカは周りがどんなにごちゃごちゃ喚いても、知事が無視した場合、覆る事はない。

それほど、死刑執行に関しては知事の権力が強く揺るぎないという事になる。

日本ではお偉いさんが一声上げれば簡単に覆ってしまうだろう。

これはアメリカの非常に素晴らしい所だといえる。